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 ピース メーカー      ミミ・レダー監督

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ピースメーカー [DVD]
 ジョージ・クルーニーとニッコール・キドマンが、原爆の紛失事件を解決するという映画である。
主題はともかく、背景になっている状況設定がなかなか深いものがある。
しかも、ピース メーカーという題名は、暴力が平和を維持するというアメリカらしい皮肉なタイトルである。

 ロシアから原爆が9ヶ盗まれる。
このうち8ヶは回収されるが、1ヶだけがサラエボのイスラム系テロリストに手に渡る。
これ以降が話の核心なのだが、ここに来るまでの展開が弱い。
というより、ここまでも相当に時間を使っているので、話の山が二つできてしまっている。

 9ヶの原爆が、イランの差し金で盗まれる。
それを俊敏なアメリカ軍が、無能なロシアを無視してロシア領海内に入ってまで、取り押さえる。
ここまでが長い。
この部分は後半の謎解きに不可欠ではあっても、もっと簡単に流してもよかったと思う。
特にロシアの退役将軍と運送会社やカーチェイスは、もう少しカットしてもよかった。
そして、後半のニューヨークへの展開と、イスラムのテロリストの政治的な背景を、もっと丁寧に描き込んでほしかった。
しかし冷戦終結以降、アメリカは世界の警察を自認して、やりほうだい独断専横である。

 この計画は、サラエボで肉親を殺された男が、国連軍に対して復讐をするために原爆を盗むことを計画する。
自国の現役大臣を殺してまで、自分が国連の会議へ復讐のために行く。
サラエボには国連軍が、平和維持団として駐留しているが、殺されるのは貧しい現地民であり、殺された人間はもう帰らない。
その怒りを平和維持団という、まやかしの軍隊を差し向けた国連にぶつける。
国連があるのはニューヨークなので、必然的にアメリカの問題となるのだが。

 彼らだけでは実行できないので、イランを巻き込むのだが、9ヶの原爆のうち1ヶを分け前として譲り受ける。
原爆全体は1メートル以上もあるのだが、原爆の芯だけをはずすと、ナップ・ザックに入る大きさである。
それでもニューヨークを吹き飛ばすには充分である。
犯人たちはそれを持ってニューヨークに入り、ジョージ・クルーニーとニッコール・キドマンたちと追いつ追われつの捕り物になる。

 この映画では、指揮官がニッコール・キドマン演じる大統領補佐官ジュリアである。
それに従うのがジョージ・クルーニー演じる連絡将校トーマスである。
文民統制の制度上、女性の大統領補佐官が上位になる。
男女の関係が逆転した現代的な設定であるが、ニッコール・キドマンが格好良すぎる。

 最初に彼女が、プールで泳いでいる場面から映画が始まり、最後はまたプールで泳いでいる場面で終わる。
ジュリアはハーバードの核研究所からアメリカ政府に転じた女性で、頭脳優秀で美人。
それがプールで泳いでいるシーンから始まるのは、頭も体も頑丈である女性の位置が象徴されている。
数年前だったら、男性がニッコール・キドマンの役を演じたろうが、この転倒には今やそれほど驚かない。
考えさせられるのは、イスラムの問題である。

 サラエボでは、宗教と民族が混交している。
戦闘では、イスラム側が有利なはずだが、今回もイスラムの血縁幻想が登場する。
肉親を殺された人間が、この悲しみを教えてやるといって復讐に走るのだが、イスラムの教えに従えばこれは肯定されるだろう。
農耕社会に生きる人間には、血縁や地縁によるつながりは、何にもまして大切だから、それが犯されたときは復讐が許される。
しかも個人的になされる復讐が、公的に許されていた。
それは我が国の江戸時代でも、親の敵とか主君の敵討ちが許されていたのと同じである。

 血縁によるつながりを最優先させることは、社会的な安定を欠くので、近代社会にはいるときにそれを否定した。
血縁ではなく、法の支配が最優先することを確認したが、未だに農耕社会にあったり、農耕社会の影響が強い社会では血縁幻想が力を持っている。
親や身内意識の強いのは、農耕社会である。
農耕社会は、誰でもどんな社会でも通過してきたので、誰にでも一応の共感を得る。
家族はどこの誰でも大切に思う。
しかし、家族が殺されたときに、その悲しみをどう癒すかは、それぞれの社会で大いに異なっている。
この映画の背景は、いわば農耕社会の掟と情報社会の規律のせめぎ合いである。

 この映画製作者たちは、農耕社会対情報社会としてではなく、イスラム社会対近代社会と捉えていると思う。
それは現代社会で、イスラムが突出して巨大な農耕社会倫理に生きているからである。
イスラムを農耕社会に置き換えて、虐げられた者の復讐劇としてみると、この映画は多くのことを考えて作られていることがわかる。
娯楽映画の仕立てながら、現代社会の複雑さを良く表した映画である。

 スピルバーグがプロデュースし、テレビ映画のERで監督をつとめたミミ・レダーがメガホンをとっている。
ジョージ・クルーニーの活劇が見せ物かもしれないが、背景の押さえ方が現代社会をよく考えて、この映画を奥の深いものにしている。
1997年アメリカ映画。


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