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アメリカのオフ・ブロードウエイで、2年以上にわたってロングランされていた舞台の映画化である。 喧しいロックと、派手な衣装で登場するゲイの映画で、実に哲学的でハイ・ブローである。 ジョン・キャメロン・ミッチェル自身が、主演し脚本を書き、そして監督をしている。 大してお金もかかっておらず、むしろ素人っぽい作りだが、その内容には文句なしに星を一つ献上する。
1960年代の後半に、東ドイツで生まれたハンセル(ベン・メイヤー=グッドマン)は、ロックが大好きだった。 ロックに合わせて小さなハンセルが、ベッドの上で飛びはねる。 彼のリズミカルなロック・ダンスが、目に心地良い。 彼は自由を求めてアメリカへわたる。 そのきっかけは、黒人GIからの求婚で、華奢な彼は女性と間違われたのだった。 彼はそれに応えて、性転換のために男性器を切断する。 しかし、なんと手術に失敗し、1インチばかり残ってしまう。 渡米するも、たちまち離婚である。ヘドウィグ(ジョン・キャメロン・ミッチェル)と名前を変え、ロックバンドを組んでの、どさ廻りとなる。 ロックだけでは食えない。 ベビーシッターのバイトに行った先で、17歳の少年トミー(メイケル・ピット)とロックで盛り上がり、二人は相愛になる。 しかし、トミーが彼の性器を知るや。 関係は破談となる。 二人で作った曲を手に、トミーはロックスターの道を駆け上がる。 ヘドウィグは自分のバンドを引き連れて、トミーの後を追って場末のレストランで演奏してまわる。 ただこれだけである。 話はやさしくて、実にわかりやすい。 ロック・ミュージカルと言えば、「ヘアー」を思い出すが、この映画もよく似ている。 反戦が主題というのではないにしても、東ドイツの出身、ベルリンの壁の崩壊、冷戦の終結といった政治状況が、前提として描きこまれる。 時代背景の描き方をみると、この映画が単なる音楽ものでないと知る。 消失しまった東ドイツへの喪失感は、出自の消失の象徴だろう。 アメリカの黒人GIにくどかれたこと、トミーに捨てられたこと、こうした屈折がよく伝わってくる。 映画のなかで歌われる「愛の起源」は、プラトンの「饗宴」からの引用だが、喪失感の回復を切々と歌っており心打たれる。 政治の季節はとうに終わっているがゆえに、政治に翻弄された自分や環境にもどかしさと、無力感がやるせない。 そうした心理が、ロックというメッセージ性の高い音楽にのって、歌い上げられる。ヘドウィグの声も良い。やはりロックバンドは、ボーカルが勝負だ。 映画のなかで、イラスト・アニメが何度も登場し、愛の起源を説明する。 実写映画のなかに、イラストを混ぜるのはあまり賛成しないが、この映画に関しては上手くなじんでいると思う。 他の方法で描写できれば、より良いが、主題が主題だけに難しいだろう。 イラスト表現に逃げたのも仕方ない。 イラストの作者は、エメリー・ハブリー。 情報社会化は、誰にでも孤独をもたらす。 手応えのない喪失感に、誰もが襲われている。 性転換したヘドウィグも孤独である。 彼はバンドのメンバーと結婚している。 ヘドウィグは男性だろうが、不思議なことに妻イツハク(ミリアム・ショア)がおり、彼女は男装の女性である。 にもかかわらず、自分の存在証明を求めて、彼はトミーを追いかける。 情報社会の孤独は、工業社会の孤独と質が違う。 工業社会の孤独は、いわば室内に一人でこもったような、物理的な孤立的な感覚のものだった。 しかし、情報社会の孤独感は、大勢でいても一人であるような、とりとめがなく漂う。 自分の身体が溶融し続けるような、表現しようのない無力感である。 自分の身体が、空中に溶けだしてしまいそうな、無重力の感覚といったら良いだろうか。 自分も空気、環境も空気、手応えがない。 それが現代の孤独である。 ロックは騒々しい音楽だが、それが歌う内容はじつに現代的で、哲学的ですらある。 ヘドウィグのボーカルを聴いて、なぜかジャニス・ジョプリンを思い出した。 短時間でパワフルに燃焼していった彼女と同質の心性を感じた。 既成秩序によって、自分が蒸散されてしまいそう。 無力化への抵抗として、ヘドウィグの魂の叫び、この映画にはそんな響きがこだましている。 それはロックが反抗であり、既成秩序への異議申し立てであるからだろう。 ロック界の大御所は、大金をため込み、すでに裕福な隠退生活に入っている。 柔らかい情報社会の柔らかい締め付けは、反抗の芽を完全につみ取ってしまったかに見えた。 すべてがIT革命に浮かれ、ロックは死んだといわれた。 しかし、この映画をみると、ふたたび新しい力が蘇っているようだ。 柔らかい秩序には、柔らかい反抗が頭をもたげている。 この映画は、素人監督の作品であるとは思う。 しかし、訴えたい主題の前には、映画を作るテクニックは、あまり重要ではない。 この映画はそれを再確認させてくれた。 技術的な話でいえば、色彩が素晴らしかった。 実に鮮やかな色が、画面に投影されて、最近では出色の色彩だった。 フィルムの選定や、ライティング・露出がよかったのだろう。 どのフィルムを使ったのか判らないが、プロビアのような鮮やかさで、最後の字幕にはフジフィルムとでていた。 2001年のアメリカ映画 |
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