タクミシネマ        エリザベス

 エリザベス   シェカール・カプール監督 

 1544年から映画は始まる。
イギリスではメアリー女王(キャシー・バーク)が死に、その後には、まだ若いエリザベス(ケイト・ブランシエット)が就任した。
世界史的には女性が王位につく例はあまりないが、イギリスでは2人目の女王である。
王位継承の順位に従って、彼女が自然と王位についた。
当時では、女性の王位はどう見られていたか判らないが、
今日からすれば恋もしたいだろう若さでの王様となる。
そこには普通の人間同様の悩みもあったはずだと、物語を作りたくもなるだろう。
この映画は、若くして王位についた女性の若き日の物語である。
エリザベス : ゴールデン・エイジ [DVD]
劇場パンフレットから

 当時のイギリスは現在のフランスの一部を領有していたが、まだイングランドだけだった。
スコットランドは別の国だったし、アイルランドももちろん別の国だった。
そして、ヴァチカンが独立国だったし、スペインが強国だった。
イギリスは疲弊し、独立国としてやっていくのは困難になっていたなかで、現王女メアリーが死んだ。
エリザベスはヘンリー8世とその第2婦人のあいだに生まれ、私生児の彼女は通常なら王位につくことはなかった。
しかし、腹違いの姉が死んだことから、王位につく。
その時、彼女は25才。

 彼女にはロバート(ジョセフ・ファインズ)という恋人がいた。
しかし、王位についた彼女には、個人として生きるのではないものが要求され始めた。
それはイギリスの独立を守り、イギリスの繁栄を図ると言うことだった。
国内的には、カソリックとプロテスタントが拮抗し、国論を二分していた。
海外からは独立を侵されそうだった。
小国イギリスは、国の舵取りが難しい時代だった。
この映画は史実を前後させて、恋人やかつての重臣・カソリックの僧侶たちを粛清しながら、
エリザベスが自分の支配を確立するまでを描く。

 彼女はまず、新旧両派の統合を目的とし、新教のイギリス国教会を設立をめざす。
宗教と政治が一体化していた当時、宗教界を統一することは困難だったし、
また大切なことだった。
彼女は、両派の統一を議会にかけ、たった5票の差でそれを成功させる。
史実はどうだが判らないが、この影には、カソリックの保守派6人を拘束するという荒技がある。
それをやったのは、フランシス・ウォルシンガム(ジェフリー・ラッシュ)だが、
稚児趣味の彼はその後も彼女を支えていく最右翼となる。
その後、以前からの重臣たちを解任しながら、自分の支配体制を築いていくのだが、
もちろん簡単には行かない。

 前のメアリー王女の時には、カソリック派の重臣として権勢を誇ったノーフォーク公(クリストファー・エクルストン)を始め、
エリザベスのやり方には反対するものが多い。
エリザベスは外国の貴族と結婚して、イギリスの支配を守るというのが、当時の常識だった。
スペイン・フランスいずれかの国と、連合を組むことが期待されていた。
しかし、彼女はそうした方針を取らない。
まず、スコットランドのメアリー王女(ファニー・アルダン)を暗殺し、その威力を殺ぐ。
そして、フランスからの結婚の誘惑も断り、
ヴァチカンからのノーフォーク公へのクーデタの誘いを内乱罪として摘発する。
この過程では、何人もの人が殺される。

 政治の波に揉まれ、彼女は1私人から、冷酷な為政者へと脱皮していく。
この映画は、私人が政治の世界で最高権力者となる時に味わう、王者の孤独を主題にしている。
それまでの愛だの恋だの言っていられた人生から、政治という冷酷な世界へと転じていく女性。
男性なら政治と言う仕事が、人生の中心におかれても何の問題もない。
しかし、女性は自分で考え、自分で決断をするようには教育されてこなかった。
そこで、いきなり政治の世界である。戸惑うことは当たり前である。

 男性でも王者は孤独である。
それが女性で、しかも今まで肉体関係を持っていた男性が、自分とは違う派に属したとき、
その男性を断罪するのは断腸の思いだろう。
個人的な愛憎は立場を越えて、冷静な判断を妨げがちである。
男性でも女性の色香に迷った為政者は多い。
ましてやエリザベスは25才の女性である。
愛情や肉体関係に引きずられても不思議ではない。
しかし、彼女は恋人を男妾として扱い、男を愛したい自分の気持ちを飼い慣らしていく。
自分の愛したい気持ちに素直に従えない人間は、孤独に成らざるを得ない。
面白かったのは、女王を愛する男というのも大変だという台詞である。

 政治に限らず、一つの世界にのめり込んでいくと、他の世界と矛盾が生じてくる。
芸術家が表現にのめり込み、宗教家が信仰にのめり込み、企業家が仕事にのめり込み等々、
何でものめり込むことは、それ以外の世界との両立を排除していく。
愛情もまた同様である。
愛情に殉じれば、他の世界に支障がでるのは当然である。
普通の人は、そうした様々な世界を少しずつ適当に薄めながら、上手く妥協させて生きている。
しかし、最高権力者はそうはいかない。
彼もしくは彼女には、常に大きな圧力がかかっている。
選挙で選ばれた現在の権力者だって、トンでもない圧力がかかっているだろう。
エリザベスの時代は、血縁という天与のものが支配の正当性を保証していた。
だから、その圧力たるや想像を絶するものがある。
自分の兄弟身内ですら、必ずしも味方ではない。

 この映画は、きわめて正統的な画面構成をもち、
前半で張られた伏線が後半で役に立てるなど、とても優れたものである。
緻密な物語、入念な衣装やセット、時代考証。
状況が急変する様を背景に、エリザベスが為政者に目覚める過程を描くが、やや表面的である。
とても優れた映画だと思うが、状況の描写だけで、
エリザベスのどろどろした内心の変化がいまいち画面に現れきっていなかったように思う。
確かに、最初のうちは素顔だったエリザベスが、最後には表情をなくした白塗りの顔になっていく。
それが彼女の心理変化の表現なのだろうが、それをもう少し彼女自身の態度で描いて欲しかった。
しかし、この監督が描きたかった主題は実に良く判る。

 映画というのは、主人公の心境に観客を感情移入させるのが醍醐味だろう。
観客は物語に酔いたいのだ。
優れた映画でありながら、そうした意味ではいまいち乗り切れなかったもどかしさが残る。
ウォルシンガムがヴァチカンの密使を探索に行き、
子供の目が隠れている部屋に向くのを見逃さないシーンは、残酷ながら本当らしくて良かった。
イギリスの歴史を舞台に描いたイギリスの映画でありながら、監督はインド人である。
これは、わが国にあてはめてみると明治天皇の物語を、韓国人の監督に撮って貰うような英断である。

1998年のイギリス映画


TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

 「タクミ シネマ」のトップに戻る