タクミシネマ       ハイロー・カントリー

 ハイ・ロー カントリー    スティーブン・フリアーズ監督

 太平洋戦争から復員したピート(ビリー・クラダップ)は、軍人の給料をもとに、小さいながらも自分の牧場を経営し始める。
しかし、戦争に行かなかったジム・エド(サム・エリオット)が、時流に乗って勢力を伸ばし、ハイ・ロー村の産業を独占しようとしていた。

 ほとんどの男たちがジム・エドの従業員となってしまったので、ピートは仕事がやりにくくなっていた。
そこへ、かつての友人であるビッグ・ボーイ(ウッディ・ハレルソン)も復員してくる。
数少ない仲間が、カーボーイの仁義を通すべく、新興のジム・エドに立ち向かう。
ハイロー・カントリー [DVD]
 
前宣伝のビラから

 帰ってみれば悪人が勢力を伸ばして、正義派が小さくなっている、というのはわが国のヤクザ映画と同じである。
前工業社会での人間の生き方は、どこでもそんなに変わるものではない。
人間の力は自然の前には小さなもので、人間が自然を作り替えるなんてことは誰も考えてはいない。

 自然の掟に従って生きており、人間たちは力を合わせて自然に立ち向かう。
だから人間同士は、仁義とか友情と言った信義によって結ばれ、個人の尊厳より、義理や人情が優先する社会である。
それはもちろん暴力が社会の根底を支える社会で、男性支配の社会である。
カーボーイの世界もまったく同様だった。

 ピートが愛した女性モナ(パトリシア・アークエット)は、ジム・エドの従業員の人妻である。
人妻に恋いこがれても、彼は手を出さない。
しかし、ビッグ・ボーイは惚れたとなれば、人妻の女性でも恋人にしてしまう。
ビッグ・ボーイはピートのモナへの恋心を知らない。
ビッグ・ボーイからモナを紹介されたとき、ピートは言いようのない衝撃を受ける。
親友の恋人、しかもビッグ・ボーイはいろいろと自分を助けてくれた。
自分は人妻だから手が出せなかったけど、ビッグ・ボーイはそれができた。
ピートは古くからの恋人ジョセファ(ペネロペ・クルス)に戻り、自分の心をそっと慰めて、ビッグ・ボーイを祝福する。

 アメリカでも戦後の社会は、古き良き時代の人情が急速に失われていく。
カーボーイたちが粋がって暮らしていける世の中ではなくなってきた。
馬で牛を追うより、車がものを言う時代である。
そこでは仁義や人情より効率が優先し、人間同士の信義のあり方が大きく変わっていった。
合理的という新たな信義のあり方に、カーボーイたちは付いていけない。
農場も企業経営が要求され始めていた。
そうした時代変化のなかで、ピートやビッグ・ボーイたちは美しき過去の信条に陶酔する。
これは明らかに時代錯誤である。

 この映画は、わが国ヤクザ映画のように、失われゆくものを美しくは描かない。
ビッグ・ボーイとの結婚が決まったモナを、ピートは強姦同様に犯してしまうし、それをジョセファに知られてしまう。
そしてビッグ・ボーイは、弟のリトル・ボーイに兄貴風を吹かせたところ、反対に弟に射殺されてしまう。
ピートはリトル・ボーイに復讐しようとするが、母親からビッグ・ボーイがいなくなった今、弟のリトル・ボーイだけが頼りなのだ。
裁判になったら、弟の殺人は正当防衛だったと証言するように頼まれる。
自分の復讐心よりも、ビッグ・ボーイの母親からの頼みを聞き入れるピート。

 ここには近代的な正義はない。
法の支配は冷酷なもので、母親の生活がどうなろうとも、殺人者は法によって裁きを受けなければならない。
にもかかわらず、母親の頼みを入れて簡単に偽証してしまう。
正義より人情が優先する。
ピートは独立を守りたいと考え、小さいながらも自分の農場を経営している。
それが許されるには、時代を見る眼と義理や人情にとらわれない経営感覚が不可欠なのだ。
ただ自立していたいというだけでは、それを許してはくれない。
にもかかわらず、我々はピートの心情に共感してしまう。

 農耕社会があまりにも長かったから、我々は簡単に工業社会の生き方を信じることができない。
失われゆくカーボーイたちに、心情移入しがちである。
しかし本当の話は、ジム・エド的生き方の勝利であり、ジム・エド的生き方が勝利したからこそ、今日のような豊かな生活が実現したのである。
カーボーイ的な生き方に拘っていれば、いまだに野中の一軒家に風呂もない冷蔵庫もない、といった生活をしなければならない。
映画の結末は、ピートが自分の土地を売って、カリフォルニアへと旅立っていく。

 監督は滅び行く時代を、はっきりと判っている。
だから映画の中に様式美を持ち込まず、乾ききった画面にたんたんと物語を進めていく。
人情を描きながら、人情から離れた位置をとっている。
この視点はやはり今日的だし、女性への味方もじつにリアルである。
自分の意見をしっかりと持った若いジョセファ、強い男にすり寄るモナ、旧来の世界に生きるビッグ・ボーイの母親。
急速に変化する女性像を、異なる世代の三人に体現させている。
怖ろしいまで冷静な監督の目である。

 1998年のアメリカ映画。


TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

 「タクミ シネマ」のトップに戻る