タクミシネマ              レ・ミゼラブル

レ ミゼラブル     ビレ・アウグスト監督

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 文芸作品の映画化は難しい。
とりわけ古典となっているものは、時代設定が違うので現代には馴染みにくい。
この映画も成功しているとは言えないようだ。
古典文学の場合、筋は周知だから、文学の解釈や映画的な手法に興味は限定されてくる。

 ジャン・バルジャンを演じるリーアム・ニーソンが、どこでも同じ顔で出てくるのはどうしたことだ。
19年間の服役後、保釈ででてきた彼は頬もふっくらとし、とても服役囚とは思えない栄養状態である。
彼が監獄はひどい所だったというのだから、もっとおどおどぎらぎらした目だろうし、頬もこけているはずである。
そして市長になってからは、ゆったりとしているはずであるが、環境が変わっても彼の姿は変わりがなかった。

 演技にしても、境遇の違いが反映されてない。
ユナ・サーマンが演じた女性にしてもそうで、痩せぎすという設定になっていながら、とても豊かな胸がある。
また、結核で死にそうでありながら、布団を剥いでみればみずみずしい肉体がある不自然さ。
たくさんの人を登場させている映画、つまりお金をかけている映画でありながら、役者のつくりにもっと神経を払って欲しい。

 そのなかで、ジェフリー・ラッシュはやや堅いが、なかなかの演技だった。
しつこくジャンを追いかける警部役をやって、蛇のような冷たさを上手く出していた。
最後には職業に殉じているのであって、ジャンを個人的に恨んでいるのではないというのも納得させた。
職業倫理に殉じる姿勢と、個人的な怨恨とが一緒にされがちだが、近代というのはそれを分けたはずである。

 本来この映画は、近代が生まれつつある時代に、個人が誕生してくることを描いているはずである。
旧体制に属する警部が、人々の出身に拘るのも、属性によって人間を決める伝統的社会の思考である。
近代では出身と言った属性ではなく、当人の能力へと判断の基準が変わった。
パリで革命が起き、王制が危うくなってくるそんな時の人間像であるが、恋愛が庶民のものとなっていたかどうかは疑問である。
愛情だけで人間がつながるには、まだ時代が成熟していなかったのではないだろうか。

 フランス原作の映画でありながら、会話はすべて英語である。
しかも、パリをはじめとしてフランス各地でロケをしたと思われる。
時代設定が現代とは違うので、セーヌ川の近くでのロケには夜明け前の時間を選んで、誰もいない状態で撮影していた。
にしても、フランスは地に落ちたものだ。
この映画に限ったことではないが、フランスの原作を英語で上映されてしまう。

1997年アメリカ映画


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