タクミシネマ              セブン・イヤーズ・イン・チベット

セヴン イヤーズ イン チベット  
   ジャン=ジャック・アノー監督

 1939年、オーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラー(ブラッド・ピット)が、第二次世界大戦直前にドイツ隊の一員としてナンガ・パルバット登頂をめざす。
彼は天才的な登山家だったが、インドに滞在していた彼等は世界大戦勃発により、イギリス軍に捕虜として収容される。
2年後に収容所を脱走してから、チベットに入る。
映画はそこでの生活を描いたものである。

 ハラーを含めたドイツ隊は、捕虜収容所から脱走するが、ハラーはその後単独行を取る。
しかし、食料が入手できず、逃避行は困難を極めていた。
脱走したドイツ隊の他の連中も、隊長のペーター(デヴィッド・シューリス)だけが生き残った。
偶然に落ち合ったハラーとペーターは、以後一緒に行動する。
当時鎖国をしていたチベットは、外国人の入国を認めていなかった。
そうは言っても、インドにいればまた捕虜となってしまう。
2人は、何とかチベット入国を試みる。

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劇場パンフレットから

 公式には入国できないと知った彼等は、変装して首都ラサにはいる。
そこで保護され、何とか客人としての待遇を得る。
当時のチベットの人情、風俗や習慣などが、近代文明に毒された西洋人の眼を通して、画面に展開する。

 フランス人であるジャン=ジャック・アノー監督は、決してチベットを野蛮国だとは見ていない。
しかし、それでも自国の文化を肯定する姿勢が強く、チベットを誉めれば誉めるほど西洋文明の偉大さに自己陶酔する姿勢が出てくる。
たとえば、映画館の建設を君主であるダライ・ラマから頼まれるが、それに従事するチベット人が素直であればあるほど、西洋文明が立派に見えてくる。
とくにハラーに対してダライ・ラマが子供であることが、それを強調する。

 ハラーはダライ・ラマと親しくなり、チベット政府の中枢と関係が出来るが、隊長のペーターはチベット人女性と仲良くなり、結婚して現地に定住する。
ペーターの生き方のほうが、遥かに平等指向で好感がもている。
ペーターの生活の手段は何なのか、映画は明らかにはしないが、とにかく現地人化する方がその文化を認めたことになるだろう。
しかし、映画はペーターには焦点をあわせず、ハラーを主人公にして展開していく。
このあたりも西洋中心主観がはっきりと見える。

 幼いダライ・ラマを、国民思いの優れた君主だと描いているが、世襲制の支配者の存在自体が時代遅れである。
彼の個人的な資質がどんなに優れていても、君主制自体が時代に取り残される運命だった。
君主制は民主的な君主だから許されて、独裁的だから許されないわけではない。

 世襲の君主自体が封建制の産物であり、制度自体が悪なのである。
この映画ではダライ・ラマの個人讃美に終わっており、政治制度にまで踏み込んでない。
そのため、ハラーの単なる体験記映画になっている。
映画としては雄大な風景や大量の人が展開するシーンなど、見るべきところは多いが、白人が作るアジア映画と言った限界があって、やや興ざめである。

 中国の革命後、拡大姿勢を取る中国にたいして、独立を守るために自立路線を取るチベット。
平和を愛するチベットに、有無を言わせずに侵入する中国と言った描き方をされて、当時の政治的な背景が描かれていない。
チベット人は平和を愛しているから、戦うことを好まず、中国と戦争になり負けてしまったというのでは、余りに政治音痴という他はない。
中国が強大で、それに抗することが出来ないと分かれば、外交的な手段で自国の存続をはかるべきだった。
チベットの文化を中国に売ったと、ハラーが責めるンガワン・ジグメ秘書官の描き方も一面的である。
アメリカ映画の政治音痴は、今に始まったことではないが、もう少し何とかならないものか。

 しかし、チベットでは撮影ができず、アルゼンチンで撮影したそうで、その行動力には脱帽である。
そのため、チベットから僧侶やヤクを運んらしい。
また、ラサの宮殿もセットを組んだという。
ディーテールには凝っているが、登山家が平地でザイルをむき出しで運ぶことはあり得ない。
ブラッド・ピットが上半身裸になるシーンがあるが、実にスタイリッシュな体をしている。

1997年のアメリカ映画。

 

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