タクミシネマ       コーンウォールの森へ

コーンウォールの森へ      ジェレミー・トーマス監督

 お伽噺のような現実のような不思議な印象の映画である。
主人公のボビー(クリスチャン・ベール)は小さな時に交通事故にあって、いくらか知恵遅れになってしまった。
そのため、学校には行かず、家で育った。
なぜか父親は死んでいた。
未亡人の母親が、大きな百貨店を経営していたが、彼女には経営の才能はない。
裕福だった彼の家は、先行きが怪しくなった。
そこで再婚した相手が大男のデ・ウィンター(ダニエル・ベンザリ)で、ボビーとは馬が合わない。
しかし、彼には経営の才能があり、百貨店を建て直した。

と、その時、母親が死んでしまった。
コーンウォールの森へ【字幕版】 [VHS]
 
劇場パンフレットから

 母親の葬式から、映画が始まる。
デ・ウィンターは無事に葬儀が済むと、ボビーに相続放棄の書類にサインするように迫る。
しかし、母親からサインをするなと言われていたボビーは、それを拒否しコーンウォールめざして家出する。
ヒッチハイクで乗ったトラックが、路上のキツネをひき殺そうとしたことから、ハンドルをめぐって運転手と車内でもみ合いになる。
結局、車は横転。
運転していた男は死ぬが、ボビーは無事。
そこへ不思議な男サマーズ(ジョン・ハート)が現れ、車にひかれて死んだウサギを埋葬する。
ボビーはサマーズに、付いていかせて欲しいと懇願する。

 サマーズは銀行の支配人にまでなったが、銀行から大金を持ち出してしまった。
その後、追われる者として、全国を放浪していた。
そして今は、車に挽き殺された動物を埋葬するのが、彼の仕事だった。
サマーズの動物への愛情に感激したボビーは、彼に弟子入りする。
そして、彼の小屋に寝泊まりし、小動物の埋葬などを手伝い始めた。
しかしある時、デ・ウィンターの弁護士と会ったことから、所在の発覚を恐れ、反対にサマーズと一緒にロンドンへとデ・ウィンターに会いに行く。
デ・ウィンターと会うや否やサマーズは殴られて気絶し、デ・ウィンターによってボビー共々小屋へと連れ帰られる。

 デ・ウィンターは二人を殺して地面に埋めようとするが、機を見計らってボビーが逆襲し、彼を廃坑へとおびき寄せ殺してしまう。
このシーンでは、デ・ウィンターがロールス・ロイスに乗って追いかけてくる。
通常ロイスは高価な価値つまりプラスの象徴だが、ここでは人間を抑圧する機械になっている。
ロイスの風貌自体が、怖ろしげに見えてくるから不思議である。
同じイギリスの高級車でも、ジャガーではこうした威圧感は出ない。
ロイスとジャガーの出自の違いを感じる。
デ・ウィンターが失踪したので、捜査が彼の小屋に伸びるのを恐れ、サマーズの残した大金を持って、ボビーは放浪の旅に出る。
ここで映画は終わる。

 生きているものはみな尊い、命こそ至高のものだ。
その命を人間は戯れに奪っている。
人間には命を論じる資格がない。
この映画はそう言っている。
サマーズは死んだ人間をほっておいても、小動物の死骸は弔ってやらねばならないと言う。
イギリス特有の動物愛護協会ご推薦の映画である。

 近代になって、すべての人間の命が等価になり、女性や障害者も解放された今、もはや差別されている者はいない。
とすれば命という括りで、小動物や昆虫の命も人間の命と等価だ、となるのは自然の流れかも知れない。
わが国では、すべての命は等価だという伝統があるので、この主張は馴染みやすい。

 しかし、どう考えても変である。
蛾を集めている男の家に侵入し、誘蛾装置を壊してくるのは、単なる破壊行為である。
そして、車にはねられて死んだ小動物の命と、人間の命とどれだけの違いがあるというのだろう。
命はみな同じというのは理解できても、人間は他の命への加害者だから、殺されても良いのだという理屈は成り立たない。
しかも、それが現実生活から離れて、つまり実際の経済活動を否定したところから発せられるのは、主張がまったくかみ合わない。
だいたいサマーズ自身の命をどう考えるのだ。
この映画製作者は、真剣な自然愛好家なのだろうと思うが、近代を行ききってしまったイギリス人特有の、エキセントリックさに満ちあふれた作品だった。

 近代が終わりつつあるわが国でも、人間より動植物の命のほうが大切だ、と言った主張が台頭してくるだろう。
自然を愛すべしというのは、耳障りが良い。
平板的な命の賛美は、人間が自然を作り、社会を作ったことを忘れている。
それは人間の命を、いや動物の命をすら縮めることになるように感じる。
近代がもたらしたものは、人間の長寿であり清潔な社会だった。
人間が長寿になったから、虫の命や小動物の命が大切だと言えるのである。
人間が動物たちと一緒に暮らしている社会では、動物は人間の食物であり使役の対象でしかない。

 動物こそ大切で人間は死んでも良いのだというのは、人間のおごりの裏返しにしか過ぎず、きわめて限定的な主張である。
そうは言っても映画としてみれば、そこそこに美しい画面があり楽しめるのだが、それは監督の力量と言うより、映像化する対象の美しさにだけ負っているのかも知れない。
「All the little animals」という原題の大人のファンタジーかも知れないが、もう少し緻密に主題を練った方が良いように思う。

1998年のイギリス映画 


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