タクミシネマ       夢だといって

 夢だといって       クロード・ムリエラス監督

 軽い知的障害をもった19才のジュリアン(ヴァンサン・デネリアーズ)は、1家7人の長男である。
彼の家は農場を経営し、牛との毎日である。
人間世界では少しはずれているジュリアンも、牝牛のジュリエンヌとは仲がいい。
彼はしばしば小さな問題を起こし、施設に入れられそうな状態だった。
そんなとき、実はこの家にはもう1人の長男がいると、おばあさん(シュザンヌ・グラデル)が爆弾発言をする。
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 21年前、父親リュック(フレデリック・ピエロ)と母親ジャンヌ(ミュリエル・メイエット)の間には長男ジョニー(クリストフ・ドラショー)が誕生した。
しかし、彼は重度の障害者で、通常の生活は不可能と判定された。
そのため、医者は施設での生活をすすめ、両親もそれに従った。
父親はジョニーのことをいつも頭の隅に置いていたが、母親はそれをすっかり忘れようとしていた。
おばあちゃんは時々ジョニーを施設に尋ねていた。
そのおばあちゃんがジュリアンをジョニーに会わせようと、ジュリアンのオートバイがひくリヤカーに乗って施設にいく。


 おばあちゃんがちょっと目を離したすきに、ジュリアンはジョニーをリヤカーに乗せて施設をでてしまう。
ジュリアンは施設に入れられることは嫌だった。
今まで施設から出たことのないジョニーに、あちこちとオートバイで歩きまわって、外の様子を見せる。
家では二人が失踪してしまったと、大騒ぎである。
やがて二人は家にもどってくる。
ジョニーを拒否するかに思えた姉妹たちは意外にも彼を歓迎する。
そして両親も、ジョニーを家におくことを決断し、目出度し目出度しという結末である。

 自分も養老院という施設に入れられていたおばあちゃんは、障害の有無に関係なく孫たちを可愛く思う。
ジョニーを施設に閉じこめておくことには大反対である。
しかし、自分には経済力もないし、ジョニーを養う体力もない。
軽い知的障害者のジュリアンが、巻き起こす困った出来事を、弟のヤニック(ジュリアン・シャルピー)は最初のうちは拒否していた。
しかし、ジョニーをみて心が変わり、施設へ入れることには反対するようになる。

 この映画の主題は、障害者の在宅生活推進である。
ただし、この映画は、タイトル通りに夢である。
障害者と一緒に生活が理想で、誰でもが普通の日常をおくれるようであって欲しい。
そういっている。
しかし、映画製作者たちも、それが一筋縄ではいかないことをよく知っている。
この家族のように、いつも両親が家にいる仕事なら、そして家族が多ければ、家がある程度広ければ、障害の程度が軽ければ、といったいくつかの条件が揃った時だけ、在宅生活は可能である。
それを知っているだけに、夢だといってなのだろう。


 父親や母親ほか家族の性格設定が上手くされており、母親がジョニーの存在を認めたくないのもよく判る。
また、妹のマリオン(ステファニー・フレー)が優しく、ヤニックがジュリアンに厳しくあたるのもよくわかる。
そして、おばあちゃんの寛容さも納得できる。
家族の人たちの性格や立場が上手く描かれており、きわめて素直に見ることができる。
しかし、ちょっと疑問だったのは、ジュリアン程度の障害であれば、充分に労働力となっているはずである。
彼が働いているシーンがなかったのはなぜだろうか。
 
 障害者であろうとも、可能な限り働くことによって、他の人との相互関係ができる。
障害者が一方的に養われる状態では、彼(彼女)は社会に貢献していいないわけで、彼の存在が荷物になりかねない。
もちろん、保護対象者としてのかわいさという意味では、働かなくても存在意味はあるが、それは障害者を一人前の人格とは見ていないことだ。
可愛がるだけの対象とは、自分の保護下に置いているということであり、目下に見ていることである。
自分の食いぶちは自分で稼ぐのが成人だとすれば、そうした状況にもっていくのが両親の努めだろう。
ジュリアンの障害は労働可能な程度であるように見えた。
一緒に働くことによって、また彼の違う面が見える。


 元気のないフランス映画だが、この映画は拾い物をしたような感じだった。
こうした小さな設定の映画では、まだまだ力があるのだろうか。
しかし、在宅生活という映画の主題は理解するとしても、この映画の家庭環境はもはや少数派であり、障害を考える上ではあまり役には立たないように思う。
家族が小型化し、在宅労働ではなくサラリーマン化するなかでも、障害はある割合で必ず発生する。
そうした環境での障害の無化が求められている。

 父親と母親そしてジョニーを除いて、他はすべて演劇には素人だという。
それにしては皆上手かった。
とくにおばあちゃん役をやったシュザンヌ・グラデルは、とても自然で素人とは思えない演技だった。
また、カフェの女性ニニ(カティア・メディシ)が、とらわれることのない性格付けで救われる思いがした。
やや時代錯誤的な設定ではあるが、主題の明確さと温かい心の表現に、星一つを付ける。

1998年フランス映画

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