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耳に残るは君の歌声
サリー・ポッター監督

 原題は「The man who cried」というのに、なぜこのような邦題がつくのだろう。
意訳が必ずしも悪いわけではないが、この作品に関しては理解できなかった。
クリスティーナ・リッチが出演しているので、恋愛ものにしたほうが、客の入りが良いと踏んだのだろうか。
耳に残るは君の歌声 [DVD]
前宣伝のビラから


 1927年、ロシアのユダヤ人が、娘フィゲレ(クローディア・ランダー=デューク)を残して、アメリカに出稼ぎにでる。
その後音信不通になり、娘は祖母に育てられる。
その村は貧しく、ジプシーがよく立ち寄ったが、あるとき何者かに焼き討ちされて、村は全焼してしまった。
祖母はフィゲレを村の若者に託し、アメリカへと送りだす。
しかし、彼女は港ではぐれてしまい、1人で船に乗る。
着いたところはアメリカではなく、イギリスであった。

 スーザンと言う名前を与えられて、イギリスの家庭で養子として育つ。
成人後、彼女(クリスティーナ・リッチ)はパリにでて、コーラス・ガールとして働く。
同じようにロシアから亡命してきたローラ(ケイト・ブランシェット)と同居し、慎ましい生活が始まる。


 ローラはイタリア人の歌手ダンテ(ジョン・タトゥーロ)と仲良くなり、豪勢な生活を手に入れる。
しかし、第二次世界大戦がはじまり、亡命ロシア人の立場が危うくなった。
そのため、2人はアメリカへと逃れる。
その途中で船が爆撃にあい、スーザンだけがアメリカにたどり着く。

 ユダヤ人迫害の嵐にもめげず、けなげに生きた少女の足跡を、映画はえがく。
この映画は、いったい何が言いたかったのであろうか。
主題がユダヤ人迫害であるのは間違いない。
とりわけロシアや東ヨーロッパでおきた迫害は大規模で、その迫害から多くのユダヤ人がアメリカに逃れた。
その1人がフィゲレなのだが、映画自体がユダヤ迫害のキャンペーンとも受け取れる。
 
 戦後、イスラエルに入植した彼らは、パレスティナ人を迫害している。
それは大量にアメリカへと亡命したユダヤ人たちが、多額の資金援助をしており、かつての報復というわけかもしれない。
この映画は、イスラエルの暴力行動の正当化をめざしている、そんな風にもとれる展開だった。
当時、誰もユダヤ人の味方をしてはくれなかった。
だからといって今、イスラエルがパレスティナでやっているのは、正当化されるとはならないだろう。


 泣いた男という原題からは、誰かが泣いたことが想像されるが、いったい誰だったのだろう。
厳しい状況に翻弄され、運命に弄ばれたと言うだけなら、男だけではない。
それにこの映画の主人公は、フィゲレという女性である。どうもよく解らない。

 この映画で見るべきは、ダンテの圧倒的な歌唱力である。
イタリアオペラの華とも言うべき男性の張りのある声、若くダイナミックな響き、とにかくもう圧倒的であった。
おそらくバリバリの現役で、若い歌手の吹き替えだと思うが、この歌唱力は文句なしにすばらしかった。
また、ジプシーの音楽もそれなりに聞かせて、音楽が良かった映画といえるだろう。

 ブロンドの美人ローラは、つぎつぎに男を籠絡させて、うまくパトロンを見つける。
ダンサーでありながら、いわば高級売春婦といった生活をしているが、この生き方が実に小気味良い。
完全な男性支配の社会では、女性は節操を守る必要はない。
むしろ自分の全身全霊を使って生きるべきであり、男性にたかって生きるのは、もっとも見上げた生き方である。


 さえない1人の男の妻になるのが素晴らしい。
そんな生き方こそ、男性社会が強いた生き方である。
自由な女性は、男性を手玉に取り、男性から男性へと渡り歩くべきである。
この生き方は、きわめて主体的なもので、積極的で、男性的ですらある。
それにたいして、スーザンはジプシーの男チェーザー(ジョニー・ディップ)に惚れてしまう、というドジさである。

 男性支配の社会では、一対一の固定的な男女関係は、男性秩序に包摂されるものであり、男性支配を支えてしまう。
核家族へと連なる一対一の男女関係は、女性の自立に組みするものではなく、反動的ですらある。
そういった目で見ると、スーザンよりローラのほうに、感情移入してしまう。
ローラこそフェミニズムの先蹤者である。

 現代のユダヤ・キャンペーン映画として見れば、一対一の男女関係を信奉するスーザンのほうが、受けは良いだろう。
現代社会は核家族が支配的であるので、支配的な観念にあわせるほうが、宣伝効果は高い。
しかし、こうした固定的な愛情を良しとするのは、現状迎合的であり、古い価値観である。
こうした視点からも、この映画をユダヤ人の宣伝映画と見てしまうのである。

 蛇足ながら、クリスティーナ・リッチはあどけない顔だが、放漫な肉体が奇妙にミスマッチである。
ローラの長身とならぶと、ミスキャストと思えた。
映画だから画面は動いているが、なんだか動きが少ないようにも感じられた。
2000年のイギリス・フランス合作映画 

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