タクミシネマ        肉屋

肉屋       アウレディオ・グリマルディ監督

 確かフランスの女性が書いた小説が原作だと思うが、イタリアで映画化された。
この小説は、ちょっと話題になった。
わが国でも、女性が官能小説を書くのが流行っているが、これはやはりフェミニズムの成果だろう。
しかし、女性が自分を性的に見るのはとても難しいようで、どの程度原作に忠実か判らないが、この映画も成功しているとは言い難い。

 パレルモに住むアリーナ(アルバ・ビアレッティ)は、美術館のキュレーターである。
彼女の夫は楽団の指揮者だが、性的に不能らしく、養子をもらおうとしていた。
その夫が外国へ演奏旅行に出かけたとき、肉屋の主人と性的なテレパシーが通う。
欲情している彼女を見抜いた肉屋は、夫が不在である彼女の家にまで来る。
もちろん彼女は拒むことなく、たちまち性交に至る。
夫では満たされなかった性的な欲望が、逞しい肉屋の肉体によって満足させられていくと言う話である。

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前宣伝のビラから

 女性が性交を書くと言うことは、性交の女性からの感じ方が描かれるはずだが、そうしたことはまったく感じない。
監督が男性だからだろうか。
多分、違うだろう。
女性は性的な快楽にたゆとう時、目をつぶって自己陶酔に陥っているのではないだろうか。
自己の体に生起する快楽に浸り、その快楽に無条件で自己を投げ出しているように思う。
つまり、快楽を味わうことはできても、快楽を見て確認することは不得手なようだ。
反対に言っても良い。女性の性交は快感するために行われており、自己の快感を見ることを楽しんではいないようだ。
これは男女の快感のあり方が、違うことに起因しているように思う。

 男性の肉体的な快感は、射精の瞬間というきわめて短時間のものだから、射精の瞬間をのぞけば性交の最中であっても意識がはっきりしている。
それに対して、女性は男性に比べれば、肉体的な快感がとても長く継続するようだ。
そのため、肉体が一度快感のモードに入ると、意識が薄れ肉体だけになっていくようだ。
肉体的な感覚の世界に入るためには、通常の意識の世界を離れるきっかけが必要だが、それさえ通り過ぎてしまうと、女性はいわば感覚だけの世界へ没入してしまうことができる。
意識の世界を離れた女性は性的な感覚の支配下に入り、甘美で強烈な刺激を味わうのだろうが、ここで自己を見る眼を失っている。

 表現とは自己を表出する作業だが、ダンスや歌・絵画などと違い、文字や映像表現はきわめて意識的なものである。
ダンスなどが情念に支配されても、いやむしろ情念そのものと言った方が優れた表現になる。
ダンスは肉体そのものだから、表現行為に没入したら、意識をなくした方が良い。
それにたいして、文字を使う小説や映像表現は、作為的なもので頭脳の作業である。
たとえ自分の体験を描くにしても、一度それを観念の中で相対的に処理しなければ表出できない。
自己の体験を、自己の目で見直さなければならないわけだ。意識をなくしたら文学にはならない。
そのために、性的な世界を女性が描くことは、どうも下手である。

 この映画でも、夫との性交より肉屋との性交の方が、おいしかったというのは良く伝わってきた。
しかし、それ以外には何が言いたかったのか判らなかった。
性的な快感は肉体的な刺激だから、肉体的な刺激を上手く与える方が、より強い刺激があるのは当然である。
足が速い奴とか力の強い奴がいるように、性の世界で肉体的な刺激に優れた奴はいる。
もちろん反対に、肉体的刺激が弱い奴もいる。
それだけのことだろう。
人間は肉体的な刺激だけで生きるのではないし、精神的な世界だけで生きるのでもない。
愛情が成立するのは、肉体と精神の間である。

 アリーナを演じるアルバ・ビアレッティの容姿は、やや品のないブリジッド・バルドーを彷彿とさせる。
彼女の肉感的で豊満な体が、画面いっぱいに登場するが、それ以上の映画ではない。
性の快感の表現が新鮮なわけでもないし、映画の作りとしても安直すぎる。
快感とは頭脳が感じる想像の産物で、首から下の肉体が快感をもっているわけではない。
だいたい肉体的な感覚は、単純でしかも複雑なことなのだから、文字や映像で快感を表現するのはきわめて難しいのだ。

 想像力が快感を支えるとすれば、性的快感を表現することは女性には不向きのような気がする。
画面の構成も平凡だし、肉屋との性交がおいしかったこと以上の物語もない。
先進国では、性の解放はとっくに終わっているが、イタリアではまだなのかも知れない。
現代女性であるはずのアリーナが、受け身的なのがちょっと気になった。
イタリア映画の惨状を見せるような映画だった。

1998年のイタリア映画


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