タクミシネマ        ジョーブラックをよろしく

 ジョー ブラックをよろしく   マーティン・ブレスト監督

 時期を得た良い主題で、丁寧に作られている映画である。
しかし、長すぎると言うそれだけの理由で、惜しいけれども一流映画の仲間入りができなかった。
自分の死を知った人間が、どう行動するかをお話にしたもので、実に深い人間的な考察がなされ、いろいろと考えさせられた。
脳天気楽と思われてきたアメリカ人たちが、哲学的な資質を身につけ始めたことが感じられて、欠点も目立ったが味わいの深い映画だった。
ジョー・ブラックをよろしく [DVD]
劇場パンフレットから

 立志伝にのるほどの出世したビル(アンソニー・ホプキンズ)に、就寝中どこからともなく「イエス」と言う声が聞こえる。
それは死神の声だった。
彼の死期をしらせに、死神がすぐそこまで来ており、まったくの気まぐれだが、彼は現世を体験することにしたと言う。
ビルの最期まで、友人ジョー・ブラック(ブラッド・ピット)として一緒に生活すると決めてきた。
当惑するビルだが、死神の言うことには逆らえない。
逆らえば、その場で死である。
その日からビルは、死神と一緒の生活を始める。
死神が何者であるかは、誰にも言わないという両者の約束で。

 死神はある若者の肉体を借りてこの世に現れたのだが、死神がその若者の身体を借りる前、つまり若者が若者自身であったとき、ビルの寵愛する末娘スーザン(クレア・フォラーニ)は、カフェでその若者に出会っている。
しかし、ビルの友人として登場した死神は、肉体こそ若者だが中身は正しく死神である。
やがてスーザンは別人だと察知するが、その死神はすこぶるインテリで、繊細な感覚の持ち主だった。
そのためか、スーザンは死神ジョー・ブラックに恋をしてしまう。
恋という心の動きを知った死神も、スーザンに熱を上げてしまう。

 ビルは大会社を一代で築き上げた人物で、ニューヨークの本社や自宅以外にも、広大な終末住宅をもっている。
その邸宅では長女アリソン(マルシア・ゲイ・ハーデン)が、ビルの65歳の誕生日を祝う大パーティの準備をしている。

また同時に彼の会社は、他の会社との合併を検討していたが、ビルは合併後に自分の会社が解体・売却されるのを予感して、一方的に破談にしてしまった。
しかし、スーザンのボーイフレンドで取締役のドリューは、合併によってビルを社長から外して会社を分割し、自分が膨大な利益を入手する目論見があった。
それが消し飛んだので、取締役会を招集し、社長のビルを解任してしまう。
もちろん最後には、ビルがドリューを逆解任してハッピーエンドに終わるのだが、ビルの職業生活、家族との私生活の両面にわたって、死神のジョー・ブラックは常に行動をともにし、様々な物議を起こす。

 映画の筋は、それほど込み入ったものではない。
しかし、ビルがジョー・ブラックと語る会話には、深い人生への考察が込められていた。
死を前にして、その死を素直に受け入れるビル。
死とは何か、ビルは生きることだという。
生きるとは愛であり、情熱であるという。
充分に生きることが、必然的に死を迎える準備になり、死を恐れることはなくなる。
アメリカ的なプラグマティズムでは、生と死は対立的にとらえられて、死を否定的なものと考えがちである。
近代が充実の度を増したのであろう、生と死は連続してとらえられるようになった。

 最近、死をめぐる映画は多い。
「プライベート・ライアン」でも、死を前にしたライアンが、冒頭と最後で生きるとは何かを問うている。
その解答は、「ジョー・ブラックをよろしく」と同じで、充分な生だった。
近代の終点まで到達したアメリカは、いま近代文明を総括する視点を、次々に生み出している。
「Death takes a holiday」から触発されて作られたこの映画も、そうした近代総括の一本であることは間違いない。
それが、ビルとジョー・ブラックの重厚な会話に映し出されている。

 誰にも判らないはずのジョー・ブラックの正体だが、ジャマイカ出身の痛さで苦しむ老女にはばれてしまう。
文明化していない社会に住む人間は、自然との接触が豊かだから、死神を簡単に見抜くとの設定。
これは原始社会への偏見だと思うが、現代文明にいる人間は原始の状態や原始人に弱い。

 近代人は自己相対化の目をもったがゆえに近代人なのだが、またそれゆえに近代や自分自身を無条件に肯定できない。
文明人たちも、いまだに神はそのままの自然にいると考えている。
都会だって、神が作った自然の一部なのだが、都会を生の自然とは見なせない。
大自然への回帰という強迫観念から、どうしても抜け出せないのが近代人である。
それは神に逆らったことのツケだろう。

 痛さから逃れたい彼女は、ジョーを死神と知りつつ、自分を死なせてくれと頼む。
死神は彼女に向かって、永遠を生きる自分は友人もおらず孤独だと言うが、現世も孤独だと老女は答える。
ここでは先の設定と矛盾しているが、個人であることの無限の孤独こそ、愛情を成立させる基盤である。
人間の属性が、人間関係性を支えている社会では、孤独もない代わりに愛情もない。
一人であるから愛情がないと生きていけないのだ。
この老女が死神の恋に説教する件は、なかなかコミカルなやりとりだったが、この二人の会話も含蓄に富んでいた。

 死神がスーザンに恋をしたり、家族愛を見たり、裏切りを知ったりと、この世を体験することで、人間行動をくっきりと浮き上がらせる。
ビルは、死神のスーザンへの愛は、ただの身勝手にすぎないと言い、死神と対決する。
観念が生の言葉でやりとりされて、やや未消化な感じはあるが、真面目な姿勢は充分に感じた。
しかし、全体にのろい展開で、三時間を越える上映時間である。
二時間以内に切りつめれば、素晴らしい映画になっただろう。
また最後に、ジョー・ブラックがビルとあの世へ旅立った後、最初の若者としてブラッド・ピットが生き返ってくるが、スーザンは覚悟を決めているのだから、あれはまったく不要である。

 ビルを演じたアンソニー・ホプキンズが、古いイギリス流の重厚な演技ながら、実に上手い。
この映画で見るべきは、彼が生み出す圧倒的な存在感である。
そのなかで演技の下手なブラッド・ピットが、ちょうど良い距離をとらせてもらっていた。
また、長女夫婦を演じたマルシア・ゲイ・ハーデンとジェフリー・タンパーが、ナンバー2という日陰にいる者の哀愁を良く演じていた。

1998年のアメリカ映画


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