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いままでゲイを主題にした映画はたくさん見てきたが、この映画でゲイの悩みが本当にわかったように思う。 しかも、なぜ表現者にゲイが多いのか、ということも理解できたし、純愛はゲイにしか存在しないとも感じた。 11歳の時に、同性愛に目覚めた少年スティーヴン(ベン・シルバーストン)は、満たされない愛情と孤独に悩んでいた。 ほかの子供たちが、楽しげに異性と接するのを見ても、彼には別の世界のできごとだった。 廻りはストレートばかり、両親だって同性愛を嫌悪しているのがわかる。 隣家のリンダ(シャーロット・ブリテン)だけが、彼を理解してくれていた。 その彼も今は高校3年生、まわりでは恋愛の話が飛び交っているなかで、いじめにあう毎日である。
成績優秀、スポーツに秀で、長身でかっこいい級友ジョン(ブラッド・ゴートン)と知り合ったことから、彼の毎日が変わる。 ジョンは自分のゲイ的な資質に気づいていたが、ゲイの世界にはいるのはためらっていた。 それが、スティーヴンと出合ってから、ジョンはおずおずとゲイを自覚し始める。 しかし、学校一の人気者の彼は、自分がゲイであることを、隠すことに必死である。 スティーヴンは小説家を目指して、エッセイを書いていた。 没原稿を父親が、新聞社に投稿した。 それが地区で最優等になる。 そして最後には、卒業式での表彰がきっかけで、彼はゲイであることをカムアウトする。 ありのままの自分を愛してほしいと、屈折した気持ちを表すこのシーンがとても良い。 カムアウトは恐れていた反響よりも、好意的な人が多く、映画はハッピーエンドに終わっていく。 庶民と富裕者のあいだには、人間の質的な違いがあると、見なされていた。 そして、生きることが困難だったので、必死になって生きる術を身につけた。 職人に弟子入りしても、誰も仕事など教えてくれない。 徒弟は学校とは違う。 自分で盗まない限り、技術は身に付かなかった。 学校ができ、近代文明の蓄積が、豊かな社会をつくりはじめた。 豊かな社会では、義務教育もあるし社会保障もある。 生きること自体は、それほど困難ではない。 学校ができたことによって、労働を猶予された青春が誕生した。 青春とは将来を担保に、何をしても許される時代である。 労働から切り離されたここで、若者たちは生きる手応えを失ってしまった。 現代社会では、誰でもがその存在を肯定され、能力を発揮するように促される。 青春とは人生の訓練期間でもある。 輝くように見えるこの時代、恋愛・冒険などすべての行動が肯定される。 しかし、ゲイであることだけは否定されてきた。 否定された存在の人間は、自己の存在証明がない。 存在を否定されるゲイだけが、孤独のなかに追いやられる。 誰もがもっている自己の存在証明、それがないと人は生きていけない。 ゲイは必死で存在証明を探す。 その探求は他者には向けることができないから、自己の内面へと降りていかざるを得ない。 しかも西洋文明は、「嘘も方便」を許さない。 波風を立てないためであろうと、自分に嘘をつくことは悪である。 社会から孤立しても、ゲイである事実と向き合わざるを得ない。 ゲイは一人で自分に問いかける。ここで表現の世界にたどり着く。 存在を肯定されると生きやすい。素直な性格に育つ。ストレートは明るい。ゲイは屈折している。ゲイの明るさは、作為的である。しかし、表現への道は、ゲイのほうが近い。自己を見つめる眼が、自己正当化としての表現を生みださざるを得ない。ゲイが自己の存在証明を探す旅、その軌跡が表現へとつながる。 恋愛も同様だろう。かつては愛し合う男女が、結ばれるとは限らなかった。 家柄とか、職業が、2人のあいだを裂いた。 かつては身元引受人がいないと、家も借りることはできなかったし、仕事に就くこともできなかった。 家に逆らっては生活できなかった。 ここで物質的な基盤を越えた精神的な純愛が成り立った。 今ではどんな男女でも、2人が好きあっていれば一緒になれる。 親が反対しても、2人で生活できる。忍ぶ必要はなくなった。 ゲイは違う。 ゲイはいまだに石もて追われる。 社会が2人のあいだを認めない。 だから、ゲイは2人のあいだを秘さなければならない。 もちろん不誠実なゲイもいるだろうが、ほんとうに愛し合ったら、お互いを信じる以外にない。 ゲイは純粋に精神的なつながりになる。 これが純愛を生む素地である。 必然的にゲイのつながりはもろく、はかない。 制度や物質に支えられない精神は、そう長くは保てないからである。 中盤までは、ゆっくりとした展開で、やや退屈である。 それが終盤でぐっと一点に集約して、この映画の主張は何かがはっきりとわかる。 主人公を演じたベン・シルバーストンも、前半の無気力さから、後半では輝くような光を発してくる。 この映画で登場する女性たちがいい。 隣家のリンダは、ブスくて太っちょだけれど、実に気のいい奴である。 また、勘違いでスティーヴンを好きになるジェシカ(ステイシー・ハート)も良い性格である。 もちろん、スティーヴンの母親も良い。 こうした女性たちが、ゲイであるスティーヴンを、丸ごと認めてくれる。 否定された存在だった自分が、認められることはどんなに嬉しいか。 それが痛いほど伝わってくる。 貧しかった前近代と、現代社会はまったく違う。 厳しく子育てをしないと生き残れなかった前近代、子供に全身の愛情を注ぐより、親自身が生きるのに必死だった。 存在を否定されるなかからも、わずかな子供がそれをはねのけて育った。 だから成人に至るのは、生まれたうちの半分しかいなかった。 現代社会では、全員が成人する。 すべての子供をそのままで認め、どんな資質をも肯定し、受け入れないと子供はもはや育たない。 ゲイだからといって、ストレートへと矯正する必要はない。 現代社会の子育ては、全肯定の上になり立つのである。 この映画はそういっている。 今やほんとうの意味で、純粋に精神の時代である。 原題は「Get real」 1998年のイギリス映画 |
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