タクミシネマ        アンジェラの灰

アンジェラの灰    アラン・パーカー監督

 1935年のニューヨーク。
大恐慌の嵐が吹き荒れて、アメリカは不景気だった。
アンジェラ(エメリー・ワトソン)の一家は貧しく、4人の男の子がいるなかに今女の子が産まれた。
しかし、幾日もたたずにその子は死ぬ。
人は良いがプライドの高い父親(ロバート・カーライル)は、わずかのお金が入るとそれで飲んでしまい、家にはお金を入れなかった。
仕方なしに故郷のアイルランドへと帰ることにした。
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 しかし、アイルランドでも職はない。
わずかの稼ぎも酒に消え、小さな子供たちも極貧の中で次々と死んでいった。
そのうえ、新たに子供が生まれる。
この映画は、後年ピューリッツァー作家になった長男フランク(ジョー・ブリーン、キアラン・オーウェンズ、マイケル・リッジ)の成長を描いた自伝的なもので、とにかく貧しかった時代が冷静に描かれている。
2時間半近い映画の大半が、アイルランドでも貧乏な地区であるリムリックでの生活にあてられている。
貧しい生活のなかで彼がいかに生きてきたかが語られる。
駄目なオヤジだけれど、妻を愛し妻からも愛され、話がうまく子供たちからは慕われていた。
それも途中までで、父親は出稼ぎに言ったきり帰ってこなくなる。


 アパートからも追い出され、母親の従兄弟を頼って居候させてもらう。
従兄弟から厳しくあたられるが、母親のアンジェラはその男と同衾している。
貧しいがゆえに、家賃がわりに身を売っているのではないことが、子供心にも何となく伝わってくる。
父親の影を引きずる彼には、そんな母親の女性性がやりきれない。
やがて電報配達員に採用され、アメリカ行きの切符を手にするために必死で働き始める。
この時代、アメリカは希望の地だったのである。
様々に批判されるアメリカだが、世界の反体制運動家や貧乏な人にとって、今でもアメリカが希望の地であることは、わが国ではあまり知られていない。
後年になって出世したフランクは、家族をアメリカに呼び寄せている。

 映画としては、貧しい生活とそのなかでのフランクの生活を坦々と描き、とくに雨のシーンが貧しさを強調している。
映画の半分くらいが雨ではないかとすら思えるほど、雨のシーンが多い。
それにダブリンは寒そうだ。
そうした貧しさの状況描写を別にすれば、この映画が訴える主題といったものは特別にはない。
見るべきは時代背景である。
大恐慌後とはいえ、フランクの家は特別に貧しかった。
しかも、貧乏が身に付いていないから、貧しいことが精神の傷になる。
彼は施しにすがって生きる人間ではなく、心の傷が出世への契機になっていったのである。


 産業革命以降、イギリスでは農村から弾き出され、都市にしか住む場所が無くなった膨大な人たちを生みだす。
アイルランドも同様だったから、アメリカへ渡る人間を生んだのである。
都市生活は消費しかさせないから、現金収入が不可欠である。
しかも農村と違って女性の職場は少なく、充分な収入のかせげる職場は男性に独占されていた。
その男性が稼がないと極貧である。
稼がない男性は何をかいわんやで、アラン・パーカー監督はこの父親に温かい目を向けていたが、ふつうなら無条件に父親失格であろう。
それでありながら、子供は次々に生まれ、栄養不良で次々に死んでいく。
アンジェラも66人の子供を産むが、半分は死んでいる。
この映画では、アンジェラは子供を産む存在でしかないように見えるのは、筆者の偏見だろうか。
生きる術を持たないアンジェラも、父親と同様に生活失格者のように見えたが…。

 前近代では人間の命は軽いものだったから間引けたが、近代になるとそうはいかない。
全能だった神を殺し、人間が神の椅子に座ったのである。
人間の命こそ至上のものになったから、生まれた子供を間引くことはできなくなった。
しかし、今日と違って避妊技術が確立していなかったから、子供は続々と生まれ続けた。
そして次々に死んだのである。近代の初期まで、わが国でも多産多死は同じだった。
わが国で出生率が下がり始めるのは、1960年代になってからである。
時代の転換点では、貧乏な人にそのしわ寄せが、増幅されて押し寄せてくる。
そして、宗教が諸刃の剣となって貧乏人を襲う。
この映画でも宗教への醒めた目があちこちに見える。


 映画は一家がアメリカからアイルランドへと帰るところから始まり、フランクがニューヨークに着くところで終わる。
やや青みがかった色調が、冷たい空気と厳しい生活を表していた。
時代背景や歴史観がきっちりと下敷きに流れ、近代という時代の厳しさを感じさせた。
途上国を踏み台にしているかも知れないが、こうした貧しさは1960年以降の先進国ではもうない。
意外かも知れないが、この映画からはイギリスは先進国だったと感じさせる。
なぜなら、アンジェラの住んでいた家はまだまだ広いし、失業補償や社会福祉があった。
わが国で社会保障制度が整備され始めるのは、1960年代になってからである。
そして、アジアのスラムはもっともっと狭い家が密集しており、共同体的な精神の強い繋がりによって支えられている。
東南アジア諸国はこの時代の厳しさを、今体験させられている。

 多産多死を見ていると、手軽で確実な避妊技術の確立は、女性解放への最高の贈り物だったことがわかる。
そして、男性に養われず自分の生活ができる現代は、女性にとって至福の時代だろう。
ちょっと気になったのは、この映画は貧乏そのものを描いたのではなく、出世した人間の伝記を描いたと言うことだ。
貧乏な人はたくさんいたのであり、多くはそのまま死んでいったのだ。
なぜ彼の貧乏生活が、映画に描かれるのかがよく判らなかった。

1999年のアメリカ&アイルランド映画。

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