タクミシネマ                    フェティッシュ

    フェティッシュ    レブ・ブラドック監督     

 レブ・ブラドックという無名の監督がつくった短編映画を、劇場用に長編化したものである。
タランティーノがプロデュースしているが、きわめて個人的な好奇心だけに感心が集中し、全体をまったく見ないと言う本当に危険な道を歩いている。

フェティッシュ [DVD]
劇場パンフレットから

 小さな時から、殺人とか死体などに異常なまでの興味をもった女性ガブリエラが、成人後その興味だけに生活のすべてを集中する。
最初のうちは、新聞や雑誌からの殺人のスクラップをしているに過ぎないが、やがてそれだけでは済まなくなる。
人が殺されることに、異常な感心をもった彼女は、殺人現場の掃除屋に就職する。

 殺人事件のなかでも、金持ち女性を相手にした連続殺人事件ブルー ブラッド キラーは、特に彼女の感心をひいた。
この連続殺人現場の清掃には、自ら志願して担当する。
仕事中も、どこで、どのように殺されたのかと考えて、興味は膨れるばかり。

 しかも、血痕の後を拭いたら、名前が出てきた。
彼女の興奮はますます高まる。
その日は時間がきて、それで仕事が終わり。
しかし、彼女は気になってしかたない。
ボーイフレンドを伴って、夜になってから現場に行ってみる。

 彼女たちが現場へ乗り込んだ日の朝、犯人ウイリアム・ボールドウインは、被害者が断末魔に自分の名前を床に書いたことを知っており、それを消しに現場にきていた。
しかし、彼女たちが掃除に来たので、慌ててワインセラーに隠れたら、錠がおりて出ることが出来なくなってしまった。

 閉じこめられてしまった犯人は、脱出を試みるが失敗。
掃除屋たちも帰ってしまった。
ところが、夜になって彼女が戻ってきた。
ひょんなことから、ワインセラーの扉が開いて、彼は脱出できる。

 夜中の現場で、ガブリエラは殺人の過程を想像するのに忙しい。
犯人はここでこう刺して、被害者はこうなってああなって…、彼女は一人二役で、夢中になって殺人の過程を再現する。
そのシーンが、音楽にのって、踊りながら展開する。
彼女の恍惚感が実によく現れている。
彼女の名前がガブリエラとは、何たる皮肉か。

 やがて犯人に気づかれるが、彼女は殺人犯への恐怖よりも、殺人の過程への好奇心が勝っている。
彼女の好奇心は、犯人をもタジタジにさせる。殺してから首を切ったら、首は喋るかとたずねる。
犯人は首はなにも喋らないと言うが、彼女は喋るはずだと主張する。
ただ好奇心から、彼女は犯人の心境を確認していく。
それは、まったくのオタク。
犯人から床に書かれた名前を消すように促され、彼女はそれを消す。
彼女は犯人を知っているたった一人の人間である。
当然、身の危険にさらされる。
あわやと言うときに、犯人は滑って転倒し、気絶する。

 切り落とされた首が喋るかどうか、どうしても確かめたい彼女は、気絶した犯人の上にまたがって犯人の首を切る。
その時には、ラジカセにテープを入れて、録音の用意をした上というオタクぶり。
なにも喋らないと言った犯人の話とは違って、首は一言「ガ、ガ、ガブリエラ」と言う。
そこで彼女は大満足。映画が一度終わってから、録音したテープをボーイフレンドに聞かせる場面がもう一度シーンに現れる。

 映画自体はリズム良く、軽快に展開する。
終盤のクンビアにのって踊るシーンはわくわくするほどである。
達者な俳優たち。
はらはらわくわくドキドキの場面。
しゃれた画面や観る者を引き付ける筋の運びなど、良くできた映画だと思う。

 しかし、しかしである。
この映画は、ただ、殺人事件オタクとりわけ胴体から切り離された首が、喋るかどうかだけに興味をもつ女性の話である。
犯人が転倒して気絶しても、警察に届けよう何てことは、露も考えない。
どんなに反社会的であっても、自分の好奇心だけを実現しようとする。

 誰でもが共有する価値が崩壊し、オタクな時代になってきたことを、知らされる映画である。
殺人事件に興味をもつ人がいても構わないし、死後の首が喋るかどうかに興味をもつ人がいてもまったく構わない。
しかし、その興味を確かめるために、殺人を実行するとなると問題だろう。

 「誘う女」でも、有名病にとりつかれた女性の殺人が主題だったが、心のなかで感心を持つことと、現実に実行することとはまったく違うものである。
その境が限りなく近いものになっており、自分のきわめて個人的な興味を満たすためだけに、社会を無視して行動されるようになると、一体なにが行動の基準になるのだろうか。

 誰の心の中にも、自分の個人的な感心はあるだろう。
それが反社会的なものでも、心の中にあるうちは、誰にもかかわりがないから、とがめられない。
しかし、現実の行為となったときに、反社会性を持つが故に敵対的になる。
その境をどう作るか、この映画では何も言わず、ただ個人的な好奇心を満足させるためにだけ、
画面は展開する。反社会的な好奇心の実現を、映画は肯定している。
タランティーノの映画はおもしろいが、オタクな危険さをいつも感じる。

1996年のアメリカ映画


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