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1945年、イギリスの孤島での話。中年の女性グレース(ニール・キッドマン)が、小さな子供アンとニコラスとともに、大きな屋敷に住んでいた。 子供たちは光に当たると肌がふくれて、やがて死んでしまうという光アレルギーだった。 そのため、彼女はすべての窓に厚いカーテンをつけ、昼でも室内を暗くしていた。
ある日、3人の男女がやってくる。 女中頭(フィオヌラ・フラナガン)、庭師の男性、それに下働きの若い女性だった。 グレースは求人広告をだしていたこともあって、直ちに3人を採用する。 その大きな屋敷には、不思議な物音がした。 最初のうちは、娘のアンがそれを言うだけだった。 やがて、アンは人影を見たとも言い出す。 ある時には、ピアノまで鳴り出す。 しかし、グレースには何も見えない。 ある時、すべての部屋のカーテンがなくなっていた。 それをみたグレースは狂気のように叫んで、子供たちのもとへ駆け寄り、子供を暗いところへと連れて行く。 その出来事を冷然と見守る3人を、グレースは激興しながら解雇する。 すると屋敷の一室から人の気配がした。 そこには5人の男女が、車座になって会議中だった。 その会議の結論は、彼らはこの屋敷から出ていくというものだった。 現世の5人家族がこの屋敷を買ったが、物の怪がとりついているようだから、屋敷を出ようとしていたのだ。 ということは反対に、グレースは死んだ人間と言うことである。 女中頭ら3人は霊界から、グレースを説得にやってきたのだった。 種明かしをされれば何ということはない。 こうしたサスペンス物は、仕掛けが大切である。 観客に錯覚でも良いから、製作者たちの敷いたレールにのせることだ。 話の展開を観客に疑わせることなく、どうなるのだろうと話に引きずり込めば成功である。 「オープン ユア アイズ」では、優れた手腕を見せた監督だが、妙な割り切れなさを持ったまま物語は進行してしまうので、この映画はそれほどの成功作ではない。 グレースがなぜこの屋敷に住んでいるのかが、充分に説明されていない。 以前いた使用人が突然消えたというが、それももっと謎めかして観客に刷り込むべきである。 3人の登場の仕方も唐突だし、その採用も簡単に過ぎる。 出征した夫のチャールスが突然現れるが、グレースら3人の経済生活はどうやって成り立っているのかと、この映画には最初から疑問が多い。 こうした疑問が物語への没入を妨げている。 他の人たちが、押さえた演技をしているだけに、彼女の演技が目立ってしまう。 彼女は上手い役者だから、この浮き上がりは彼女のせいというよりも、演出のせいだろう。 監督がカソリックの強い南米出身者だからかもしれないが、聖書の言葉がたくさんちりばめられるなど、善悪の対立がやや定型に過ぎる。 物語の背景として善悪を使うのは良いが、物語の主題にまでからんでくると、カソリックの善悪では通用しない。 死んだグレースの死にきれない感情が、この映画のネタだったというのは、迷わず成仏できなかったという話になってしまう。 サスペンス映画で、観客に疑問をもって見させたら失敗である。 ぐいぐいと展開に引きずり込み、有無を言わせず物語に没入させる力業が不可欠だ。 前作が当たったので、出資者が出たのだろうが、この監督の資質とは違った物語である。 2001年のアメリカ、スペイン映画 |
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