タクミシネマ        ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ

ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ
      ガイ・リッチー監督

 ロンドンの下町での話。
一攫千金を夢見る若者4人(ジェイソン・フレミング、デクスター・フレッチャー、ニック・モーラン、ジェイソン・ステイサム)が、各自25,000ポンドのお金を出し合って、 ニックのカード運にかける。
彼は10万ポンドもって1人でカードにのぞむが、反対に50万ポンドの借金を作って帰ってくる。
それを返すために画策する映画だが、軽いノリでリズム良く展開する。
ややブラックなユーモアあふれる画面作りで、とても今日風である。
ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ [DVD]
前宣伝のビラ

 大麻を栽培している若者たちのところへ、隣室の男たちが強盗に入る計画をしている。
それを聞いたニックたちは、強盗の彼等から奪おうと計画。
まんまと成功する。
当然、放っておかれるわけがない。
隣室の男たちも捜すし、若者の黒幕である黒人たちも動き出す。
それが何と、ニックたちを飛び越えて、悪者たち同士で撃ち合いになり、結局4人と借金の取り立て屋以外は全員死んでしまう。
4人には、アンティークの拳銃が2丁残される。これが25〜30万ポンドもするというオチである。

 カード賭博を開いているポルノショップのオヤジ、大麻を栽培して金を稼いでいる若者たち、その黒幕の黒人たち、間抜けな2人組の泥棒、借金の取り立て屋などが起こす騒動が最後には、1点に集中する。
それが面白さだろうが、特別な主題があるわけではなく、ノリの良さだけで見せる映画である。
元気のいいイギリス映画だが、こうした方向へ行ってしまうのだろうか。
こうした映画があることは否定しないし、それなりに面白い。
しかし主題のない映画は、見終わった後での充実感がないのである。

 最近のイギリスでは、優れた映画もたくさん生まれているが、映画が盛んになると必ずこうしたノリだけで作られたものができてくる。
時代の風潮というか、若者の生態というか、音楽と映像だけで見せる映画が生まれる。
それ自体は悪いことではないと思うが、こうした映画の作り方は、タランティーノの行動が見せたように簡単に消滅していってしまう。
タランティーノが主題なしに、画面の面白さだけを見せたとき、一度は観客に受けたけど、彼はたちまち馬脚を現して映画が作れなくなってしまった。
これと同じだろう。

 ガイ・リッチーという監督だが、おそらく若い人だと思うが、映画作りにはそれなりの力を感じるし、センスもいい。
大勢の人を登場させて、いくつもの話を展開し、最後にそれらを上手くまとめあげてくる。
その力量は大したものである。
しかし、こうしたノリだけの映画を作っていると、彼の才能はたちまち枯渇してしまうだろう。
このタイプの映画はある層には受けるだけに、制作者たちが勘違いをしなければ良いとも思う。
もっと主題を煮詰める作業をきちんとしないと、今後の展開が大変だろう。

 ロック、ストック&バレルとは、すべてと言う意味のイギリスの古い表現だそうな。
トゥー・スモーキング・バレルズは、煙を吐く2丁の銃身という意味。
しかし、こんなに長い題名にしなくても良いと思うのだが。 

1998年のイギリス映画


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