タクミシネマ          ザ ダイバー

ザ ダイバー    ジョージ・ティルマンJr監督

 第二次世界大戦後、アメリカではまだ人種差別は厳しかった。
ケンタッキー州にすむ黒人農家の息子カール・ブラシア(キューバ・グッディングJr)は、海軍に徴集される。
コックとして戦艦に勤務し、泳ぎの能力を認められる。
100通以上の願書を書いて、やっとダイバー養成所へと送られる。

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劇場パンフレットから
 そこにはまだ黒人はおらず、彼ははじめての黒人ダイバー養成員だった。
そして、陰に陽に差別的な対応に苦しみながらも、なんとか終了しダイバーになる。
差別は闘って克服するものだ、というアメリカ映画の典型例である。
 
 カールの自伝を映画化したのが本作品だが、実話にもとづいたものだというのは驚きである。
ちょっと見に差別が厳しいのは、職人といった専門職の集団かも知れないが、実力を認めれば差別を止めるのも、また専門職たちである。
誰がやっても優れたものは優れている。
技術は偏見をもったら、向上しない。
だから、技術者つまり職人たちは、プライドという偏見をもっているのであって、人に対して差別的な偏見を持っているのではない。


 当初、黒人を馬鹿にしていた教官のサンデー(ロバート・デ・ニーロ)だが、彼の必死さと能力を見込み、最後にはAsnf(a son never forgets)と息子のようにかわいがる。
サンデーがマッカーサーから貰ったパイプを離さないのは、下積みから叩き上げた彼の性格を良くあらわして。
上昇志向のサンデーの性格描写が鋭い。

 人種差別のなかで、カールはさまざまな試練にあうが、同時に友人もできるし恋人もできる。
映画のように簡単には差別はなくならないが、本人の必死さがまわりを変えていく好例である。
いわばスポコンものと言っても良いだろうか。
 
 映画の構成はきわめてオーソドックスで、物語もうまく展開する。
彼のダイバーになる動機付けから始まって、サンデー教官との出会い、サンデー教官の失意、そして前人未踏の地を切り開く根性など、よどみない話のもっていき方である。
破綻なくすすむので、危なげなく見ることができる。

 しかし、感動的な映画かというと、優等生に過ぎるのである。
表現とはほんとうに難しい。
上手くできただけでは駄目なのである。
この映画は、黒人の若い監督によって撮影されたが、おそらく大学卒であろうこの監督は優秀である。
大学できちんと映画理論を学び、過去の作品もたくさん見ているに違いない。
そして、自分が黒人であることから、黒人問題にはきわめて敏感で、差別の解消に彼も何か運動をしていると思う。


 表現とは説明ではない。
だから、諄々と説いてきかせても始まらない。
むしろ破綻していても良いから、衝撃的な主張を画面にぶつけてくれたほうが、観客は感動するのである。
題材も良いし、役者も良い。
しかし、そつがなさ過ぎるのである。
映画の終わり方も見えてしまうし、まったく非の打ち所のなさが物足りない。
かと言って娯楽作品というには、高尚すぎる。
観客とは勝手なものである。

 海軍という男社会を、人種差別をはねのけて、よじ登ろうとすると、どうしても男性映画になってしまう。
女性は家族を守り、男性が格闘する姿を眺めるだけになってしまう。
そうした意味では、この映画は人種差別反対ではあるが、時代とはいえ非常に女性差別的である。
黒人を主人公にした映画は、最近とても多い。
デンゼル・ワシントンやモーガン・フリーマンらが、メジャーの映画で主役を張ることも珍しくない。
それだけ黒人の観客層が、育ってきたと言うことだろう。
メジャーが黒人を相手にしても、採算にのると考えはじめたのだ。

 この映画では、サンデー教官の奥さん役で、シャーリーズ・セロンがでている。
彼女はスタイルも良いし、とても美しい。
アシュレイ・ジャッドとならんで、いわゆる正統派美人である。
しかし、美しい彼女の活躍は、世の中の女性たちの力が落ちてきたことを、暗示してはいないだろうか。


 美しく生まれてしまった彼女には、何の責任もないし傍迷惑な話だろうが、現代のヒロインは美人ではいけないのだ。
美人がヒロインを演じたのは、女性が男性の囲われ者として、専業主婦になる存在だったからである。
女性には自分が売るべき労働力を持たず、自分の身体を専業主婦として売らなければならなかった時代、女性の商品価値は美しさだった。
だから、初期工業社会のヒロインたちは、グレース・ケリーやデートリッヒのような美人だったのである。
 
 いまや女性の価値は、自分が決める。
つまり女性も男性と変わらない労働力を持っている。
だから美醜が女性の商品力を決めるのではなく、男性と同様に労働力なのだ。
それを反映して、アメリカ映画では、キャメロン・ディアスやジュディ・ロバーツと言ったブスイ女性が、主役を張るのである。
ブスイ女性を観客が求めている、といったほうが良い。
しばしばにわたる美人の登場は、ちょっとした異変が起きている、そう思えて仕方ない。
ブッシュ政権の登場とともに、フェミニズムには再度のバック・ラッシュがおきているのだろうか。
 
2000年のアメリカ映画

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