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アンディ・カウフマンという稀代のコメディアンの物語である。彼は1949年に生まれ、35歳の若さで肺ガンのために亡くなった。彼の活躍した1970年当時、アメリカのコメディは直接的演技で笑いをとるのが主流で、いわば通俗的なものだった。それに対して彼は、観念的な笑いつまり自分をも笑いのめす新たな笑いを追求していた。 彼は観客をも笑いの対象にしたので、予定調和的なエンターテインメントの枠内にはおさまりきれず、時として観客の戸惑いや怒りをかった。そして、きわめて知的なショーを見せたがゆえに、必ずしも多くの人に理解されたとは言えなかった。しかし判る人には、彼の新しさは充分に理解されており、彼の死後もエンターテインメントの世界では彼の名前はしばしば登場し、とうとうこの映画となったわけである。
近代とそれ以前では、笑いの質が変わっている。近代以前の笑いは、他者を笑うものが主流である。バナナの皮を踏んで転んだ人を見て笑う。他人の仕草や態度がおかしいというのである。このおかしさは、多くの人が示す態度を通常のものと仮定しており、多くの人がそれを共有しているから笑えるのである。前近代は農業を主な産業としているので、同じ仮定を全員が共有していたのである。 自我の意識が生まれた近代以降になると、他者の言動を自己の存立基盤との関係の中に取り込む目ができてくる。ここで他者を笑う行為は、つねに自己へと返ってくる視点が登場する。そのため近代以降は、他者を笑うことが、正当な自己から他者を見ることつまり他者を嘲笑することになった。いいかえれば、他者を笑うことは、他者を馬鹿にすることであり、他者を笑うことは自己を正当化することになった。そのため、他者のしくじりを笑うことは、非常に失礼なことになった。もはや他人の失敗を、大きな声で笑うことは許されなくなったのである。 近代以降の他者への笑いは、非常に危険な作用を持つようになった。つまり、自他意識の登場した社会では、他者への笑いは他者への攻撃になりかねないのである。必然のこととして、近代人は笑われると怒るようになった。しかし、他者と自己の緊張関係は自己へも返ってくる。他者への視線は、そのまま自己へと向かった。それは「考える、故に我あり」=自己相対化そのものであり、近代が初めて生んだ視点だったのである。 近代アメリカに生まれた笑いの天才アンディ・カウフマンは、すべてを笑いの対象にした。もちろんそれは、現実を現実と同質な自己が笑うのではなく、虚な自己が笑うのである。虚な自己を支えるには、きっちりとした観念が必要である。虚が現実を切開するこの構造は、すぐれて情報社会のものである。 早すぎた天才コメディアンの笑いが、他人を傷つけるように見えるもの当然である。自己と他者を区別することなく、虚が自立し笑いを展開すれば、人間存在は全部的に切開される。こうした状況で笑いの対象にされた人間は、顔が引きつるのである。もちろんカウフマン自身も、顔を引きつらせて面白がっていることは言うまでもない。 実際のアンディ・カウフマンは、コメディのスーパースターだったわけで、この映画が描いているのとは随分違うと思う。この映画はカウフマンを絶賛していない。おそらく映画製作者たちの意図は、インターネットのようにコメディというバーチャル・リアリティが、現実の人間を突き動かすこと。その先頭を切っていた人物として、カウフマンをとらえていたように思う。 天才カウフマンとしても、時代の子である。この映画で展開されたような虚に生きる観念としての笑いを、一貫して追及したのではあるまい。虚なる観念が現実を支えるのは、情報社会のものであり、彼の生きた時代のものではない。そうした意味ではこの映画は、彼の舞台や彼の人生に借りた、映画製作者たちの笑いにたいするメッセージであろう。とりわけ1979年から始まった「男女混合レスリング」に相当のカットを割いているのは、当時隆盛だったフェミニズムへの批判を含んでいるように感じる。 大勢のカメオ出演がある中、カウフマンに扮したジム・キャリーの演技は、押さえてシリアスでなかなかに見応えがあった。現存するコメディアンとしては、最右翼の才能を誇る彼が、この役を演じるのはきわめて自然であり、また上手い演技だった。また、アンディのマネージャージョージ・シャピロには、ダニー・デヴィードが扮しているが、存在感と天才の間に挟まれた困惑が良く出ていた。奥さんのリン(コートニー・ラブ)との幸福な家庭生活があったようだが、観念を組み立てる作業は一人で行うものであり、表現の天才はやはり孤独なものだ。 1999年のアメリア映画。 | ||||||
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