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ブレア ウィッチ プロジェクト
 マニエル・マイリックエドゥアルド・サンチェス監督

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ブレア・ウィッチ・プロジェクト [DVD]

 1994年10月のことである。
3人の大学生が、メリーランド州はバーキッツビルの森にブレア魔女伝説を撮影に行ったら、それっきり帰ってこなくなり、1年後にフィルムだけ見つかったという映画である。
どうやってフィルムが見つかったのかなど、細かい情報はまったく知らされず、いきなりフィルムを見せられる。
彼等が1週間近くさまよい歩いた道に沿って撮影されたフィルムが、編集されて1時間20分の映画に仕立て上げられている。
しかも、手持ちの16ミリカメラで撮られているので、画面は荒くしかも揺れている。

 撮影隊の構成はリーダー格の女性ヘザー(ヘザー・ドナヒュー)、それに付き合った男性ジョシュ(ジョシュア・レナード)とマイク(マイケル・ウィルアムズ)である。
女性のリーダーが今風。撮影に出発の朝の様子、ブレア村に着いてから村の人たちへのインタビューがあって、彼等は森の中へと入っていく。
最初は元気良くカメラを廻しながら、足取りも軽く進んでいく。
森に入って1日目は無事終了し、野営。
2日目になって、道に迷うが気にしない。
リーダーのへザーは撮影したいがために、道を捜さずに前へ前へと進む。
浅い森だと全員がタカをくくっていた。

 3日目。帰ろうとしたら、完全に道に迷っていることがわかり、困惑する。
何とかなるさで、歩き始める。
しかし、どうにもならない。
翌日も歩くが、道を発見できない。
やがて、地図を紛失していることが判明。
リングワインデルに入ってしまった彼等は、同じ所を歩きまわるだけ。
いつの間にか、ジョシュがいなくなる。
何日も歩くうちに魔女幻想に取り付かれ、恐怖のどん底に突き落とされ、廃屋を発見するが不帰の人となるらしいところで映画は終わる。

 どうもよく判らない映画だったが、神のあり方が変わったことは判る。
農耕社会の人々は神様と一緒に生きていた、つまり自分の中に神様がいたから、どんな山の中でも一人で生きていけた。
自然を創った神様と一緒なのだから、どこにいても怖いことはない。
世界はすべて神の庭であり、人間も他の自然物と同様に神の子だった。
もし死ぬとしても、それは神が自分に与えた霊を、神が引き戻すだけである。
だから、何も怖いことはない。
しかし、近代社会の人間は神を殺してしまった。
この世界は神が創ったものではなく、人間が創ったものである。
神から自立した人間は、神を無用のものとした。
神から見放されて孤独な人間は、自然の中では人間以外の自然の敵対者となってしまう。
当然のこととして、生の自然は恐怖である。

 人間世界の探検心にとんだ若者が、カメラを肩に魔女を撮影しに森のなかに入る。
この構造自体が自然と対決するものだ。
神を絶対の正義として人間が自覚したとき、人間は神を心の外へと押し出したのだ。
その時、神は人間を離れて、人間の外に存在するようになった。
そのため、人間にとって絶対の悪、つまり魔女の登場は不可避となった。
魔女を対象化すること自体が、決して自然に従う姿勢ではない。
一度、人間の論理が破綻した後は、人間は不可知の世界に翻弄される生き物になる。
しかも、他の生き物とことなり、人間は自然に逆らって知恵を持ったので、生の自然の中に放り込まれたら独力では生きていけない。
怖ろしい魔女幻想が幻聴を生み、想像力が肥大し、自己撞着に陥っていく。
川の近くにいながら、川を利用できない。
ここでは自然はもはや人間の敵対者である。

 実話のように仕立てた映画だが、この映画で何を伝えたかったのだろう。
自然とは無縁になってしまった人間を描きたかったのか。
それとも、無計画な若者の行動か。
もしくは、魔女の恐怖か。
いずれにせよ、素材だけを放り出されたようで、アメリカでも日本でも大人気だが、主張を理解できない映画だった。
撮影という作業は、実話そのものと言うことはあり得ず、どんなに実話ふうに撮ってもフィクションであることは自ずと判る。
おそらくこの映画のファンは、フィクションであることを知っているだろうが、実話とフィクションの境目を楽しんでいるに違いない。

 プログラムによれば、この映画は実話であるように見せるために、通常の映画とはまったく違った撮影方法を採っている。
役者を役者だけで行動させ、彼等にも撮影もさせているのである。
とくに最後の廃屋の場面は、完全に役者だけの撮影のようだ。
しかも、恐怖の場面は純粋な演技ではなく、本当に何日か孤立させたとも言う。
監督たちは離れた場所にいて、GPSで俳優たちの場所を確認していたらしい。
フィクションと実話の結合により、実話らしく見せる手法は試みられたこともあるが、この映画のように徹底したものではなかった。

 多くの配給会社が見向きもしないなかで、アーティサンが買って配給したのだが、たった数百ドルで制作された映画が、今やメガヒットとなっている。
筆者がバイヤーだったとしても、手作りぜんとしたこの映画を買うのは、躊躇しただろう。
もう一本作ってくれないと、製作者たちの才能はよく判らない。
この映画がヒットしている背景を理解できないのは、筆者が時代の感性から外れたのかも知れない。
「マトリックス」のように完全に作り込んだ映画と、この作品のようなヘタウマ映画が、まったく併存する時代になったと言うことか。
しかし、フィクションが実話に負けることを認めたら、人間の創造力への敗北宣言でしかない。

1999年のアメリカ映画。


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