タクミシネマ              河

     蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督  

 台湾の映画であるが、その社会の通過段階を良く表している。
映画が近代化の過程と平行関係にあることに改めて感心した。
台湾は今工業社会に入りつつあり、かつてのわが国の一部の表現界が体験したような、難解な観念を弄ぶ中毒に陥っている。
しかしそれはどんな社会も、必ず通らなければならない道である。

 ひょんなことから旧友の陳湘h(チュン・シアンチー)に出会った李康生(リー・カンション)は、映画撮影に従事している陳についていくと、河を流れる死体に配役される。
撮影が終わった後、ホテルで陳と李はセックスするが、これはよく判らない。

 二人のセックスが、後半の展開にまったく関係がない。
誰とでも簡単にセックスする刹那主義や、快楽への無節操な没入への批判だとしたら疑問である。
全体にこの映画が現代批判だとしたら、性の解放は良いことだから、セックスの扱いには再検討が必要である。

 翌日になると、李は首が曲がったままになる。
李の家族は、ゲイ・サウナに通う父と、ゲイである夫を見限って愛人を持つ母である。
首の病気を治すべく、両親は奔走するが、彼等の日常は不自然な自然のうちにすすで行く。
母親がエレベーター・ガールをやっているのは判るが、父親の職業は不明だし、李の仕事も判らない。
どうやって生計を立てているのだろう。

 
前宣伝のビラから

 この映画の主題は、近代化のなかでの現代人の孤独だろうが、この主題は近代化が始まった地域では誰でも扱う。
それを映像としてどう料理するかが問われるのだが、この映画では観念の展開が、長廻しの画面と鋭い美意識とに彩られて提供される。
蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)は優秀な監督だと思う。おそらく先進国に生まれていれば、もっともっと先鋭的な映画が撮れる人だろう。

 李の父親をゲイ・サウナに通わせても、若い少年との同性愛ではゲイではないし、むしろ昔からどこにでもある少年愛にすぎない。
同性愛と近代化は関係がない。
彼にはゲイと少年愛の違いが判らないのだろう。
また母親が愛人の元に通うが、それとても昔からある風景で、現代特有の孤独を表すとは言えない。

 農業社会から工業社会への転換が、それまでの共同体的な安定を崩し、個人を裸にするとしても、それはすでに先進国で体験されたことである。
その台湾的表現があるとしても、それだけでは納得できた出来とは言えない。
そうした意味では、後進国とはつらいものである。

 カメラが優れた美意識で、計算されたライティングと構図で才能を感じさせた。
とりわけ肉体や顔の長廻しは、いささか疲れるほどの迫力で、蔡監督のねっとりとした体質を漂わせている。
ストーリーよりも、画面そのものが孤独感を表現していたと言えば、誉めすぎだろうか。

1997年の台湾映画。


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