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「妻たちの思秋期」が出版されたのは1982年である。 稼ぎ手である男性たちが元気の良かった時代にこそ、専業主婦のむなしさが募ったはずである。 現在のように不況が長引き、家計が逼迫してくれば、専業主婦はむなしさなどを噛みしめている余裕はない。 専業主婦もパート探しに奔走する時代であろう。 この映画は、専業主婦のむなしさを主題として描いているが、すでに20年も時代遅れである。
カラーフィルムをモノクロ処理しているが、黒は深みに欠け、しまりのない画面である。 モノクロが純文学仕立てだ、と思っているのだろうか。 主題の古くささ、使われる逸話の古さ、自分は高級だとのうぬぼれた錯覚、通俗的な俗説のオンパレード、独りよがりな展開などなど、見始めて5分で失敗だと知った。 早く終わらないかと、時計が気になって仕方なかった。 なぜこんな映画ができてしまうのだろうか。 主人公のおりえ(榊原るみ)は44歳だが、子供はいない。 姉の夫だった白木(米倉斉加年)の後妻になったが、まだ入籍はしていない。 白木は64歳の大学教授で、女性関係も多かった。 専業主婦である彼女は、白木の出勤した後、何もすることがない。 生活に困るわけではないし、まだ若いと自負している彼女は、時間をもてあましている。 ある時、彼女の分身である若い男性が訪ねてきて、彼女と問答が始まる。 自分で自分を知る過程とでも言うのだろうか。 その会話が、この映画の主旋律を作っている。 専業主婦のむなしさは、自分の労働がないことに由来している。 働きさえすれば、つまり有償労働さえすれば、このむなしさは雲散霧消する。 生きる意味の探求とは、高等遊民にのみある。 この映画の主題は、もはや解決されており、あらためて映画にするまでもないだろう。 もし今になって、専業主婦のむなしさを描くことを認めたとしても、この映画は専業主婦の人間性を、性的な欲求不満としかとらえていない。 純文学風の仕立てを装っていながら、この監督の関心は好色そのものである。 男性器をなぞっているのだろう蛇の登場といい、おりえのマスターベーション・シーンといい、使い古されたイメージをいかにも高級そうに、使うのは笑止としか言いようがない。 専業主婦のむなしさと性的な欲望とは、別の次元のものである。 性的に満たされたとしても、専業主婦のむなしさは解消されない。 この映画のように、別のことを因果関係で結びつけるのは、監督の人間性を疑わざるを得ない。 純文学作品を装わなくても、人間の性的な欲望を描くことはできる。 素直に性を描くポルノ映画のほうが、はるかに真面目である。 性的な欲望は誰にでもあるはずで、それを否定的に考える必要もないし、この映画のように自虐的になる必要もない。 専業主婦のむなしさとは、働いていないことからくるのだから、それを性的なものだけ還元するのは、女性差別である。 もし男性が映画の主人公なら、生きるむなしさを性的なものに解消させるだろうか。 男性が主人公なら、生きる手応えと性的欲求とは直結させないだろう。 この監督は、女性を全体的な人間として見ていない。 見回りの警察官といい、ギター弾きの男といい、女性を性的な対象としてしか描いておらず、女性の社会性にはまったく視線が及んでいない。 女性を性的な存在として描くことは女性蔑視ではないが、性的な存在だけとして描くことは、女性蔑視である。 そして同時に、性を歪めている。 生きるむなしさと性の世界は、直接の関係がないのだから、両者を牽強付会させることが女性蔑視である。 専業主婦のおりえに、近代人としての思想的な自立を求めるシーンがあるが、この監督はまったく時代が見えていない。 フロイトを引用したりして、自分の賢さを見せびらかすが、自立とは環境が支えるものであり、職業をもたない専業主婦が、近代人として自立することはあり得ない。 聞きかじりの話を、難しい映画に仕立てたい、そんな底の浅い製作態度は、まったく最低である。 日本映画の登場人物たちが、学芸会のような演技だとは、すでに言い古されている。 この映画でも、それは充分に発揮され、下手な脚本とあいまって、見るも無惨なできばえだった。 監督とは演技をつける人でもあるのだから、自分の演出スタイルをつくって、納得のいく自然さを見せてほしい。 この映画の登場人物のような、しゃべり方は誰もしないし、家の中であのようには振る舞わない。 時代考証を云々できる次元の作品ではないと思うが、一体いつの時代設定なのだろうか。 芸術作品ぶった通俗映画は、もうたくさんである。 うぬぼれを捨てて、もっと素直になってほしい。 2001年の日本映画 |
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