タクミシネマ          タイガーランド

タイガーランド  ジョエル・シューマッハ監督

 この映画に登場するパクストン(マシュー・デイビス)の、実話にもとづいた映画だという。
軍隊や戦場を舞台にしているが、これは戦争映画ではない。
1971年、ボズ(コリン・ファレル)という若者が、徴兵されて軍事訓練を受けている。
8週間の訓練を受けて、ベトナムへと送り出される。
その訓練地を、タイガーランドという。

 すでにベトナムは負け戦、国民の支持もなくなっていた。
しかし、依然として徴兵は容赦なく若者を、タイガーランドへと駆り立てる。
世をすねたボズは、ことごとく上官に反抗、しかも何人かの新兵を除隊にしてやる。
これでは軍隊のなかでは生きていけない。
徹底的な嫌がらせが続いている。
そんななか、パクストンはボズと親しくなる。


タイガーランド (特別編) [DVD]
 
劇場パンフレットから
 ボズは体力があったし、目端もきいた。
徐々に仲間たちの信頼を獲得していくが、彼を気に入らない仲間もいる。
ボズを支持する仲間たちと、恨みを抱く仲間ウィルソン(シア・ウィグハム)との確執をまじえて、映画は進む。

 ベトナム戦争のように、自分の信条と違う状況に追い込まれたときに、人はどのように行動するのだろうか。
徴兵という国家の意思のまえには、個人はおもてだって抵抗できない。
たとえ怪しげな法律であっても、法律がある以上、国家意志は、個人をとらえて離さない。
それは徴兵に限らない。
税制でも、犯罪でもそうだ。
国家は、その意志を個人に強制する。

 平時であれば、国家を相手に損害賠償とか、名誉毀損などいった訴訟を起こすことができる。
しかし、戦時は違う。
国家は全力をあげて、国家意志の貫徹をはかる。
個人はそれに抗することが、きわめて難しい。
良心的な徴兵忌避という手もあるが、ボズは徴兵に応じながら、軍隊の歯車になることを徹底的に拒否する。

 国家全体から見れば、ボズの行動はかわいいものだ。
現場の指導者の手を焼かせるにすぎない。
彼がやったのは、3人の仲間を除隊にしたことだけ。
個人としては特筆されるが、それだってアメリカ全体から見れば些細なことである。
この映画を全体としてみたら、無駄な抵抗といわれて、何も言うことはなくなってしまう。
極限状況での個人の生き方が、この映画の主題である。


 ボズの生き方を、基本的には支持する。
組織を作ることが難しいとすれば、個人でする抵抗としては、戦時ではああした形しかないだろう。
しかも、ポリティカル・コレクトが、その後たどった道を見れば、個人の立脚点が問題になるのは自然である。
組織は結局のところ、個人を疎外していく。

 それにしても個人とは非力なものだ。
ボズのように強靱な体力と、シニカルな資質を持っていなければ、あのような抵抗はできない。
誰でもが彼のような抵抗ができるとは限らない。
しかも、戦時の抵抗は、敵国を利することにもなるので、きわめて難しい。
戦時には、戦争そのものに反対することはできない。

 参戦と反戦は、ともに正義の戦いである。
闘うことが正義であるし、闘わないことが正義でもある。
参戦を正義と信じる側は、無限の弾圧をくりだす。
弾圧しているほうも、正しいことをしていると考えているから、なまなかの弾圧ではない。
スーパーマンのように抵抗し続けたボズが、最後にはベトナムへと出兵していく。
その屈折した心理が良く描かれている。

 出征するバスにのるとき、パクストンはボズに今後も連絡を取り合いたいという。
それに対してボズは、戦友なんてその場限りのものだ、といって住所の交換を冷たく拒否する。
群れないあの冷たさが、正常さを維持する決め手なのだろう。
君子和して同せず、である。

 前半はややのろい展開だが、後半になるに従って緊張感が高まる。
実によく練られた脚本で、小さな事実の積み重ねが、後半の展開へと効いている。
話の進みかたに無理がない。
この映画は、「ドグマ95」をつかっている。
室内のシーンが少なく、外でのロケが多いので、自然光でも無理がない。
また、手持ちのカメラの不安定さが、若者たちの不安な心理を良くとらえており、この映画に限っては「ドグマ95」は成功している。


 一般的にいって、映画とは人工の世界=虚構だから、虚構性を増大させてしまうという理由で、人工的なものを排除するのは論理矛盾である。
それぞれの映画の主題や訴えたいものにしたがって、撮影方法が選ばれるべきで、最初からドグマというのはおかしい。
しかし、北欧のドグマ監督でも、必ずしもドグマに拘束されるわけではないから、これは一種の便宜的な方法論だと見るべきだろう。

 この監督は今まで大作をとってきたので、このように小さな作品であっても、作り方が緻密である。
小物や時代考証にしても、丁寧に考えられており、実力のほどがうかがえる。
ほとんどの出演者が無名な俳優たちで、インディペンデント系の映画かとすら思わせる。
無名だといいながら、キャスティングは優れており、ドンピシャの配役である。
俳優たちにはきちんと演技がついており、手間暇のかかった映画だとわかる。

 ちょっと気になったのは、こうした映画が男性の精神をしか描かないことだ。
フェミニズムによって女性も戦場に出るようになったが、身体を張った抵抗は男性だけのもののようだ。
男女ともに戦争反対を口にすることはできる。
戦争そのものに反対とは、しばしば女性たちが口にする。
しかし、戦争そのものに反対といってしまったら、そのあとには思考の訓練は続かない。

 戦いの現場で身を挺して反抗するのは、女性にできるだろうか。
冷たさ、シニカルさを維持できるだろうか。
個の確立に女性たちは耐えられるだろうか。
どんな状況になっても、個人を見つめ続けることは難しいことだし、他人からは必ずしも歓迎されるわけではない。
母を殺したと自覚していない女性たちは、個の自立には手こずることだろう。

 パクストンとボズが、いきずりの女性たちとセックスをする。
1室の隣りあったベッドで、2組の男女がセックスをする。
この時代のセックスは、男性が上であり、女性は受け入れる立場である。
セックスが終わると、男性二人はいっそう仲良くなる。

 このセックスには、まったく人格がからんでいない。
セックスがまるでスポーツである。
女性兵士もこの男性たちのように男を買うのだろか。
そして、スポーツのようにセックスをして、女性の友人関係がより親密になるのだろうか。
女性にも乾いたセックスは可能だろうが、女性たちがそれを認めるには時間がかかるだろう。

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