タクミシネマ                    ケーブルガイ

ケーブル ガイ   ベン・スティラー監督

 現代を鋭くとらえた、恐ろしい映画である。
同棲している女性にプロポーズしたら、同棲すら解消になってしまう。
プロポーズが同棲の破綻の原因になる、きわめて今日的な状況から話は始まる。
仕方なしに、一人で生活を始める男が、ケーブルTVを申し込む。

 工事にやってきたケーブル ガイが、彼を友達にしたいと様々な手段を講じる。
それが常軌を逸しているのだが、ケーブル ガイの生い立ちと相俟って、この映画は強烈なテレビ批判になっている。
途中まで、ジム・キャリーの単なるコメディだろうと思ってみていると、だんだんと現代の人間疎外が現れて、恐ろしくなる映画である。

 ケーブル ガイは、子供の頃ベイビー シッター替わりに、テレビを見て育ってくる。
母親だけで育ち、母親がデイトの時は、テレビが彼の相手である。
テレビ相手で育った彼は、人間の友達との距離の取り方が判らない。
だから成長しても、彼は友達が出来ない。
ケーブルTVを申し込んだこの男性は、他の人とは違って自分を人間としてみてくれる。
そこで、彼は精一杯の好意を表すが、それがことごとく的外れ。

ケーブルガイ [DVD]
 
劇場パンフレットから

 この映画は、ケーブルTVを申し込んだ男のほうから見ているが、途中からケーブル ガイのほうへと視点が移っていく。
誰も友達がおらず、人間間の適切な距離が取れない彼は、いつもピエロである。
それがジム・キャリーの演技と相俟って、眼いっぱいに強調される。
ジム・キャリーの演技はアクが強くて、いまいち好きになれないが、この映画の主題は痛いほど伝わってくる。
達者な演技であればあるほど、孤立していくのを表現したジム・キャリーのアクの強い演技が正解なのかも知れない。
行動的であればあるほど、孤独になっていくケーブルガイは、現代の希薄な人間関係の体現者である。

 ケーブルTVの作業員でありながら、テレビがベイビー シッターになっている子供を救わなければならないと、自らテレビの発信塔にむかって投身自殺を試みる彼は、現代のドン・キ・ホーテである。
しかし、人間愛あふれる発想がこの映画を貫いている。
きわめて今日的な主題でありすぎるがゆえに、映画評論をするには距離が取れない。
だからといって、悪い映画では決してなく、見るほうが感想を言葉に置き換えられないほど現代的でありすぎる。

 「リーヴィング・ラスヴェガス」は、個人的な話だったので対応できた。
しかし、この映画は社会の全体的な構造を扱っているので、見るほうの力量が問われる。
最初は、余裕をもって見ているが、やがてジム・キャリーに巻き込まれ、人間が人間と関係をもたなくなる状況に感ずかされる。
情報社会の中で、かってのような全人格的な形成をされなくなる状況が、恐ろしいまでに迫ってくる。
肉体と肉体が接触しなくなる時代に、人間はどのような認識方法を獲得するのだろう。
情報社会は、根底的な認識の変革を求めている。
 

1996年のアメリカ映画 


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