タクミシネマ           ミセス・パーカー 〜ジャズエイジの華〜

ミセス パーカー 〜ジャズエイジの華〜 
 アラン・ルドルフ監督

TAKUMI−アマゾンで購入する
MRS.PARKER_AND_THE_VICIOUS_CIRCLE

 アメリカが華やかだった頃、一人の女性演劇評論家が送った人生を映画化した。
ドロシー・パーカーというその女性は、結婚はしたのでミセスと敬称がつくのだが、物書きを職業とする女性である。
彼女の文章のタッチは、シニカルで辛辣だったが、独特の文体を持っていたので人気があった。
戦前の男性社会では、女性はなかなか仕事に恵まれなかった。
しかし彼女は、アルゴンキン ホテルの食堂に大きな円卓をおかせるほどに、仲間には恵まれた。

 復員した夫が、アル中になったことも手伝って、夫婦仲は決裂。
彼女をとりまく男たちがまわりをとりまき、恋多き人生を歩いていく。
彼女を良く理解していた男性は、特に一生の友人だった。
映画では、彼女の男性遍歴がいくつか取り上げられているが、この映画の本当の主題は、必ずしも恋多き女性の男性遍歴ではない。
物書きという才能が勝負の世界で、自分の才能を常に疑いながら、孤独にならざるを得ない悲哀を描いたものである。

 若いときに名が売れて、有名人として活躍しても、晩年は薄幸に沈んだ作家はたくさんいる。
表現という孤独な作業に耐えられず、酒や麻薬に溺れていった男性たちは数しれない。
少数ながら女性作家もいたが、彼女たちは必ず女性という眼鏡でみられた。
生きている時はもちろん、死んでからもなかなか人間として評価の対象とならず、男性との距離で語られることが多かった。
しかし、この映画ではそうしたアプローチはとってない。

 時代という制約があるから、現代の女性と同じようには考えられない。
しかし、書くことに自分の本分をおき、独力で生きた彼女の生き方は実に見事なものである。
多くの男性遍歴としても、決して非難されることではない。
男性ロック シンガーが女性あさりをするのと同じことである。
才能への不安と孤独の戦いは、才能があればあるだけ強烈だろう。

 アルトマン・プロダクションの製作であるが、アメリカ映画は、女性の扱いが男性と同じところまできた。
フェニミズムとかと言わないで、一人の人間として、才能のあった女性を見ることが、やっと出来るようになった。

 ある賞をくれると言うので、彼女は授賞会場に行く。
賞を貰って、一言、「考えても見なかった」と言って、舞台裏に消える。
ありがとうと言わないこの台詞は、日本語に直すと授賞を罵るような意味があった。
晩年は犬と一緒に暮らし、半ばアル中で、因業婆さんだったらしいが、それもよく理解できる。
彼女としては、彼女を本当に理解してくれる人はおらず、孤独になっていった状況で、自分を守るために針ネズミのようになって、暮らしていたのだろう。
いつの時代にも、表現を指向すると、厳しく生きていくことになる。

 モノクロ部分とカラー部分がうまく使われて、カラーの少しセピア調の画面も良くあっていた。
原題は、「mrs. parker and the vicious circle」と、皮肉ったものであるが、映画は男と同じように物を書こうとした彼女への良き鎮魂歌である。
若いときから晩年まで、女性の幅広い年齢を演じた女優は上手だった。
1994年アメリカ映画。


TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

 「タクミ シネマ」のトップに戻る