タクミシネマ           泉のセイレーン

泉のセイレーン    ジョン・ダイガン監督

 キリストの代わりに、磔になっている裸の女性という絵は、パロディーとしても衝撃的だった。
神が死んでしまったので、女性が自らを神の子だとは、台頭した女性たちも言えないだろう。
しかし、キリストを女性として描くのは、既成教団に対しては充分に批判たり得る。
女性のキリストが、人間に代わって処刑されるなんて、クリスチャンの男性には認められないことだろう。

 ヒュー・グラント演じる牧師夫妻が、展覧会に出展される絵が神を冒涜しているので、出品しないように圧力をかけに画家のところにいく。
するとそこには、妖精が三人いて、享楽的な世界が繰り広げられている。
そうした雰囲気に、いつしかヒュー・グラントの奥さんも感化されていくという話なのだが、状況設定は第一次世界大戦前であろう。

 この時代、本国イギリスではもちろんのこと、映画の舞台になっている植民地だったオーストラリアでは、女性が裸をさらすことや婚外の性的な関係は抑圧されていた。
この映画がその当時作られたのなら、大いに意義もあったろう。

 しかし、今日ではこの映画の主張は、すでに陳腐化している。
映画がいうように女性の裸が美しい、それは認めよう。
同時に、男性の裸も同様に美しいのだ。
映画のなかで、画家は男性の裸も描きはするが、女性の裸に力点が置かれている。
女性の裸を、妖精的な美の対象としてみるのは、すでに終わった。

 女性の裸を、妖精的なものとしてとらえるところは、女性に対する逆差別が生まれる。
今日では、女性の裸が美しいから鑑賞に耐えるのではなく、人間存在そのものの解放の証明として、肉体が見られる。
勃起した男性器はいまだ公開されないが、それとても人間の体の一部として素直に見れる日が近い。

 女性の裸から、性的な世界の肯定とつながるのは、いささか短絡的ではないか。
男性が肌を露出することは、昔から認められていながら、男性の裸が性と結びつかないのは、性的な世界を男性が支配していたからである。
それが、女性が肌をさらすと、性的な世界の肯定だと展開することは、きわめて男性側からの見方である。
この映画は全体に、否定的な意味で男性的な見地にたっている。

 既成の権威を表す牧師も男性。妖精たちの指導者は画家の男性。
男性に指導された女性解放は、女性の台頭までの繋ぎだったのである。
すでに女性が自ら表現手段を獲得した今、男性指導の女性解放は、すでにその役割を終わった。
むしろ語られるべきは、男女の関係性であり、関係のなかでの性であるはずで、女性を賛美する男性というのはすでに古い。

 最近、「ジェーン エア」とか「緋文字」とかが映画化されるが、これらは初期の工業社会で意味があったのであり、その主張はすでに現実世界で実現されてしまった。
価値が拡散し、何を表現すればいいか判らなくなっているから、つい昔の名作によりすがりたくなる。

 しかし、稚拙でもいい、未熟でもいい。
新たな世界を少しでも切り開かなければ、表現が存在する価値がない。
映画は娯楽とはいえ、表現の要素を除いた映画は無味乾燥なものになる。
どんな映画も、いくらかなりとも表現の世界でも、煩悶して欲しい。

 オーストラリアの風景が、何度か遠景されるが、馴染みがなかったのでその雄大さに驚いた。
また、広大なオーストラリアのこと、自然が残っていることは、現在でもこの映画の時代とそれほど変わらないだろう。
家のなかに動物や昆虫が入ってくる景色は、戦後までのわが国もそうだった。

 密閉された建物、空調のきいた部屋に生活していると、いつしか人間以外の生き物と、共存していることを忘れてしまった。
この映画で、何度か蛇が登場するが、かっては家のなかに蛇が出てきて、家中が大騒ぎになることがしばしばあった。
人間以外の生き物との共存を忘れると、いつかそのしっぺ返しがくるかも知れない。
自然を人間の力でねじ伏せていくのは、高いものにつくだろう。
1993年オーストラリア・イギリス映画


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