タクミシネマ              キャラクター 孤独な人の肖像

キャラクター  孤独な人の肖像    
 マイケル・ファン・ディム監督         

 第一次世界大戦後のオランダはアムステルダム。
特別の身分ではない庶民が、近代の入り口でのし上がろうとしたときの悲哀を描いている。
ヨーロッパでは執行官と言う役人がしばしば出てくるが、その役割がよく判らない。

 税金を集める役人なのだろうが、徴税は汚れ仕事だから、おそらく国王から委任を受けた下級役人なのだろう。
その名残が残っているのか、この映画に出てくる執行官は、サイド・ビジネスとして銀行をやっている。
銀行と言うより、金貸しなのだろうか。
それにしては役人のような態度だった。

 この執行官ドレイブルハーブン(ヤン・デクレール)は、当然のことながら嫌われ者だが、しっかりお金を貯めている。
独身で女中さんを一人使っていた。
その女中さんに手を出して妊娠させ、結婚すると言う。
しかし、女中さんは一人で育てる道を選び、彼の元を離れる。

 生まれた子供ヤコブ(フェジャ・V・フェット)は、父無し子と蔑まれながらも優秀だったので、法律事務所に勤め、弁護士へと育っていく。
その途中で、父親である執行官が様々な形でからんでくる。
現代から見ると、父親は子供に優しく接すると思いがちだが、この時代に成り上がった執行官は、子供を厳しく鍛えることが愛情だと信じている。

 長閑だった農耕社会、農民の子は農民にしかなれなかったから、子供を厳しく育てる必要はなかった。
年齢秩序のままに育てていれば、子供は自然に大きくなった。
ところが、近代になると農業だけでは食いつめ、都市へと多くの人が流入した。

 そこでは社会の底辺にしか住むところが無く、非衛生的な都市環境の中で、多くの庶民が呻吟した。
そうした中でも、才覚のある人間は成り上がっていくのだが、彼等は自らにも厳しい生活規律を課し、家族にも厳しく臨んだ。
この執行官のように独身だったこともあるだろう。

 現代から見ると異常に見えるが、この執行官の価値観は当時、成り上がるためには必要だったのだろう。
彼等にとって、家族とは愛情によってつながった団欒の対象ではなかった。
仕方なしに出来てしまった人間の繋がりにしかすぎず、むしろお金を食いつぶす無駄な人間に見えていただろう。

 奥さんは身の回りの世話をする女中代わりだから、食い扶持を与えることには吝かではないが、子供たちはただの穀潰しにか見えなかっただろう。
だから自分のメンツが傷つかない範囲で、子供を養ったのだろうし、決して贅沢はさせなかった。
そして、子供が自分にとって、何の役にも立たないときは、さっさと縁切りが出来たのだろう。

 子供が親の役に立つ場合、それは自分の跡継ぎとなるときだけである。
自分の跡を継いで、自分の老後を見てくれるなら可愛がりもするが、そうでなければ自分には負の関係しかない。
自分が苦労したように、子供にも苦労させることは自分の義務である。
この映画では、母親が執行官から援助を一切断るので、父親の愛情は母親には向かわず、子供へと集中してますます厳しさが増す。

 ヤコブが借りた市民銀行は、父親の所有する銀行だった。
それを知らなかったので、返済できないヤコブは、実の父から破産宣告を受ける。
その後も何かと父親は、彼を厳しく鍛えるという愛情表現を見せる。
それは実にしつこく粘汁質のような愛情で、ヤコブを苦しめるが、ヤコブの方でも父親を越えることが自分の目的になる。
とうとう弁護士になったとき、ヤコブは最後の縁切りに父親のところに行く。
そこで、父親と格闘になる。
父親はその後自殺するのだが、映画は格闘のためにヤコブが殺したのでは、と言う嫌疑へと展開する。

 取り調べの様子が厳しくないので、ヤコブが殺したのではないと言うことは判る。
謎解きの要素もある映画ではあるが、結局は親子の争いの後での事故だと言うことで、映画は終わる。
この父親は、膨大な遺産を残しており、それが全てヤコブへと言う遺言が手渡される。
とんだ迷惑な愛情表現である。

 現代から見れば屈折した愛情表現だが、当時の執行官という彼の立場から見れば、判る心理である。
この映画もオランダの映画だが、近代の入り口で、特異な人が味わった錯綜した心理の動きを映画にさせると、ヨーロッパ人は実に上手い。
何も新しい内容はないが、過去の整理をさせると実に見事で、それが文学になっているのだろう。

 この映画の過去への視点は、もはや当たり前のことしか展開していない。
ヨーロッパではこの執行官のような人間は、すでに化石としても存在しないので、この映画は新鮮かも知れない。
しかし、つい最近いや今でもこの執行官のような人間が生きている日本では、屈折した親の愛情表現は新鮮でも何でもなく、むしろ当たり前にしか見えない。

 映画としては良くできており、ヨーロッパ映画特有のやや暗い画面、深い沈鬱さなど力のある監督だと思う。
原題は「キャラクター」であり、−孤独な人の肖像−は日本で付けたのだと思うが、この命名者は近代が判ってない。
近代とは孤独なのである。
孤独というのは、近代で初めて生まれた概念である。

1997年オランダ映画


TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

「タクミ シネマ」のトップに戻る