タクミシネマ         同級生

 同級生     サイモン・ショア監督

 いままでゲイを主題にした映画はたくさん見てきたが、この映画でゲイの悩みが本当にわかったように思う。
しかも、なぜ表現者にゲイが多いのか、ということも理解できたし、純愛はゲイにしか存在しないとも感じた。

 11歳の時に、同性愛に目覚めた少年スティーヴン(ベン・シルバーストン)は、満たされない愛情と孤独に悩んでいた。
ほかの子供たちが、楽しげに異性と接するのを見ても、彼には別の世界のできごとだった。
廻りはストレートばかり、両親だって同性愛を嫌悪しているのがわかる。
隣家のリンダ(シャーロット・ブリテン)だけが、彼を理解してくれていた。
その彼も今は高校3年生、まわりでは恋愛の話が飛び交っているなかで、いじめにあう毎日である。

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劇場パンフレットから

 成績優秀、スポーツに秀で、長身でかっこいい級友ジョン(ブラッド・ゴートン)と知り合ったことから、彼の毎日が変わる。
ジョンは自分のゲイ的な資質に気づいていたが、ゲイの世界にはいるのはためらっていた。
それが、スティーヴンと出合ってから、ジョンはおずおずとゲイを自覚し始める。
しかし、学校一の人気者の彼は、自分がゲイであることを、隠すことに必死である。

 スティーヴンは小説家を目指して、エッセイを書いていた。
没原稿を父親が、新聞社に投稿した。
それが地区で最優等になる。
そして最後には、卒業式での表彰がきっかけで、彼はゲイであることをカムアウトする。
ありのままの自分を愛してほしいと、屈折した気持ちを表すこのシーンがとても良い。
カムアウトは恐れていた反響よりも、好意的な人が多く、映画はハッピーエンドに終わっていく。

 前近代社会では、身分制が厳として存在し、人間は誰でもが等価ではなかった。
庶民と富裕者のあいだには、人間の質的な違いがあると、見なされていた。
そして、生きることが困難だったので、必死になって生きる術を身につけた。
職人に弟子入りしても、誰も仕事など教えてくれない。
徒弟は学校とは違う。
自分で盗まない限り、技術は身に付かなかった。

 学校ができ、近代文明の蓄積が、豊かな社会をつくりはじめた。
豊かな社会では、義務教育もあるし社会保障もある。
生きること自体は、それほど困難ではない。
学校ができたことによって、労働を猶予された青春が誕生した。
青春とは将来を担保に、何をしても許される時代である。
労働から切り離されたここで、若者たちは生きる手応えを失ってしまった。


 現代社会では、誰でもがその存在を肯定され、能力を発揮するように促される。
青春とは人生の訓練期間でもある。
輝くように見えるこの時代、恋愛・冒険などすべての行動が肯定される。
しかし、ゲイであることだけは否定されてきた。
否定された存在の人間は、自己の存在証明がない。
存在を否定されるゲイだけが、孤独のなかに追いやられる。

 誰もがもっている自己の存在証明、それがないと人は生きていけない。
ゲイは必死で存在証明を探す。
その探求は他者には向けることができないから、自己の内面へと降りていかざるを得ない。
しかも西洋文明は、「嘘も方便」を許さない。
波風を立てないためであろうと、自分に嘘をつくことは悪である。
社会から孤立しても、ゲイである事実と向き合わざるを得ない。
ゲイは一人で自分に問いかける。ここで表現の世界にたどり着く。

 表現とは自己表出である。孤独に自己をぎりぎりと問いつめる作業こそ、表現には不可欠である。問いつめた先に、その軌跡を残せば、いかなる軌跡であろうと、それはもう表現である。こう考えると、異端者としてのゲイが、表現の世界につながりやすいことに気づく。天才による表現をのぞいて、葛藤のない表現はありえない。

 存在を肯定されると生きやすい。素直な性格に育つ。ストレートは明るい。ゲイは屈折している。ゲイの明るさは、作為的である。しかし、表現への道は、ゲイのほうが近い。自己を見つめる眼が、自己正当化としての表現を生みださざるを得ない。ゲイが自己の存在証明を探す旅、その軌跡が表現へとつながる。

 恋愛も同様だろう。かつては愛し合う男女が、結ばれるとは限らなかった。
家柄とか、職業が、2人のあいだを裂いた。
かつては身元引受人がいないと、家も借りることはできなかったし、仕事に就くこともできなかった。
家に逆らっては生活できなかった。
ここで物質的な基盤を越えた精神的な純愛が成り立った。
今ではどんな男女でも、2人が好きあっていれば一緒になれる。
親が反対しても、2人で生活できる。忍ぶ必要はなくなった。


 ゲイは違う。
ゲイはいまだに石もて追われる。
社会が2人のあいだを認めない。
だから、ゲイは2人のあいだを秘さなければならない。
もちろん不誠実なゲイもいるだろうが、ほんとうに愛し合ったら、お互いを信じる以外にない。
ゲイは純粋に精神的なつながりになる。
これが純愛を生む素地である。
必然的にゲイのつながりはもろく、はかない。
制度や物質に支えられない精神は、そう長くは保てないからである。

 この映画は、ゲイの孤独さ、自己を見つめる眼、関係を大切にする資質、反動としての享楽性、といった要素を描き込んでいく。
中盤までは、ゆっくりとした展開で、やや退屈である。
それが終盤でぐっと一点に集約して、この映画の主張は何かがはっきりとわかる。
主人公を演じたベン・シルバーストンも、前半の無気力さから、後半では輝くような光を発してくる。

 この映画で登場する女性たちがいい。
隣家のリンダは、ブスくて太っちょだけれど、実に気のいい奴である。
また、勘違いでスティーヴンを好きになるジェシカ(ステイシー・ハート)も良い性格である。
もちろん、スティーヴンの母親も良い。
こうした女性たちが、ゲイであるスティーヴンを、丸ごと認めてくれる。
否定された存在だった自分が、認められることはどんなに嬉しいか。
それが痛いほど伝わってくる。

 貧しかった前近代と、現代社会はまったく違う。
厳しく子育てをしないと生き残れなかった前近代、子供に全身の愛情を注ぐより、親自身が生きるのに必死だった。
存在を否定されるなかからも、わずかな子供がそれをはねのけて育った。
だから成人に至るのは、生まれたうちの半分しかいなかった。
現代社会では、全員が成人する。

 すべての子供をそのままで認め、どんな資質をも肯定し、受け入れないと子供はもはや育たない。
ゲイだからといって、ストレートへと矯正する必要はない。
現代社会の子育ては、全肯定の上になり立つのである。
この映画はそういっている。
今やほんとうの意味で、純粋に精神の時代である。
原題は「Get real」

 1998年のイギリス映画      

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