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現状が正義で、それに反対する者は悪者という思考から抜け出せない。 だから、外国の情報は極めて片寄ってしか、国内では接することが出来ない。 その多くは、体制側の見方に基づいたものである。 例えば北アイルランドの紛争にしても、IRAの活動が否定的に取り上げられ、しかも、それはイギリス側からの情報が多い。 必然的に、爆弾を仕掛けるIRAは、悪いテロリストになる。 北アイルランド紛争と呼ぶこと自体が、イギリス側の見方である。 権力側は支配機構をもっているから、暴力に訴えなくても、支配の意志が実現できる。 反対側はその意志を実現するためには、暴力の行使を否定できない。 暴力だけに限定すれば、支配側は非暴力を訴えるはずだし、反乱側を暴力集団と規定する。 反対側は、無関係な人々を暴力に巻き込む破壊集団ということになる。 北アイルランド紛争はイギリス側に非があると思うが、暴力反対のイギリス側のキャンペーンに北アイルランドの主張はかき消され、IRAは悪者にされる。 IRAは、イギリスからの独立戦争を戦っているのであり、北アイルランド紛争は独立戦争なのだ。 ところが我が国では、どんな国家もその初めは暴力で自らを確立したにもかかわらず、権力側を正義だと無条件に認め、反対側は悪とみなしがちである。 宗教という個人的なことでありながら、それが戦争まで発展すると、何事も個人的なことではなくなる。
反体制側は、独立とか解放という自己実現の目的があるから、禁欲的に戦うことが可能である。 何事も個人的でないにもかかわらず、結局すべては個人的な事柄としてある。 冬の湿った夜の場面が多く、濡れた道路が月に反射して幻想的で美しい。 敵も味方も同じ言葉を話し、同じ服装で、同じ町並みに生活している。 神はとっくに死んでいるのに、北アイルランドはカソリックという教団宗教から脱出できないから、工業化から取り残されている。 1995年のアイルランド・イギリス映画 | |||||
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