タクミシネマ        金融腐蝕列島〔呪縛〕

金融腐蝕列島:呪縛       原田真人監督

 1997年の第一勧業銀行(映画の中では、朝日中央銀行ABCと改名されている)の総会屋への融資をめぐり、揺れに揺れた銀行内の様子を描いたもので、重厚で本格的な映画に仕上がっていた。
不正融資から東京地検特捜部が、第一勧銀に強制捜査にはいる。
その時は、経営者たちはそれほど大きな事件になるとは思っていなかった。
しかし、特捜部は現頭取・会長だけでなく、前頭取・会長など次々に逮捕していく。
そこまで行って初めて、大事件だと察知した経営陣は大混乱になる。

 経営陣の混乱・無責任さを目にした若手4人が、第一勧銀を再生するために、身をなげうって活動を始める。
そのいきさつを映画は追っていく。
この映画は、経営陣の腐敗を主題にしているのではなく、北野(役所広治)片山(椎名桔平)松原(中村育二)石井(矢島健一)の若手4人組、なかでも北野の銀行再生が主題である。
彼等4人組は第一勧銀を救うべく、上司を飛び越えて直接に役員たちと交渉し、調査委員会を設置させる。
そして4人は、12人で構成される調査委員会の主要なメンバーとなり、銀行再生に取り組むのである。

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劇場パンフレットから

 映画だから、実際の話とは少し違うだろうが、それでも大筋ではああした事件があったことは事実である。
そのなかにどんな主題を読み込むかは、まったく製作者たちの自由である。
原作はおそらく企業の人間が旧習に呪縛されていたことが主題だろうが、この映画では腐敗・不正融資が起きたことより、若手の会社愛や仕事への情熱を中心にしていた。
外部にいる人間たちは、当事者たちの苦悩を無責任にあげつらうことができる。
しかし、内部にいる人間にとっては事情は大違いである。

 組織が存亡の危機に立たされたとき、その内部にいる人間とても、事実の把握に奔走することは外部の人間と同じである。
しかし、内部の人間の第一の関心は、組織の維持であり再生である。
とりわけ、その組織を愛し、その組織の崩壊を座視できない者たちは、外部の圧力のなかで組織を再生させるための行動に出る。
それは健全な組織であればあるだけ、再生のための行動が強力になされる。

 組織がその結集目的のために円滑に動いているのは、組織が社会に上手く適合しているからである。
ところが一度歯車が狂い、没落に向かい始めると、上手くいっていた原因がすべて負の要因になる。
第一勧銀は、第一銀行と勧業銀行が合併してできた銀行であるので、頭取と会長がそれぞれの出身母体から互選されていた。
それがこの銀行の穏健な行風を作っていたが、逆風になるとそれが無責任体制となり、誰もことの本質に立ち向かわなくなる。
今まで長所だったことが、すべて欠点となってしまうのである。

 第一勧銀は、幸せな銀行だった。
無責任な役員たちにたいして、自行を愛する社員をたくさん抱えていた。
そして、全役員を解任し、新たな出発に向けて、新役員体制を作ることができた。
その過程を映画は、とても肯定的に描いていた。
第一勧銀は株主総会の公開ほか、情報開示する姿勢を打ち出すなど、改善策が打たれる。
それを見たこの事件を最初から追っていたカメラマンに、第一勧銀に口座を開こうかなと言わせている。
もちろん最後には、北野にも自行の宣伝をさせている。
第一勧銀の不祥事を扱いながら、そうした意味では、きわめて優れた第一勧銀の宣伝映画になっていた。

 東映が力を入れたせいだろうが、力のある役者たちがたくさん出演しており、やや重い演技ながら充分に見応えがあった。
映画の中で大勢の登場人物を動かすことは、それはそれで大変だと思うが、映画はテンポよく展開する。
大勢が登場するので、その分人物の描きこみ不足の感があった。

 経営者たちの人物像が、自殺した久山(佐藤慶)を除いて個性がないのも、いかにも日本的な企業風景である。
彼等は、くっきりと際だった個性を持たず、誰が誰だか判らない。
役員のなかで誰かと誰かを入れ替えても、気がつかないくらいによく似た人たちである。
そのなかで、最高顧問の佐々木(仲代達也)に悪のカリスマ性を演出するために、彼の足を不自由にさせたように思う。
健常者のままでは、いくら仲代達也でも悪人という強烈な個性を、あれほどに演技できなかったかも知れない。

 映画としてみても、いまだ日本映画の良き伝統は死に絶えていないことを知らせてくれた。
丁寧に作られたセット、惜しみない物量、充分なライティング、物語にあった発色など、職人的な映画作りは健在である。
実に丁寧に良く作り込んである。
最近の日本映画では出色であろう。
しかし、問題はいくつかある。
まず、画面が平板である。
立体的な世界を撮影しているのだから、きちんと立体的に再現されて欲しいのだが、画面に立体感が乏しいのだ。
一般に日本の映画は立体感が乏しいと思うが、このくらいに本格的に作られた映画では、立体感をだすライティングの仕方を研究すべきだろう。

 ブルームバーグという実在のアメリカの放送局が、実名で映画に全面的に協力した。
プレスクラブの中にあるスタジオや、アンカーウーマン和田(吉村麻由美)を提供していた。
吉村麻由美のアンカーウーマンは女性の社会進出をたびたび口にし、ややきれい事な感じがしたが、それでも日本のキャスターとは違った責任感を感じた。

 仲代達也や佐藤慶など年寄りたちの存在感があるのに対して、根津甚八など中年の俳優たちの存在感が希薄である。
それは土着的な人間像から、情報的な人間像への変転を表しているのであり、今後ますます軽い人間が多くなっていくだろう。
土着的な存在感とは違った意味での、存在感が生まれてくるに違いない。
ところで、観客の年齢層が非常に高く、中高年それも銀行員と思われる風体の人たちが多かった。
若い人たちの多いいつもの映画館とは違って、なんだか不思議な雰囲気の観客席だった。

1999年の日本映画。


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