タクミシネマ        キプールの記憶

キプールの記憶   アモス・ギタイ監督

 1973年10月6日に始まった第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)に題材をとり、戦争の残酷さ、無意味さを描いた映画であろう。
イスラエルはゴラン高原で、エジプト・シリアらのアラブ連合軍と戦った。
奇襲によってイスラエルは劣勢にたったと描かれているが、この映画からはイスラエルの強さだけが伝わってくる。
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 戦争映画だが、戦闘場面はほとんどでてこない。
ただひたすら救出作業に従事する。
戦場で傷ついた兵士を、4人の兵士と1人の軍医が、ヘリコプターで救出にいく。
戦闘が行われているすぐそばに、ヘリコプターを待たせておいて、戦車や塹壕の中から兵士を担架で担ぎだす。
そして、病院へと送り込むのが彼らの仕事である。
そして、最後には彼らのヘリコプターも被弾し、彼らが病院へ行くことになってしまう。

 この映画は、そうした戦場の救出作業を、ワインローブ(リオン・レヴォ)とその友人ルソ(トメル・ルソ)をとおして描いている。
戦争とは正反対を意味させていると思うが、この映画は冒頭ベッドシーンで始まる。
しかも、全裸の男女が何色もの絵の具を体にぬって、ぬるぬるとしたセックスの最中である。
そして、セックスが終わったのだろう、彼は所属部隊を探して車を走らせる。
最後には、復員したワインローブが恋人のところへ戻り、再び絵の具セックスの場面で映画は終わる。


 淡々とした救出作業が、あらためて戦争の意味を問い、セックスを最初と最後におくことによって、生と死を表現しているのだろう。
セックスが生の象徴であるのは理解するが、絵の具を体に塗りたくってのセックスはどう意味なのだろうか。
人生は様々な意味があると言うには、ちょっと理解に苦しむ。
もっとささいな日常の驚きや、感動をさりげなく表せば、充分に人生の楽しさを表現できる。
このセックスシーンは、あまり意味がないと思う。

 この監督は長回しが好きで、3分を越えるカットはざらにある。
それに台詞が少なく、ドキュメンタリータッチの重い画面に、すべてを語らせようとしている。
この手法は映画的であるが、ややセンチメンタリズムに流れているように感じる。
つまり無言で見つめる顔のシーンを、長回しでとらえるので、どうしても深刻な印象になってしまう。
主題が深刻だから、表現も深刻にならざるを得ないのはよく解るが、悲惨さは必ずしも深刻ではない。
悲惨な状況に出会ったとき、人はその悲惨さに耐えるため、笑うことすらある。

 映画の仕立ては、劇映画と言うより記録映画風で、ヘリコプターの音がかぶさっているなかに、四人の男たちが黙々と作業に従事する。
たしかに単調で厳しい作業それだけを、ごろんと見せ続けられると、その作業が雄弁に語り始める。


 監督の意図は演技させることではなく、あきらかに救出作業それ自体に語らせるところにあった。
特別の演技らしきものよりも、泥沼のなかで悪戦苦闘する男たちの姿が、直接に観客の心を打つ。
こうした記録映画風の手法を否定はしない。
しかし、フィクションとしての映画は、人間の心理を構築する中に、滲み出るようなものを良しとすると思う。

 この映画は、イスラエル人監督が自国の戦いを描きながら、敵味方を越えようとしている。
アラブとイスラエルは犬猿の仲で、ともに自国の正義を訴えている。
中東は利害が、鋭角的に対立する現代でも数少ない地域である。
そのなかで、戦争それ自体の無意味さを訴えるのは、そうとうの根性と冷静さが必要である。

 挙国一致体制の中で、戦争の無意味さを描くのは、それ自体が反体制的な行為である。
だからこの映画が反戦映画であることはよくわかる。
そうした意味では、戦争状況にありながら、なお自己相対化できる力をイスラエルは持っている。
この映画はイスラエルの近代性を物語る。
自分を相対的に見るのは近代人の証で、ここから人類愛だとかもでてくるのだが、同時に冷静な分析眼も登場する。


 近代的な視野は、戦争に人間という一般性を持ち込んで、命の大切さを訴えもするが、冷静に戦争を遂行させもする。
イスラエルでこの映画が作られることは、同時にイスラエルには近代戦を戦う力があるということを意味する。
アラブ諸国はお金に任せて兵器の近代化を図った。
しかし、国民を近代化させる教育はしない。
国民は前近代のままだ。
だからジハードといった前近代的な感情にうったえて、戦争に走らざるを得ない。
アラブ側ではこうした反戦映画は作れない。

 激情に支えられた戦争は、一時は強いかもしれないが、同じ土俵では最終的には近代軍のほうが強い。
ベトナムという例外があったので、ゲリラやテロなどの根性路線でも近代軍に勝てるかの印象を与えた。
しかし、フォークランド戦争やアフガンでの戦いを見てもわかるように、同じ土俵で戦えば近代軍のほうが圧倒的に強い。
 イスラエルとアラブは同じ土俵で戦っており、自己を冷静に見るこの映画を見ただけで、イスラエルの強さがわかる。
こんな映画を作る国に、前近代的なアラブ諸国が勝てるわけがない。
アラブ側は、反イスラエルの気分は高揚させても、国全体を近代化しないので戦争には勝てない。
近代化したらアラブの王制は崩壊するので、アラブ諸国の政府は気分だけ反イスラエルを煽っているに過ぎない。
戦争とは政治の継続ではあるが、国力のすべてが動員されるものである。
近代的な視点を獲得した国は強大である。
前近代にある国は、近代国家にはかなわない。
この映画は、イスラエルの冷静さ,つまりイスラエルの強さを語って、あまりある。
2000年のイスラエル・フランス・イタリア映画

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