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 コンタクト    ロバート・ゼメキス監督

 話の展開はしごく単純である。
天体に興味をもった少女エリー(ジョディー・フォスター)が、子供の頃の興味をそのまま持続し、MITを優秀な成績で卒業し天文学者になる。
彼女は地球外知的生命体を追い求め、まわりからは半ば気違い扱いだが、数年後とうとうヴェガ星雲の近くから発せられる信号をとらえる。
ここからは彼女だけの私事ではなくなり、アメリカ政府や大統領もからんだ国家的な事業となる。
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劇場パンフレットから

 信号を解読してみると、それは一人乗りの宇宙船=宇宙間移動装置の設計図である。
アメリカ政府が中心になって、宇宙船を完成させる。
宇宙船建設のために大きなお金が動くため、ワシントンの政争に巻き込まれて、彼女の期待するようにはなかなか展開しない。

 映画は、地球外知的生命体を捜す宇宙探検の影に、宗教的な主題=生命とは何かを伏線として流し、神と科学の抗争をおく。
エリーの上司が乗り込んで出発試験の時、狂信的な宗教家によって宇宙船や発射台が爆発。
これで話は終わりかと思うと、同じものがもう一つ北海道にも建設されており、エリーはそれに乗り込んでヴェガに向かう。

 映画の主題は、わからないままに終盤を迎える。
初めの3分の2くらいは、エリーの苦闘・研究の話である。
彼女は企業から投資者を募るために、あちこちに企画を売り込む。
地球外知的生命体との接触を、実現する方法をめぐって、アメリカ的な努力と誠実さで彼女は頑張る。

 1年以上もかけて売り込んだ結果、やっとスポンサーを獲得し、ニューメキシコで研究に没頭する。
そこで、地球外知的生命体と交信できる。
スポンサーとなるS・R・ハデンが分かり難かった。
また、日本が乗組員を推薦せず、下請け施工者として登場するのは、妙な感じがした。

 終盤になって、彼女が宇宙船に乗り込んでヴェガに行く。
そこの生物(=彼女の記憶を読んだヴェガ人が、父親の姿を借りて登場する)と話したりその風景を見て感動し、人間は宇宙の一部であり、決して孤独ではないと感じる。
そこで、伏線として流していた神と科学の合体が、初めて主題として浮かび上がる。

 映画は丁寧に作られている。
エリーの子供時代を演じた子役は、ジョディー・フォスターとよく似た容姿で、不自然さを感じさせない。
映画はエリーの探求心を一本の縦糸とし、彼女の地球外知的生命体の探求に専念する理由をからめ、宗教と科学の狭間を映像化していく。
後半になって、宇宙飛行士たちが言ったように、人間存在を相対化した神=創造主の存在を全面に出してくる。

 誠実な主題とまじめな製作態度は、この映画を少しもだれさせず、観る者を引きつける。
とりわけ、未知の宇宙空間のヴェガの映像化には、苦労したと思われる。
パラダイスとしての宇宙空間を映像化することは、まだ誰も経験していない。
そのため想像力が届かず、映像化は非常に難しい。

 この映画では、エリーの記憶を読みとった相手側が、彼女の記憶に従って映像化するという手続きを踏んでいるので、ヴェガは地球的な風景である。
未知のヴェガを映像化するという難しい作業を逃げている。
しかし、それを責めるのは酷だろう。
むしろその風景を描写するのに、科学者ではなく詩人にすべきだったとエリーに言わせている。
想像とはそれくらい難しいことである。

 アメリカではいまだに、科学が常に宗教との距離ではかられる。
神は存在するし、人類の95パーセントは神を信じていると考える社会。
創造主との関係で科学が計量される風土は、科学をも鍛える。
たとえ、神が間違いであっても、それを越えないことには何も認められないところから出る思想は、実にしたたかなものになる。

 映画としては、主題が直接語られる後半の部分が、未消化である。
主題は映画全体で語るべきで、直接的な言葉で言ったのでは物語たりえない。
また、マシュー・マコノヒー演じる宗教家パーマーとの初めの出会い、再度の出会いがややご都合主義的である。
ロバート・ゼメキス監督はエンターテインメントの壺をとらえた演出だが、前半と後半の繋がりがやや不自然だった。

 この映画で観るべきは、今のアメリカ女性の理想像を、ジョディー・フォスターが体現していることだろう。
彼女は自分の信念に基づいて、ただ一人努力する。
たとえそれが失敗に見えようとも、誠実に、決して嘘をつくことなく、誰の前でも堂々と自分の意志を表現する。
アメリカ政府から追求されても、毅然と自らの信念を述べる。
もはや男性も女性も、そのあるべき姿には少しの違いもない。

 こうした形で女性の理想像を、小さな時から見せられてくれば、アメリカの女性たちは逞しくなる。
男性とまったく変わらぬたくましさが、今のアメリカでは女性の理想とされているのかと思うと、我が国で理想とされる慎ましい女性像とは大きな隔たりがある。

1997年のアメリカ映画


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