タクミシネマ       将軍の娘 エリザベス・キャンベル

将軍の娘エリザベス キャンベル
  サイモン・ウエスト監督

 ウエスト・ポイントつまりアメリカ陸軍士官学校で、大規模な夜間演習があった。
その時、闇に乗じて一人の女性兵士エリザベス・キャンベル(レスリー・ステファンソン)が強姦された。
レスリー・ステファンソンの華奢な体で、軍事行動も1番とはちょっと首を傾げるが、とにかく彼女は、学力体力ともに全校で1番と優れ、しかも極め付きの美人だった。
軍隊という腕力支配の社会で、美人女性が軍事行動でも一番というのは、他の男性たちのやっかみを買っていた。
その嫉妬心が、彼女を強姦させたのだと映画は言う。
将軍の娘 エリザベス・キャンベル [DVD]
劇場パンフレットから

 通常、強姦事件があれば、当然に犯人探求に向けて捜査が始まる。
しかし、彼女はキャンベル将軍(ジェームス・クロムウェル)の娘だった。
将軍は、音便にという上部からの圧力に屈し、強姦事件はなかったことにせよと娘に告げる。
実は、将軍自身が政界に転出して行くつもりであり、娘の事件が公になることは、マイナス・イメージだと考えての行動だったのである。

 それで納まらないのは強姦された娘である。
強姦は犯罪であり、自分は被害者だ。
それを父親の出世欲によって、もみ消されたと考えた彼女は、それまでの緊張感あふれた優秀な学生を、続けることはできなくなってしまった。
やっとのことでウエスト・ポイントを卒業し、7年たった今は父親が管轄する連隊に大尉として勤務している。
しかし、父親への反抗として、連隊の全男性士官と肉体関係を持っている。
若くて美人が言い寄るのだから、連隊のほとんどの士官が彼女になびいた。
妻子のある士官まで、彼女に夢中になる有様だったが、強姦された彼女は、肉体関係だけの相手として男性たちを冷徹に見ていた。

 ウエスト・ポイントでの事件を知っている人たちは、エリザベスを何とか立ち直らせようとしていた。
エリザベスの上官であるムーア大佐(ジェームス・ウッズ)もその一人だったが、彼の熱意は彼女と肉体関係を結ぶことになっていった。
そんなとき、彼女は父親に自分の受けた傷を判ってもらおうと、一大芝居をうつ。
それはかつての強姦事件の再現だった。

 ムーア大佐の協力によって演出された場所に、夜中の3時、父親の将軍が呼び出される。
エリザベスは全裸で地面の上に、大の字に縛り付けられていた。
しかし、父親は娘の言葉を聞きながら、助けるでもなく立ち去ってしまう。
連隊中の男性と肉体関係を持っている娘は、もはや彼の関心事ではなく、むしろ厄介者だったのである。
その30分後、現場に来たケント大佐(ティモシー・ハットン)によって、彼女は殺されてしまう。
ケント大佐は彼女と肉体関係を持ち、彼女に心底惚れ込んだのだが、すべての男性を軽蔑している彼女には、彼も愛の対象にはなり得ない。
彼女はケント大佐を罵倒する。
罵倒の言葉を聞いたケント大佐は、愛情が憎悪へと変わって彼女を殺してしまう。

 4時になって、将軍の身辺つきのファウラー大佐(クラレンス・ウィリアムズV)が現場に行って、エリザベスが殺されているのを発見する。
将軍に心酔する彼は、父親が娘を殺したと思い、事件を闇に葬ろうとする。
そこへ、CID調査官ポール(ジョン・トラボルタ)とサラ(マデリーン・ストウ)が登場する。
彼等は軍内の捜査官である。
通常の指揮系統とは別の命令系統で動いており、将兵たちの逮捕権を持っていた。
彼等の活躍で事件は解決するのだが、ムーア大佐がゲイだったり、ポールとサラが昔結婚しようとした仲だったりと、お話をふくらませてあり、そこそこに楽しめる娯楽作品に仕上がっている。

 軍隊に限らず、ある特有の規律を持った集団で、その規律を逸脱する事件が起きると、加害者ではなく被害者のほうを罰する傾向がある。
組織の秩序を乱した裏切りというわけだ。
今回の事件も、強姦事件が主題として扱われているが、強姦だけに限ってみる必要はないだろう。

 どんな事件でも、異質な分子を制裁する働きは、特殊な集団であればあるほど強い。
密告したとか変わっていると言って、同僚をいじめる構造は、強姦を主題としたこの映画と同じだし、いじめであっても殺してしまうことさえある。
最近でこそ、いじめられたほうが被害者だと認識されてきたが、当初はいじめられる方にも問題があると見られていた。
そこではいじめられても仕方ないと見なされ、被害者が組織の秩序を乱す者、つまり組織への加害者のように扱われていた。

