タクミシネマ                  陪審員

 陪審員       ブライアン・ギブソン監督

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陪審員 [DVD]
  デミ・ムーアは、余り好きなタイプの女優ではないので、見に行くのをためらっていたのだが、見てしまった。
しかし、この映画の主題は恐ろしい。
セヴン」が、おずおずとリンチの肯定へと、踏み込んだと思ったら、この映画では最初から正義を無視し、リンチを前提に展開する。
アメリカ映画は、どこまでいくのだろうか。
幸か不幸か、映画はそれほど上出来ではないので安心だが、恐ろしい流れである。

 デミ・ムーア演じる主婦彫刻家が、陪審員になれるかと判事から確認されて、熟考の上で引き受ける。
それを見ていたマフィアが、彼女と彼女の子供の命をねたに、殺人罪で起訴されている親分を無罪にするために、他の陪審員たちに無罪工作をするように脅迫する。
デミ・ムーアはその脅迫に簡単に屈し、他の陪審員が無罪に投票するように、強力に説得活動をする。

 物語の中では、親分が直接手を下したわけではなく、脅迫している人物が犯人なのだが、それでも殺人依頼で有罪は明白。
他の陪審員は一人を除いて有罪。
デミ・ムーアは、2対8で有罪だったものを、無罪にするために雄弁をふるう。

 脅迫されている者が、相手を説得できるか否かは疑問だが、裁判では、彼女の活躍が実り、マフィアの親分は無罪になる。
裁判の後も、デミ・ムーアに裏切らせないための工作は続き、見せしめのために彼女の親友が殺される。
脅迫に屈してはいけないと、やっと気づいた彼女は、子供をグアテマラの友人のもとに隠す。
そして、独力でマフィアの親分に、脅迫していた男を殺させようと交渉する。

 それが失敗して、反対にマフィアたちが殺され、男から子供を殺すと通告される。
子供が殺されるのを防ぐために、今度は子供をかくしたグアテマラに先回りし、脅迫した男を罠におびき寄せて殺す。
それで、子供と彼女は助かって、めでたしめでたしとなる。

 現在のアメリカでは、個人の意志が力の大きなものに踏みにじられ、制度がそれを救済できなくなっているらしい。
工業社会の支配の制度は、情報社会に対応できておらず、自分の身は自分で守らざるを得なくなってきたのだろう。
そうした背景が、「セヴン」をうませるのであり、「陪審員」を生むのであろう。

 映画の冒頭で、陪審員を引き受けるかどうか、判事から確認されたときに、平凡な日々が続いており、刺激になりそうだからという理由で引き受ける。
その後、脅迫に簡単に屈してしまう。
その結果、親友まで殺される。
陪審員を引き受ける浅薄な理由と脅迫に屈したことが、映画のなかで正当化される展開が疑問である。

 「セヴン」では、本人の落ち度はまったくないにもかかわらず、愛するものが殺され、その復讐となる。
しかし、この映画では本人がすでに二つの間違いを犯している。
その間違いを、子供の命を守る母性愛で正当化している。

 「セヴン」と共通しているのは、犯人を殺すことが犯人側の勝利にもかかわらず、犯人を殺してしまうことである。
この終わり方は、勧善懲悪のハリウッド映画としては異常である。
いつの時代にも、悪人は存在するから、どんな犯人がでてきても不思議ではない。

 しかし、むしろ問題は、良識に属する人間が、不可解な行動をおこすことである。
「セヴン」では刑事が復讐のリンチをしたり、この映画では刺激を求めて陪審員になったり、良識が崩れていることこそ問題である。
もちろん一人の人間の中には、正邪の両方が住んでいるのは当たり前だが、観念としての良識が崩壊してしまうと、人間の存在自体が難しくなる。

 映画としては、二ヶ所ばかり気になった。
一つは、親友が脅迫者の恋人になる不自然。
デミ・ムーアが墓地で、マフィアの親分と会う偶然は目をつぶるとして、親友が紹介もされてないのに、脅迫者とどこで結びつくのだろうか。

 親友が恋人ができたと打ち明けるときに、その恋人が脅迫者だとわかってしまう安直さはいただけない。
もう一つは、グアテマラでのお祭のなか、子供にお面をかぶせる。お面をかぶせることが、最後の人違いのトリックをを予感させている。
お面をだしたときに、それが別人を暗示させ、その時点で結末を予測させた点である。

 感心した点が二つある。
それは、デミ・ムーアが脅迫されて困り、判事のところへ相談にいったとき、判事が彼女の意志を確認したことを繰り返しいうところである。
自己がなした決断の責任を、あくまで当人に求める。
もう一つは、陪審員たちが何日もかけて合議するシーンにあった。
それはアメリカでも同様に、誰も確信がないとき、声の強い者の意見が通ることである。

 デミ・ムーアは意見の異なる相手を攻撃し、しつこく自説を繰り返しているうちに、2対8の有罪をひっくり返す。
陪審制度が、全員一致としているので、あくまで反対する、もしくは賛成することによって、流れをかえてしまうことに驚くとともに納得した。

 本当に陪審員たちが、ああした激論を交わすなら、専門の司法関係者たちの独断より、ずっと市民の感覚に近い判決になる。
この映画は、O・J・シンプソン事件を念頭において作られ、むしろ陪審制度に疑義を投げかけたかったのだろう。
しかし、陪審員たちは熱心に議論した。
この映画からは反対に、陪審制度は優れた制度で、陪審制度を守るべきだと感じた。
1996年アメリカ映画。


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