タクミシネマ        夜になる前に

 夜になるまえに  
ジュリアン・シュナーベル監督

 キューバ生まれの小説家の人生を描いたもので、表現をめぐって重い主題をあつかっている。
1943年、キューバの田舎にレイナルド・アレナス(ハビエル・バルデム)がうまれる。
母親は彼を愛してはいたが、父親はいなかった。
祖母が取り仕切る家に、彼は成長する。
バティスタ政権が支配した革命前のキューバ、ご多分にもれず、彼の生活環境も貧しかった。

 青年期には、カストロの革命軍に身を投じる。
最初は、革命軍ではなく、反乱軍と呼ばれていたことが面白い。
彼は革命の指導者カストロを支持する。
1959年、革命が成功する。
徐々にゲイに目覚めると同時に、革命の路線に疑問を感じはじめる。
20歳の時に、キューバ文学賞の佳作に入選する。
佳作だったが、将来性をかわれて、最優秀作よりも支持を集める。


夜になるまえに [DVD]
 
「前宣伝のビラ」から
 社会主義の革命後は、どうして全体主義的になっていくのだろう。
革命の大儀を掲げるところでは、どこでも個人を抑圧している。
文学とは個人の内面におうものだ。
全体主義とは相容れない。
人民に奉仕する文学という時代もあったが、目的の決まった文学などあり得ない。
文学は、実生活にはそもそも不要なのだ。
文学者は遊民でしかない。

 人間の創造力とは、まったく勝手気ままなもので、創造の結果どんな成果が発現するかはわからない。
個人の頭のなかで想像力が放埒にひらめくとき、何だか得体の知れない成果がとびだす。
結果それが人に役に立つがどうか、そんなことは創造を担う人間には関係がない。
彼は創造に関心があるだけで、結果には無関心である。


 ソ連の援助があった時代には、教育や医療は無料となって、キューバの貧困は解消された。
しかし、1980年から経済は悪化する。
統制経済に固執するカストロのもと、社会はますます窮乏し、異端者へのしめつけがましていく。
同性愛は社会を堕落させるものだ、といってカストロは弾圧をはじめる。彼も逮捕される。

 彼は根っからの表現者だった。
獄中でも書き続ける。
もちろん、弾圧は続く。
キューバの監獄は、大勢の人が詰め込まれ、囚人には人権など存在しない。
典型的な後進国である。「蜘蛛女のキス」「ミッドナイト・エキスプレス」と、途上国の監獄は恐ろしい。

 非人間的な資本主義をきらって、人々の幸せを最大に願ったのが、社会主義革命だったはずである。
しかし、どこの国でも、社会主義の革命はむしろ不幸をもたらした。
経済は停滞し、自由はうばわれて、反対を訴えるものは弾圧された。
結局、ソ連は崩壊した。
フランス革命の後は、血の弾圧が吹き荒れ、反革命が強まるが、市民革命も同様だったのだろうか。

 今地球上に残る社会主義国は、中国・ベトナム・キューバそれにあとわずかな国だけだ。
中国にしてもベトナムにしても、社会主義を捨てようとしている。
すくなくとも資本主義的なやり方を取り入れようとしている。
つまり、社会主義はうまく機能しない、と考えはじめている。
キューバの経済も破綻に近い。
カストロが死んだら、キューバ社会主義も崩壊するだろう。


 この映画は、社会主義と文学の軋みを扱っているが、それだけではない。
レイナルドがゲイだった。
もちろん農耕社会であるキューバでは、ゲイという言葉はない。
あるのは、ホモ=同性愛である。
彼の相手になるのは、映画では同年齢の男性だが、はたして事実はどうだったのだろうか。
農耕社会のキューバが、年齢秩序と無縁であるとは思えないから、ホモの要素が強いように感じる。

 監中で彼は転向し、2年にわたる獄中生活からやっと解放される。
もちろん転向は偽装だが、解放後は作家活動ができない。
1980年、カストロの棄民策により、彼はアメリカに亡命する。
そして、エイズの発症と、亡命者の晩年はくらい。

 事実は服毒自殺らしいが、映画では同棲中の若者ラサロ(オリヴィエ・マルティネス)に、殺してくれるように暗に頼む。
意を受けた若者が、絞殺する。
エイズで身体の弱っていた彼は、何の抵抗もせずに死んでいく。
1990年のことである。

 1人の文学者の壮絶な人生を描いて、この映画は見るものを揺さぶる。
農耕社会の見方は、射程が長い。
映画のなかでは、文学作品の内容は紹介されてなかったが、農業という長い職業が鍛えた人間観はどんな社会にも通用する。

 農業こそ人間を根底で支えるものだ。
工業社会に生きる人間も、情報社会に生きる人間も、農耕社会からの叫びには共感する。
それがヨーロッパやアメリカで、この映画が受ける理由である。

 情報社会化する現代でも、人間はものを食べなければ生きていけない。
農業から逃れることはできない。
しかし、情報社会は新しいものだ。
だから情報社会の表現は、農耕社会では薄っぺらに、嘘っぽく聞こえるだろう。

 農耕社会には情報社会の発想がないから、情報社会の小説は理解できないだろう。
農耕社会の文学は世界に通じても、逆は成り立たない。
それがアメリカの作品は、途上国そしてヨーロッパやわが国で理解されない理由である。

 やや脚色された色彩と、絵画的なカメラワークは、キューバの自然を画面に再現する。
コダック・フィルムの温かい色彩が、熱帯地方の海や空を、やさしく表現している。
そして、地面をはいつくばるような農耕社会の生活が、土の匂いと一緒に伝わってくる。
きわめて優れたカメラである。

 主人公を演じたハビエル・バルデムは、自然な演技で上手い。
同性愛を理由に国外脱出できるか、その審査ときに、同性愛の歩き方を見せろといわれる。
その時のオーバーな歩き方、良く研究している。
しかし、あれはゲイではない。
世情ではゲイがオカマだと思われているので、それを演じてみせる。

 ゲイとはきわめて男性的な資質で、決してなよなよした受け身的なものではなく、積極的で闘争的ですらある。
そして文学者もまた、表現するという意味において、積極性であり男性的なのである。

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