タクミシネマ        アムス→シベリア

アムス→シベリア
   ロバート・ヤン・ウェストダイク監督

 ヨーロッパで、今活気にあふれる街アムステルダムでの話。
女性の外国人旅行者をナンパしては、パスポートの写真とお金をくすねている2人の若者がいた。
ヒューホ(ヒューホ・メッツェルス)とゴーフ(ルーラント・フェルンハウト)という2人は、ヒューホが兄貴格でゴーフが弟役だった。
美人を取るのはいつもヒューホ、ゴーフは残りの女性に甘んじていた。

アムス→シベリア [DVD]
劇場パンフレットから

 アメリカ人のクリスティーナとドイツ人のララ(ヴラトカ・シーマック)という旅行者たちに、2人が会ったことから少し様子が変わってくる。
クリスティーナはヒューホへ、ララはゴーフへという組み合わせになるが、ゴーフがララに惚れ込んでしまう。
彼はララを自分たちの家に連れてきて、恋人として扱うが、ララの方は相手にしない。
このララという女性が変わった性格で、ゴーフに親切にしてもらいながら、彼の心配りを何とも思わず、むしろ兄貴格のヒューホとできてしまう。
しかも、彼女は決して前向きではなく、セックス大好きでありながら、暗く何か投げやりなのである。

 ララはシベリア生まれのドイツ人であることから、初めはロシア人だと名乗って、シベリアに帰りたいという。
それを真に受けたゴーフは、シベリア行きのために今まで貯めたお金の半分をくれとヒューホに言う。
しかし、シベリアには興味のないヒューホは、ナンパした女性が先に15人になった方が全額取ることにしようと言う。
それをうけてゴーフは頑張るが、その間ヒューホはララとセックスしているだけ。
ヒューホとララの肉体関係を知らないゴーフから、ハートの額に入った写真を贈られたララは、感激してゴーフとのセックスに応じるが、失神したふりをする。
ララが死んだと勘違いし、慌てたゴーフが家を空けたすきに、2人のお金をもって逃走してしまう。

 バックパッカー連中には有名なピース・ホテルに逃げ込んだララを追って、2人はピース・ホテルに行くが、この時にはヒューホとゴーフの関係が逆転し、ゴーフが優位に立っている。
ゴーフはヒューホにナンパした女性たちの、相手をさせているあいだにララを見つけ、2人でホテルのお金を盗み出す。
ゴーフが袋に詰めたお金を外にいるララに投げる。
ララはまだゴーフが自分にメロメロだと思っているが、実はしっかりと自立したゴーフは、ララには紙切れの入った袋を投げている。
お金は自分で頂いて、しかもヒューホはこそ泥の犯人としてつかまる。

 ここまでなら何と言うことはない映画だが、最後のオチが良かった。
ララに一杯食わせたゴーフは、手に入ったお金でヒューホと一緒にシベリアに行く。
シベリアの雪原に感激しながら、「ララ」と呼ぶと、犬が雪の上を転げながら走ってくる。
ここが実に面白い。
2人は駄目な奴らだが、シベリアの雪原で男性の友情が回復している。

 女性の外国人観光客は舞台装置であり、この映画は男性の友情を描いたものである。
若いだろうこの監督は、美しく単純な友情ではなく、騙し騙されながらも屈折しながらも、男の友情はあるのだと言っている。
アムステルダムにくる女性たちは、見知らぬ男性とのセックスを楽しみにしており、肉体関係に入るのを承知でヒューホたちの誘いに応じている。
男性から声をかけられて、気に入ってそれにのるのであれば、ベットまでいくのは当然だとは思っているが、パスポートやお金が盗まれるのは許せない女性たち。
許せないのは、まったく当然の話だ。

 女性の肉体もお金で何とかなったから、女性たちが自ら見知らぬ男性とベットに入ることは、騙されているように感じるかも知らないが、そんなことはない。
フェミニズムを経て女性たちも自立し、見知らぬ男性とセックスを楽しむことができるようになった。
旅の恥はかきすては男性だけではない。
女性たちが自分から男性をナンパするまでには至ってはいないが、女性も見知らぬ男性と遊べるようになった。
しかし、泥棒とセックスとはまったく違うことである。
合意の上のセックスは両者にとって娯楽だが、泥棒は何と言おうと迷惑な犯罪である。

 悪い奴としての男性の友情を描く、これはきわめて男性的な発想である。
悪い奴でも友情が成立する。
こうした主題で、女性たちが映画を撮るようになったら、女性の自立も本物だろうが、女性たちの力はまだそこまで及んではいないように思う。
女性監督も力を付けてきているが、まだ正しいとされるものを正しく描いている。
そこには自らの美意識で、時代を切り開くまでの発想がない。
まだちょっと男性の方が、力があると安心させられた映画だった。

 心地よい奇妙さをもったノリの映画で、トンだモノクロのシーンを挟みながら、リズム感良く展開する。
活きのいい現代のアムステルダムの現状を活写した映画である。
悪い奴であるヒューホが、しばしば母親から電話が入り、小さくなってそれに答えているのも、大人になれない若者を良く表している。
ヨーロッパが統合され、良い面がたくさん出てくる中で、こうした若者が生まれるのは自然だろう。
この映画はフィクションであるだろうが、こうした雰囲気が今のアムステルダムにはあるのだと思う。
パリが死んでいる現在、アムステルダムは面白い街になっているようだ。

 1998年のオランダ映画


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