タクミシネマ                  奇跡の海

      奇跡の海    ラース・フォン・トリアー監督 

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奇跡の海 [DVD]

 ベス(エミリー・ワトソン)は、あこがれていた男性ヤン(ステラン・スカルスゲールド)とやっと結婚できる。
しかも、年齢がいっているにも関わらず、処女のままで。
1960年頃の時代設定で、場所はスコットランドである。
当時は出生率をあげないために、晩婚だったのかも知れない。
ヤンもベスも新婚というには相当な高齢者である。

 体が弱く繊細なベスは、油田開発に従事するヤンと結婚するが、幸福だった新婚生活もつかの間、ヤンは海上生活に離れていく。
いつもヤンと一緒にいたいベスは、ヤンを自分のところに返してくれと神に祈る。
神様は、事故で首から下が動かなくなったヤンを、ベスに返してくれる。
それでも、ヤンが生きていればベスは幸せだった。
そのヤンが、ベスにほかの男と性交をせよ、それが自分への愛だという。
神に自分の愛が試されていると確信したベスは、それを実行にうつす。

 ベスは嫌々ながら他の男と寝るが、まったく古い話である。
自分の嗜好を無視してまで、男性の希望をかなえることが愛の証であり、自己犠牲が愛するものを救うという感覚は、まさに男性中心主義である。
あれが逆だったらどうだろう。
女性が性交不能になり、男性に他の女性と性交することが自分への愛だというだろうか。
一見すると、この映画は純愛物のように感じるが、女性はかわいい存在で、自分をなくして愛するものに尽くすのが美しいという、古い価値観に支えられた映画である。

 スコットランドは、我が国にはあまり知られてないが、基本的には農耕社会が最近まで続いてきたのだろう。
そのため、神がまだ近所に生き残っており、教会の力が強いのかも知れない。
映画の中で、教会から破門されると、地域共同体の中で生きていけなくなると何度も描かれていたが、宗教が生活の中で生きているのは、ほんとうに残酷な社会である。
破門されたベスへの愛情より、自分の生活を大事にした母親をはじめ肉親たちは、姉を除いて全員がベスから距離をとる。
母親はベスを家にすら入れない。大怪我をして病院にかつぎ込まれたときになって、やっと母親だけが駆けつける。

 男性の言うなりになって自己を犠牲とすることが愛情だと、錯覚する世界は子供じみたものである。
自己が全く確立していない。
この映画でも、ベスは年齢に比して実に幼く描かれている。
それがエミリー・ワトソンの上手く演技するかわいさと相まって、いっそう強調される。
それに対して、ヤンは半ば中年的な雰囲気すら持っている。

 危篤状態になって、医者に見放されたヤンが生きるのは、奇跡しかないと言われる。
そこで、ベスの死がヤンを生き返らせるのだが、奇跡と再生=生まれ変わりという、いかにもキリスト教徒の好きな設定である。
この映画は、農耕社会の終盤か初期工業社会にあるキリスト教圏では絶賛されるだろうが、女性の犠牲美はもうたくさんである。
聖なる物=愛情のために身を捧げる話は、お国のための特攻隊の全体主義と同根である。
ここでも、宗教的な崇高さに対置するために、知らずのうちに宗教的な全体主義に陥っている。
教会が教壇化し、人間の尊厳を恣意的に決めているとき、個人的な犠牲が対置されるのではない。

 主題に関しては肯首できないこの映画は、しかし、絵画的な美しい画面をたくさん持っている。
全体の話は、六章にわたって展開するが、その章のはじめには鏡になる場面が映し出される。
それが不思議な色彩でとても美しい。
しかも、ゆっくりとその色彩が変化していく様は、幻想的でゆっくりした時間が流れ心地よい。
美意識と主題の古さとは、関係がないという見本である。
優れた美意識を持ったラース・フォン・トリアー監督だが、主題が同時代的ではないので、意欲的ではあるが映画向きではない。

 映画としては、テンポがのろく、手持ちカメラのためか見にくい場面が多い。
手持ちカメラの良さは認めるが、その特性にあった使い方をすべきで、ロケだからと言って三脚を使わないのは考えものである。
2時間半を越える長さは持たず、3分の1をカットすればもっと良い映画になったであろう。
原題は「Breaking the waves」である。
1996デンマーク映画。


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