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思考のスタンスは、完全にヨーロッパ人と同じである。 流刑の地オーストラリアには、文学がないと思っていたので、極め付きの純文学に出会ったようで、オーストラリア人もなかなか見捨てたものではないと、彼らを見直した。 時は1951年、第二時世界大戦も終わったが、資本主義は富を偏在させ、働いても食えない人と不労収入者とに、ますます分けている。 資本主義諸国の混乱をよそ目に、戦勝国側だったソ連は、着実に社会改革を進めているように見えた。
モスクワに行った彼女は歓待されたあげく、スターリンの子供を身ごもって帰国する。 ジョーは女性警察官のアンナ(レイチェル・グリフィス)と結婚するが、それは母親の教育のためである。 息子が権力に近づきはじめたので、そのまま走ると、ファッシズム化することを恐れた母親は、出生の秘密を公表する。 第二時世界大戦以降、ヨーロッパの西側諸国はどこも戦後の不況にあえいでおり、ソ連の動向がまぶしかった。 今でこそ、ソ連の失敗が取りざたされているが、当時は人類愛に敏感な人ほど、ソ連に入れ込んだはずである。 現代の日本では、もはやソ連を信奉する人はいないし、そんな人はピエロ扱いである。 確かに、彼女の共産主義を支えた理念は博愛だったし、そのための共産主義だった。 思想は状況を越えて、ある時はソ連的な現れを見せ、ある時は反ベトナムや息子の暴走を止める形で現れる。 生活の幅は政治の幅より広いとは、埴谷雄高の言葉らしいが、当然のことながら思想の幅も生活の幅よりも狭い。 30年連れ添った旦那のウエルチは、ジョーンとの日々の具体的な積み重ねが、スターリンの思想以上に強いのだと、確信していた。 状況の変化に応じて、変転する人たちを冷静に、しかも人間愛にもとづいて、ダンカン監督は人間を見ている。 共産主義を扱ったので、結果としてシニカルに見えるが、監督は人間を皮肉るつもりはないだろう。 人物を中心から外した画面構成が、対話しているもう一方の見えない人物を感じさせ、会話の連続性を生み出している。 映画はその国の経済的、文化的な背景によって作られる。 1996年のオーストラリア映画 | |||||||
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