タクミシネマ          トイ ストーリー

 トイ ストーリイ    ジョン・ラセッター監督

 新しい表現手段を入手したときに、それを使う対象となるのは、シリアスな人間関係を扱ったものではなく、単純明快な主題になるのは必然である。
初めて出現したものは、いつも幼稚で稚拙である。
デリケートな心理描写などできはしない。

 初めての商業的なCG映画であることの名誉は、この映画のものである。
もちろん、いまだCGは、完璧ではなく、不自然な動きも多い。
しかし、CGの無限の将来性を感じさせるには、充分である。

 現在のコンピューター技術では、これだけの映画を作るには、気の遠くなるような根気のいるプログラミング作業が必要だったはずである。
この映画の裏には、膨大な数のコンピューターオタクと、映画オタクがいるはずである。

 どんな映画でも必ずあたるとは限らないとすれば、オタクたちに給料を払い続けるのは、ディズニーのような大企業でなければ、決してできない投資である。
余計なことかも知れないが、日本のアニメ映画は世界に誇る財産なのだから、ソニーミュージックなど日本の大企業こそ、手をだして欲しい分野である。

 この映画は、子供を主な観客と想定しているはずである。
にもかかわらず、映画としての主張を、子供向けに変えていない。
今の大人たちの最大の関心事を、そのまま子供にぶつける。
子供は理解力が劣った存在だと、けっして考えてない。
ただ子供に馴染みやすい状況設定をするだけである。

 子供も同じ社会に住むのだから、大人と同じ価値観に支配されることは当然なのだが、我々は子供の世界は大人とは違って、純粋なものと考えやすい。
そして、大人向けとは別に、子供向けの話をつくりやすい。

 子供向けとして、幼稚な話をつくるのは、子供を馬鹿にしたものだし、そんな話が面白いわけがない。
この映画では、大人と子供の二重規範を使い分けることをしない。
神、正義、悪、悪に対する人間の反乱=革命、信頼、連帯、同胞愛…こうしたものを、真摯に描く姿勢には、本当に頭が下がる。

 映画は、神(正義と悪)→人間(子供)→おもちゃ(コンピューター)という順にできあがっている現実社会の秩序構造を一つずらす。
子供を、正義と悪=絶対の体現者とし、神の位置におく。
そして、おもちゃ(コンピューター)を意志あるものとして、人間になぞらえる。
子供が二人登場するが、それぞれに正義と悪を象徴させて、おもちゃたちには逆らうことができないもの=絶対という設定である。

 主人公アンディーは、子供=絶対に仕える古い形のおもちゃである。
おもちゃという自覚を持ったおもちゃ、つまり現実社会のなかでは、神に従う人間の役割である。
現実の人間を反映して、背反した感情を持つ生き物を象徴させている。
それに対して、新たなおもちゃは、自分をスペイス レンジャーつまり天の警察官=神の代理者と錯覚している。
一つずらせば判るが、コンピューターというおもちゃが、人間を象徴する現代という設定だろう。

 新しいおもちゃは、コンピューターであるがゆえに、限りなく人間つまり神に近い。
そのため、自分をスペース レンジャーと錯覚している。
古いおもちゃのアンディーは、おまえはスペース レンジャーではなく、おもちゃだと決めつける。
コンピューターはおもちゃ、つまり人間に奉仕する存在だという。

 コンピューターつまりスペース レンジャーは、賢くスマートで間違わずいつも正しい。
それにたいして、アンディーは気のいい奴なんだが、人間的な弱さをたっぷり持っている。
ちょっとした嫉妬から、新しいおもちゃを殺そうとさえしてしまう。
しかし、それを反省したアンディーは、新しいおもちゃを快く受け入れる。

 この映画を作っている人々は、間違いを犯し、嫉妬から人殺しさえやりかねない人間を、実に温かくみている。
間違いを犯さないコンピューターが大切なのではなく、コンピューターは人間に奉仕するものだと、アンディーをとおして言わせる。
間違いを犯す人間こそ、大切にされなければならない生き物なのであり、楽しい生き物なのだと確信している。
それが、ドジなアンディーの行動を、人間であるがゆえに許すのである。

 コンピューターが時代の主役になり、もはやコンピューターなしでは、社会がまわらなくなっている。
しかもこの映画は、CGで作られている。
だというのに、この映画の主題は、コンピューターはおもちゃ、つまり、コンピューターは人間に奉仕するものだという。

 コンピューターはトイである、つまりコンピューターというおもちゃの話。
CGだけで作られた初めての映画が、なぜ、おもちゃの話なのか、これで納得させられる。
CGの技術が手に入ったとき、我々ならこうした主題を、いちばん初めに選ぶだろうか。
トイ ストーリイに、あらたてアメリカ文明の底力を感じさせられた。

 子供に歯の矯正をさせていたり、おもちゃの軍隊に本物をなぞらせたり、ディテールには凝っているが、映画としての完成度は低い。
映像の問題ではなく、CGはまだ表現の幅が狭いのだろう。
俳優という人間が演じると、その存在だけで訴えてくるものが非常にたくさんあるが、CGではそれをすべて人工的に盛り込まなければならない。
CGは計算外の演技、これをも計算しなければならない。
これがまだできないので、ふくらみに欠けるのであろう。

 映画の平均の長さは、一時間半から二時間だと思っていたら、この映画はずいぶんと短いので驚いた。
あまりに短いので、1800円の入場料は高いと感じるのだが、反対に三時間近い長い映画の時も同じ値段なので、納得することにしよう。
1995年アメリカ映画。


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