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ユリシーズの瞳      テオ・アンゲロプロス監督 

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 自分捜しの映画である。
三巻の未現像フィルムは、主人公の来歴もしくは自分自身を象徴している。
それを捜す過程が、現代史と重ね合わされて、ギリシャの内戦、共産主義の崩壊、ボスニアの内戦などのエピソードを交えて、物語はすすむ。
戦争や内乱を俯瞰的にとらえることはせず、あくまで主人公の眼に写ったままに描かれる。
とても私小説的な映画である。

 農耕社会の人間と工業社会の人間に優劣がないように、農耕社会と工業社会とのあいだに優劣をつけることはできない。
しかし、文明の強さという点では、工業社会のほうが新しいだけに、農耕社会よりはるかに強い。
ギリシャが過去に、偉大な文明をもっていたとしても、それは農耕社会の原理に基づいていた。
ギリシャは長いあいだ農耕社会におり、今日、工業社会の暴力的な破壊にさらされている。

 古い文明をもった地域が、新たな強い文明に侵食され、新たな文明が我が物顔に振る舞うとき、それまでの自分たちはいったい何だったのかと、古い文化に住む人たちは自分が判らなくなる。
自己の存在証明が自覚できなくなるとき、自分捜しの旅は不可欠になる。
自己喪失感は、過去に偉大な文化をもった地域ほど、より強くより顕著に表れる。

 強力な外来文明の氾濫という現実のなかで、新たな文明にも馴染めず、しかも土着の文化からも遊離した知識人の悩みは深い。
優れた知識人は、強力な文明の普遍性を知れば知るだけ、苦悩せざるをえない。
劣った知識人は、存在証明を古い文化に求め、古い文化を守ろうとして土着性に逢着する。
私の喪失とは、農耕社会の土着的な文明に、近代文明=工業社会が侵入し、土着的なものが崩壊させられる過程で発生する。

 最初は、映画監督という表現者が、良心の自由を求めて反共的な主張をするのかと見えた。
しかしそうではない。
映画が訴えるのは、むしろ価値の混迷のなかで、めざすべき方向を失ったという信条吐露だった。
それが最後に、サラエボにたどりつかざるを得ない結末であろう。

 監督アンゲロプロスは、やはり農耕社会の人間である。
家族や血縁といった、人間のつながりを大切にする姿勢が、終始貫かれている。
それが混迷する社会の、彼なりの救いなのだろう。
とりわけ初期工業社会から、いきなり情報社会へ突入をせまられている地域では、家族のつながりが共感を呼ぶのかも知れない。

 決して切れることのない、家族とか血縁といった関係に、人間の精神の癒しを求めることは、近々できなくなって行く。
それはもちろん情報社会が、家族・血縁といった事実に寄りかかることを許容しないからであり、愛情という人間の精神活動しか残さないからである。

 家族の温かい人間関係が、なくなってしまうというのではない。
愛情の裏付けたる血縁という事実が、不要になる。
家族関係の愛情も、血縁としての関係ではなく、精神としての関係でだけ許容される。
だから農耕社会の人間関係が、血縁に頼ってきたとすれば、それは消滅せざるを得ない。
血縁としての家族による利害と、愛情による利害が衝突するとき、どちらに価値がおかれるかは明かである。

 農耕社会の人間は、家族を大切に思う価値観は、どんなものにも抵触しないと考えている。
しかし問題は、家族の中味である。
大家族だった農耕社会、この映画でも叔父さんや叔母さんがしきりに登場し、同じ家族としての絆がうたわれているが、もはや大家族は解体していく。
工業社会では核家族化しているし、情報社会では単家族になる。
情報社会では、大家族的な家族の愛情は存在し得ない。

 家族が殺されるかたちで、サラエボで映画が終わるのは、象徴的であった。
アンゲロプロスも、大家族的なまた核家族的なものは消滅すると、うすうす感じているのかも知れない。
自己探求の結果、個人が一人で残され、頼るものがなく生きなければならない孤独。宗教の発生まで、あとわずかである。

 知識人は思考し続けるがゆえに知識人であり、宗教にはけっして走れない。
しかし、大衆を欠いたところでの知識人は存在しないから、知識人とは孤独なものとならざるを得ない。
それにしても、イスラムの台頭は不気味である。

 原作の小説を読んでいなければ、理解できない映画はありえないから、映画だけで観るに耐えなければならない。
端的にいって映画自体は、共感を呼ばなかった。
なぜ、三巻の未現像のフィルムを捜すのか、説得力にかける。
ギリシャからサラエボまで、フィルムの関係者を簡単にたどれてしまうのも、ちょっと不思議である。
また三巻のフィルムが、なぜ人から人へと渡っていくのかの過程も、良く判らなかった。
1996年フランス・イタリア映画。


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