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ウィンター ゲスト   アラン・リックマン監督      


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ウインター・ゲスト [DVD]
 結氷した海に面したスコットランドの寒い町で、夫に先立たれた女性フランシス(フィリダ・ロー)が、子供と二人で暮らしている。
いまだ若くして最愛の夫を失ったので、彼女は何をする元気も失せてしまった。
そこへ近くに住む高齢の母親(エマ・トンプソン)が、彼女を励ましにくる。

 母親は、フランシスが亡き夫の陰を、いまだに引きずっていることを気に病んでいる。
と同時に、それを忘れるためにフランシスが、オーストラリアに移住するつもりでいることも気になっている。
冬の寒い日に、訪れた一人の客人が母親であり、母親との会話を通じて、彼女は自分の人生を見つめ直していく。
人生とは何かと言った主題を、淡々としかも哲学的に展開する映画である。

 この映画にはフランシスの話と同時並行で、三つの話が展開する。
それらの話が絡み合って、人生とは何かという問いに、正面から答えようとしている。
狂言回しのように登場する二人の黒服の老婆。
すでに人生の大半を過ごし、今は友人や知人たちの葬儀に出席するのが、二人の趣味であり仕事である。
しかし、故人は本当の知り合いとは限らず、彼女たちはいわば人生に審判者のように、死者の旅立ちに立ち会う。
私は狂言廻しを使うことには批判的だが、この映画では良かった。

 小学校高学年くらいの子供二人が、学校をさぼって自分たちの世界を夢見ながら海辺で遊ぶ。
やがて二人は靄ってきた海へと、凍った海面の上を歩き出していく。
霧にまかれて帰路を失っただろうが、映画はその結末は見せない。
それにフランシスの子供が、女の子の誘惑されて、親のいない自宅に連れ込み、二人で秘密めいた時間を過ごす。

 四つの話が、別々に展開しながら、いずれも人生の無常とか生きる価値と言った主題を、さりげなく見せる。
結局、フランシスはオーストラリア行きを見合わせ、この町で写真屋を続けることになる。
しかし、それは単に母親の希望を入れたわけだけではなく、人間の生き方の一つとして、アラン・リックマン監督は彼女自身に選択させている。
おそらくここでは、故郷という概念があるのだろう。
母親には、この凍てついた土地が好きだと何度も言わせている。

 他人の葬儀に出席する老婆たちを、人生を見送る人と描いている。
彼女たちの姿は、個人の関係が切れる死を象徴した儀式として印象的だった。
二人を乗せたバスが、荒涼とした野原を行く様子は、何だか人生を象徴しているようだ。

 最後に二人の子供が、霧がかかった海の彼方へ消える場面は、不気味な感慨をもたらした。
映画としては様々な解釈を許し、スクリーンを通して哲学していることが、はっきりと伝わってくる。
しかし、それがどんな結論になっているのかは、よく判らない。
主題は理解できるが、映画としての完成度は今ひとつだった。

 1997年イギリス映画


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