タクミシネマ                  スウィンガーズ

 スインガーズ    ダグ・ライマン監督

 なかなか役がまわってこないことに憤り、売れない役者たちが、自分たちで作ってしまった映画である。
主演のマイク(ジョン・ファブロー)が、自分の体験をもとに脚本を書き、監督はダグ・リーマン。
何となく間の抜けたアジが、軽くて面白い映画に仕上がっている。
壮大な主題があるわけではないが、共感を呼ぶ登場人物たちである。

 コメディアン志望のマイクは恋人にふられ、ニューヨークからロス アンジェルスへやってくる。
友人のトレント(ビンス・ボーン)が、しきりに女はミッシェルだけではない。
他にいくらでもいい女はいるとなぐさめる。
ラスヴェガスに連れていって、女性をナンパしたり、パーティに連れていったり、他の女性に眼を向けさせようとするが、マイクは失恋の痛手から立ち直れない。

 映画志望の若者たちが、何とか役をつかもうとしながら悶々とする毎日を、マイクの失恋の癒しを軸にしながら展開する。
彼等にすれば、運だけでメジャーになってしまったタランティーノは、とんでもなく許せない奴だろう。
映画のなかでも、タランティーノはスコッセッシュのパクリだとか、映画は所詮パクリだとかいった発言が飛び出す。
しかし、彼等にタランティーノが意識されているのは事実で、「レザボア ドッグ」のシーンがコピーされている。

 
劇場パンフレットから

 ミラマックスが配給しているが、手持ちカメラや不十分な照明など、超低予算の映画であることは明白である。
有名な俳優は、一人として主演していない。
おそらく売れない俳優仲間が、誘い合って大挙して出演しているのだろう。
現在の仕事を母親に言えないと、こぼすシーンは胸を打つ。
日々の不安や彼等の映画に託す将来などが、よく伝わってくる。
映画で名をなそうとする若者と設定したところが、単なる青春映画とは違っている。
青春のイライラの発散や単なる体制批判にならないで、自分たちを見つめる視点を設定しているところである。

 映画が好きで、いつか売れる日を夢見て貧乏な生活を送る若者たちの日々は、夢があるだけに面白い映画になっている。
これといった特別な主題があるわけでもなく、ただ失恋の傷から立ち直れないマイクと男たちの友情など、今や古典的な主題であるが、まじめに悩む姿が新鮮ですらある。
若者といっても皆30才近いことは、デビューが難しいアメリカの事情をよく表している。

 この映画から羽ばたいた役者も何人かいるそうで、売れないと悩むより、自分たちで作ったほうが良いかも知れない。
新規を好む若者はどこにでもいるが、こうした映画を買う配給元がいることが、今のアメリカの活力を支えているのだろう。
しかし、脚本は簡単に企画を通ったが、有名俳優を使うという条件がついて、ジョン・ファブローとは折り合わなかったそうな。
その結果、自主製作に近いことになったらしい。

 映画としてみると、マイクの失恋に重きをおきすぎた嫌いがある。
現代の若者は、仲間だけが知っているクラブで、昔の音楽やジルバに興じることをクールだと考えているのは分かるが、こうした懐古的な姿勢は何を生むのだろう。
映画のパロディやコピーを、もっとたくさん取り入れたほうが娯楽性が増し、マイクの失恋も楽しげになったと思うが、面白い映画だった。 

1996年のアメリカ映画


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