タクミシネマ       ヴァージン フライト

 ヴァージン フライト   ポール・グリーングラス監督

 手作りハングライダーで空を飛ぼうとする神経質な男性リチャード(ケネス・ブラナー)が、ちょっと世間を騒がせた結果、社会奉仕活動120時間を言い渡される。
それは、田舎の町に住むジェーン(ヘレナ・ボナム・カーター)の世話だった。
彼女はMNDという進行性の難病で、25歳だが、もう余命幾ばくもなかった。

 ジェーンは16歳までは普通の女性で、ボーイフレンドもいた。
しかし、病気にかかってからは車椅子の生活で、いまだに処女だった。
精神的にはまったく普通の彼女は、セックスを経験しないで自分の人生を終えることは、何としても残念だった。
性的なことに関心を持ち、何とか男性体験を持ちたいと考えて、リチャードに頼む。
当初、彼はその頼みを拒否するが、彼女の正当性にひかれて、やがて何とか希望を叶えようと奔走し始める。
まず、男性を紹介してくれそうな施設を回るが、すべて拒否される。
次ぎに障害者が集まるクラブに行くが、そこは障害者同士を紹介しあうクラブで、彼女にはロマンティックな雰囲気がみじんも感じられず、彼女のほうが断固拒否する。

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劇場パンフレットから

 ジェーンはリチャードに自分を抱いてくれというが、リチャードはそれを拒否する。
自分がクリップル(=障害者)だから嫌なのかとジェーンが聞くと、そうではないと答えながら、理由を聞かれると返事ができない。
しばらく考えた後で、自分の心がクリップル(=障害者)だからと答える。
このやりとりもそのとうりだろうが、愛情を感じない相手に、性交を強制することも出来ないのは事実である。

 男性売春夫を紹介しようとするが、彼女はリチャードも売春婦と寝たいかときく。
セックスにはロマンスがないと嫌だねと、リチャードが答えて、これもダメ。
彼女は「プリティ・ウーマン」を話題に出し、ジゴロなら良いとなる。
あるホテルのロビーで格好いいジゴロを見つけた彼等は、ジゴロに交渉に行く。
料金が2000ポンドと聞かされて、一時は諦める。
しかし、それしかないと考えたリチャードは、銀行強盗をしてお金を作る決心をする。

 ジゴロがホテルにやってきて、いざベットにはいると、彼女は大きな声をあげて躊躇。
その間、銀行強盗を決行すべく銀行へ行ったリチャードは、かつてのガールフレンドと会って目が覚め、何も盗らずにホテルに駆け戻る。
ジェーンを裸にしただけのジゴロを追い出し、ジェーンと寄り添う。
ここで彼等が結ばれるかと思いきや、映画はそれを見せない。
その理由は後で展開されるシーンで説明されるのだが、納得できる。

 この映画の主題は、障害者でも普通の人間関係を結ぶ権利があるという、実現するのは難しいが当たり前のことである。
わが国では男性障害者が、健常者の女性に相手にされず、売春婦のところへ行くという話は良く聞く。
それを障害者の権利だと見るか、売春婦を買うことは女性蔑視だという意見の間で、揺れ動いている。
男性が性的な体験を持つことは障害者でも可能だが、女性の場合は非常に難しい。
同じ障害者でも、男性は能動的であるのに対して、女性は受動的な立場になりやすいうえ、セックス自体が男性の動・女性の受となりがちである。

 障害者に愛情を感じれば、何の問題もなく肉体関係まで進むだろうが、誰に愛情を感じるかは個人の感性によっている。
多くの場合、障害者は障害者であると言うだけで、マイナスの魅力を持ってしまっている。
そこから健常者と同じ地平で恋愛をするのは、なかなかに大変なことである。
まず、異性が障害者に人間的な魅力を感じる確率が低いのだ。
恋愛とは誰かが強制することではないから、障害者と恋愛しない異性を非難することは出来ない。
しかし、それでは障害者が健常者と同質の人間関係を結ぶことは遠のいていく。

 理念的には、この映画の言うことはまったく正しい。
しかし、現実を見るとき、それは非常に難しいと言わざるを得ない。
現実には難しいからこそ、この映画が作られたのだと言うことはよく判る。
ではどうしたらいいのだろう。
この映画では、ジェーンを乗せたリチャードの手作り飛行機が飛んで、彼等の心が通い始める展開になるが、現実はなかなかこの通りにはならないだろう。

 最後には、セックスより愛情や友情といったもののほうが大切なのだという結論になる。
これもそうだと思うが、精神的な愛情がより大切だと認めた上でも、障害者の性生活を実現させることは、やはり必要だし大切だろう。
性が誰にもあり、性交の結果生まれてきたのが人間だとすれば、誰にも性交することは確保されるべきである。
障害者に健常者と同質の生活を保障するとは当然のことだが、それをどう生み出していくかは難しい。
とりわけセックスという二者の関係性が集約的に表れる場面では、理念的には正当性が確認できても、現実面での実現が難しい。
難しい主題によく挑戦している映画である。

 リチャードの性格設定が、やや神経質で夢見がちであったのも、納得できるところである。
現代社会の出生コースにきちんと乗っている人間は、無意識のうちに健常者を恋愛の相手に選ぶだろう。
マイナスと思われる要素を持った人間を無意識のうちに排除する、それが世の中を上手く渡っていく方法だろう。
たまたま、自分の子供に障害者が生まれると、驚天動地の出来事になる。
体にもしくは心に障害を持った人間同士が、寄り添うのが現実なのだろう。
映画としても、綺麗な色彩であり、難しい主題を飽きさせずに良く見せた。     

1998年のイギリス映画                


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