四人の子供がいる夫婦が、20年前に離婚した。
男の子ダニエル(デヴィッドリー・ウィルソン)は父親のリー(ジャック・デヴィッドソン)に、三人の女の子は母親のアン(タイン・デイリー)に引き取られた。
そして20年後のある日、母親が倒れた。
病床で母親は息子を捜して欲しいと、長女のデヴ(アリー・シーディ)に頼む。
娘たちは渋々ながら弟のダニエルを探し始める。
離婚後、リーは事業に成功し上流階級のつき合いが始まっているし、息子はハーバードへ通っている。
庶民そのものの母親と三姉妹たちとは、別世界に住んでいた。
しかし、三姉妹はハーバードへと押し掛け、何とか彼を捜し出す。
ダニエルは結婚式を間近に控えていた。
20年は長い。
何かとぎくしゃくしながらも、三人の姉妹と弟たちが関係を取り戻し、和やかな関係が回復していく。
しかし、母親はそのまま帰らぬ人となる。
親の離婚により、子供たちの生活は大きな変化に遭遇する。
離婚に至ったということは、親たちには互いに何か不満があったからで、別れた後で伴侶を良く言うはずがない。
そうした影響を子供たちがしっかりと受ける。
子供たちへの影響を中心にしながら、この映画は離婚を冷静に描いている。
離婚は男女両者の責任であること。
離婚後は男性に有利で、女性が稼ぐことは困難なこと。
離婚や夫婦仲の影響は、一番上の子供に最も強く表れること。
年齢の小さな子供は、離婚の意味が分からないこと。
などなどきわめて詳細に、現実的な事実を細かく拾っている。
この映画での子供の描かれかたが、それぞれの年齢や上下関係を精確にとらえており、しばし考えさせられた。
親は長男や長女という一番上の子供に、無意識のうちに自分の内心をぶつけている。
長子はそれを全身で受け止め、強い影響を受けながら親との関係を作り、しかも自分の人格をも作っていく。
二番目、三番目となると、長子が防波堤の役割をはたし、年齢が小さいことも手伝って、親からの影響を長子ほどには受けないようだ。
この映画はそういった子供たちにたいする観察が素晴らしい。
長子のデヴが真面目で母親から直接の影響を受け、父親を憎んでさえいる。
末っ子のダイアン(マーラ・スカレッツァ)は脳天気楽で、気の良い奴。
次女のドナ(マーセリン・ヒューゴー)はそのあいだに入って、うまく調整役を果たしている。
いまやアメリカの夫婦の三分の二が離婚するという。
離婚は当たり前のことになった。
離婚を描いた映画もたくさんできた。
しかし、離婚を主題にした映画は、多くが大人たちの立場を描いたものだった。
離婚されたときの子供は小さくて、自分で離婚の影響を映画にしたりする年齢に達していなかったのだ。
子供の時に親に離婚された人間が、やっと自分の人生を見つめ直して表現できる時間がたった。
この映画は、離婚された子供のほうからの観察だと言える。
アメリカの離婚は1980年代から増え始めたのだから、今やっと離婚された子供の発言が登場し始めたと言える。
今後も、離婚に対しての子供たちからの発言は増えるだろう。
映画自体は丁寧に現状を見ているので、星一つを付けるが、現状の描写に終始しており、今後への展開がない。
現状の描写でも、それが充分であれば評価すべきだが、この先に離婚の原因である結婚とはどうなるのか、といった予感といったものを感じさせて欲しかった。
離婚は決して歓迎されるものではない。
しかしそれが不可避なとき、どのようにしたら幸福な離婚が可能かを考えるべきだろう。
この映画が離婚を否定していないのはよく判るし、この映画の原題は「the autumn
heart」であり、いわゆる核家族の賛美には陥ってはいない。
にもかかわらず「うちへ帰ろう」という邦題を付けてしまうところに、配給会社の人たちの時代にたいする無理解がある。
人間が自由になるために、離婚の自由を獲得したのだ。離婚を否定的に見たら、人間の自由はなくなる。
1998年のアメリカ映画
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