 被害者と加害者の逆転現象は、何を最も大切な価値とするかによって起きる。
人間の命や体、精神的なプライドといった個人的な尊厳を、最も大切なものと考える社会では、この逆転はおきようがない。
しかし、人間の個人的な尊厳より、組織の規律や秩序また社会的なメンツが優先する社会では、この逆転は簡単に起きてしまう。
そこでは組織の規律が人間の生き方を支えており、その規律が崩れることは、そこに生活するすべての人が生きる規準を失うことを意味する。
とすれば、たった一人の死は、事故によって死んだことにし、不問に付したいという心理が働くのは当然である。

 どんな軍隊でも特殊な集団であり、その軍隊が属する外の社会から監視されている。
個人の尊厳を無視して良いという理屈は通用しない。
殺された被害者の尊厳は、回復されねばならない。
だからこの映画になる。いじめが発生し始めた当初、いじめられた者を組織への加害者と見なし、単なる偶発的な事故として処理しようとした。
しかし、いじめによる死が頻発すると、そうは言っていられなくなる。
いじめによって死者が出る。強姦事件と同様に、いじめはどこにでもある事故だろうが、その処理が問題なのである。

 人間が集まって成り立っている社会では、各人の尊厳がその根底を支えているのは当然で、それを無視したいかなる組織結集規準も存在しない。
組織や社会の秩序が優先する社会を、言いかえると封建社会とも呼ぶが、いかに封建社会でも各人が次々にいじめられて死んでいったら、社会自体が成立しない。
被害者の尊厳より組織の秩序が優先するとき、もはやその組織は今日的な生命を維持できない。
この映画では、「裏切り」は強姦より悪いと言っていたが、組織への裏切りより個人の尊厳の方が上位価値である。

 封建社会が充分に機能しているうちは、誰でも封建社会の掟に従うのだ。
その掟に従うことが、各人の利益でもあるのだから、掟から逸脱する人間は生まれようがない。
だから、誰も封建社会の掟に背いて死ぬことはない。
しかし、封建制がその社会の産業構造と軋轢をおこし、封建制の掟が有効性を失ってくると、その掟に従えない者が出てくる。
それでもいまだ主流は、封建的な倫理に生きているから、それから外れた者は倫理的な外部者として、集団でいじめることになる。
つまり異端者として、組織から弾き出そうとする。
封建制が命脈を保っていた時代には、いじめられて死んだ者を、組織への加害者だと見なせた。
いまや封建的な倫理は、時代に逆行するものでしかなくなった。

 軍隊は近代が生み出した近代的な組織である。
そして、学校も軍隊とならんで、近代が生み出した近代的な組織である。
つまり軍隊と学校こそ、近代社会を実現するための支配を確立する両輪だった。
軍隊と学校が、個人の尊厳をうたいながら、その実、個人を規格化していく近代社会の人間加工工場だったのだ。

 封建的倫理を引きずった社会で、軍隊と学校が近代を体現させようとしていた。
しかも他の組織と違って、軍隊と学校には、近代社会の倫理のみ存在し、倫理を牽制する制度がない。
つまり、どんな組織でも内蔵している自己の利益獲得という、自己保存の装置を学校や軍隊はもっていない。
両者ともに、税金という潤滑油が外部から注入される。
そのため、軍隊や学校といった組織や集団が時代とあわなくなっても、何時までたっても延命されていくのである。 

 国民国家の動揺により、軍隊がその存立基盤を揺るがされ、同じ理由により学校がその存立意義を問われている。
現在、急速に進んでいる国境の希薄化は、近代的な学校の存続を許さないだろう。
いじめられる者が被害者だと認識されることによって、やっと近代の幻影が晴れつつある。
組織が優先するのではなく、個人が優先するのである。
学校崩壊は当然の現象なのだ。
今や近代そのものが揺らいでいる。

 男女が平等な社会では、男女に同じ仕事が課せられる。
現在アメリカ軍には、すでに20万人の女性が働いているという。
この映画の描く世界は、軍隊とは怖ろしいところだと思わせるかも知れないが、そうではない。
軍隊といえども、個人の尊厳を大切にしなくては、もはや生き延びることはできない。
アメリカ陸軍は、親子の繋がりを越えて親の出世欲や名誉心より以上に、個人の尊厳を大切にするというメッセージを送っている。
そうした意味では、リズミカルな会話によって物語が進むこの映画は、アメリカ陸軍の立派な宣伝映画である。

1999年のアメリカ映画。


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