タクミシネマ             女と女と井戸の中

 女と女と井戸の中   サマンサ・ラング監督

 中年の女性ヘスターが、荒野の真ん中に父親と住んでいた。
倹約家の父親が、広大な土地を持っていたのである。
その家には、通いの家政婦がいたが、新たに若い少女キャスリンを家政婦として雇った。
遊びたい盛りの女の子だが、どこか影がある様子だった。
当初、彼女は家政婦の扱いだったが、やがてヘスターはキャスリンに親しみを感じ、自分の子供のように感じ始める。

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 暫くすると、家計を握っていた父親が死ぬ。
するとヘスターは今までの抑圧が外れ、倹約の生活から欲しいものを手に入れる生活へと変わっていく。
しかし、広大な土地はあってもお金はない。
そこへ土地を買いたいという人が現れ、敷地の外れの小さな小屋を残して家屋敷を売ってしまう。
小さな小屋住まいとなったが、ヘスターには大金が転がり込む。

そのお金で、キャスリンを連れて外国旅行に出る話をしているが、ある晩、キャスリンの運転する車が人をはねて殺してしまう。
同乗していたヘスターは、その死体を井戸の中に投げ込み、事故を闇に葬ろうとする。

 その翌日、土地を売って入手したお金が、なくなっていることに気づく。
キャスリンがはねた男が、その前に泥棒に入って、お金を盗み、その逃亡中に彼女たちがはねたのだと推理がつながる。
そこで、井戸に投げ捨てた男から、お金を取り返す算段をするのだが、実はキャスリンが盗み、その男に罪をかぶせたのだった。
荒野の一軒家に、二人の女性が疑心暗鬼をしながら、ぎりぎりとした心理状況の中で住み続ける様子が、画面に展開される。

 この監督は、二人の心理を、青い色調の画面に音響効果も鋭く見せる。
嵐の風の音や、雨の様子、夜の怖さ、それを見つめるヘスターやキャスリンの横顔。
久しぶりに見た恐い映画である。
とくに、主人公の女性二人とも善人ではなく、荒野の中で孤独に暮らしながら、人間を信じることができない。
ヘスターはキャスリンに裏切られながら、正面切ってキャスリンを問いつめることが出来ない。
一種の愛情欠乏症なのだろうか。

 孤独とは近代のものであるが、荒野の一軒家で住むことは、独りぼっちには違いない。
たとえ同居人がいても、心理的にはやはり一人だろう。
そうした中では、神さまと一緒に生きるのはまったく自然である。
だから、自然の中でも独力で生きることが出来るのだ。
そうであればこそ、来訪者というのは珍しいものをもたらす者として歓迎され筈である。
しかし、この映画の主人公は荒野に住みながら、現代人だから孤独である。
オーストラリアというのは、本当に近代化した国である。
この映画でも、現代人の孤独を井戸に託して、二人の心理を厳しく描写している。

 女性の監督だからだろうか、主人公の二人をすくいようがないくらいに追い込んで描いている。
少女キャスリンのほうは、弱さを武器にして生きる姿、ヘスターのほうは愛情の独占。
しかし、自己を殺人にしてしまう井戸への投げ込みは、彼女が犯罪者で警察から追われているでもない限り、ちょっと物語り展開上で無理がある。

 美しい幻想的な青い画面、鋭い美意識など、感心させられる映画だった。
1997年のオーストラリア映画


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