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ニンゲン合格        黒沢清監督 

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 この映画が好評だとは、日本の映画評論は絶望である。
主題といい、画面のスタイルといい、演技といい、まったく見るところがない。
なぜこうした映画ができるのか、また評論家に好評なのか、まったく判らない。
流行の主題を扱えば、それでもう一流とでも思っているのだろうか。
少ない観客はまったく笑わないし、途中で出てしまった人もいた。
鳴り物入りの前宣伝だったが、今日で上映打ち切りとあった。

 14歳の時の交通事故で昏睡状態となり、そのまま10年間意識不明で寝ていた吉井豊(西島秀俊)が、ある時昏睡から目が覚める。
その10年間で、両親は離婚、妹はアメリカへ行って、彼には肉親がいなくなっていた。
10年の昏睡から目が覚めた人間が、簡単に生活に復帰できないと思うが、それには目をつぶろう。

 しかし、画面に出ている吉井が、14歳のままなのか24歳の若者なのか、監督が決めきっておらず、恣意的に使い分けている。
そのために、吉井は14歳と思えば24歳にもなり、観客はどちらとも言えない人間に付き合うことになる。

 時代設定がちょっと判りずらいが、それは現代物だと理解しよう。
場所は、まだ緑が残る東京近郊の街である。
彼が入院していた病院に迎えに来る家族は誰もいない。
いくら家族がバラバラになるのが現代だとは言え、障害者を抱えた家族が簡単にバラバラになるわけはなく、この設定自体がおかしい。

 障害が家族を分裂させると見るのは、大いなる偏見である。
この監督は、後半で交通事故の加害者を道路工事の現場作業員として登場させるが、肉体労働者に対する差別意識が強いとしか思えない。
作業員である加害者を笑えと主人公に迫るが、作業者に対する差別意識がなければ、あの台詞は出てこない。

 病院で寝たきりの人間を抱えた家族が、逆にそれを核に結束することもある。
だから、寝たきりの人間がゆえに家族がバラバラになるというのはで説得力がない。
家族が崩壊したと言うことが、ただ理由もなく前提にされるが、まったく説得力がない。


 この説得力のなさが、最後まで尾を引いている。
つまり、家族崩壊の原因がきちんと説明されてないので、主人公が家族を復活させる必然性が判らない。
退院後なぜ彼は、牧場を復活させる行動をとったのか判らず、まったくのっぺらぼうの映画だった。

 家族を扱いながら、なぜ家族が崩壊していくのか、その原因がこの監督には分かってないので、映画を通して何を訴えたいのか伝わらない。
家族崩壊という現象が流行なら、それで行こうって感じで映画を作っている。
これでは何も考えてないに等しい。
家族崩壊の現実を否定したいのは良い。
家族の繋がりが大切だと考えるのも良い。

 しかし、現実に家族が崩壊していると認識するなら、その背景を考えずに、ただ家族の再結束を訴えるだけでは、
監督の家族の再結集という願望に過ぎない。
とにかく10年間に家族が崩壊した。
そこで彼は目覚めた。
さあどうする、って処から映画は始まる。
これじゃ観客は話についていけない。

 主人公を病院に迎えに来るのは、父親の大学時代の友人である藤森(役所広司)である。
吉井家の広い土地を借りて釣り堀を営む藤森は、彼を引き取ってめんどうを見る。
しばらくは二人だけの生活である。
しかし、藤森もめちゃくちゃ。
10年間の空白がある知っていながら、藤森は彼に車の運転を教えたり、ソープへ連れていったりする。
彼の運転する車が、自転車とすれ違うと自転車が倒れるなと思うと、案の定自転車は転倒する。
次の展開が判ってしまう平凡さ。

 最後には、冷蔵庫が崩れてきてその下敷きになって、彼は死んでしまうのだが、その死に関しても極めて恣意的で説得力がない。
突然の事故で主人公を死なせるのは、もっとも下手なストーリー展開である。
しかも主人公の最期に、「僕は存在したか?」「ああ、豊は確実に存在したよ」という未消化で臭い台詞。
存在したかなんて台詞を、現実に使うと監督は思っているのだろうか。

 何人もの登場人物をカメラに平行に立たせるので、画面が平板的で立体感がまるでない。
しかも、心象風景の表現のつもりだろうが、人物が動かないシーンが無意味なまま長く続く。
映画の特権は、画面が動くことなのだから、動きを止めるのは特別の時だけである。
主人公が拒否の抵抗姿勢を示すときは、決まってしゃがみ込む。
それを無理矢理に連れていこうとする藤森。
そのシーンが三回もある。

 出ていった母親は、ブティックらしきところで働いているが、簡単に戻ってきて一緒に生活を始めてしまう。
アメリカに行ったはずの妹も、なぜか一緒に生活を始める。
しかも、妹のボーイフレンドは、家族が集まり始めると、自分は目障りだと出ていってしまう。
家族が他人を排除するが、夫婦は元々他人である。
この監督は家族は血縁でつながれているという血縁幻想に囚われている。

 家族の崩壊は社会的な背景があり、今や必然なのである。
すでに核家族は社会的な適応力を失っている。
そうした現代にどうすればいいか、多くのアメリカ映画は必死になって解答を捜している。
アメリカ映画は現実が判っているので、単純に過去を懐古しない。
血縁では対抗できないことが判っているから、血縁の核家族を復活させようとはしない。
しかし、この監督には血縁の核家族の復活しか見えてない。
愛情によってだけつながる家族の形成がなぜ求められているか、理解することはできないだろう。
本当に金を返せの映画だった。
1999年日本映画。


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