タクミシネマ          ブルー・イン・ザ・フェイス

 ブルー イン ザ フェイス   ウェイン・ワン監督

 同じ監督が撮った「スモーク」の後日談であろうか。
俳優たちは、同じ顔ぶれであるが、今度はハーベイ・カイテルが写真をとらない。
大時代状況を雄大に描いたり、手に汗を握る活劇ではない。
何気なく話が進み、筋のあるようなないような、こうした平凡な映画があってもいい。

 「スモーク」の時も感じたが、登場人物が実に日常的である。
普通に、どこにでもいる人たちばかりで、しかもみんないい人でありながら、なぜかごちゃごちゃとなりながら、日々が過ぎていく庶民の毎日。

 ハーベイ・カイテルに共感できたシーンがある。
女性が、子供にハンドバックをひったくられた。
ハーベイ・カイテルが追いかけて、犯人である子供を捕まえる。
そして、ハンドバックを取り替えすと、女性は子供を許してやるという。

 彼は、子供を警察に突き出すことを主張し、女性と対立する。
口論にあきた彼は、子供をその場で解放しようという女性から、ハンドバックを奪って子供に渡し逃げろと言う。
子供はハンドバックを持ってトンずら。
そのあとで、女性は烈火のごとく怒る。

 ブルックリンでは、子供のこそ泥といえども、泥棒を追いかけることは命がけだろう。
捕まりそうになったとき、振り向いて子供がピストルをださないとは限らない。
だから、泥棒を追いかけるのは、誰もしたがらない。
この女性は自分ではなにもしないで、戻ってきたハンドバックを手にして、子供を許してやるという。
しかも、それが教育的だといって。

 たしかに、警察に突き出すことがいいとは限らないが、社会の規則に反した行動をとったら、罰があって当然ではある。
その罰とは、どんなものが適切なのか、価値の体系が崩れてきたので、最近は判らなくなっている。
けれども自分は何もしないで、犯人を捕まえた男の意見に反対する女性。
考えさせられる場面だった。

 この映画は、進む時代に押しつぶされていく庶民たちの生活を、哀惜と共感を持って描いている。
ただそれだけである。タバコを吸うのをやめるとか、街のタバコ屋が取り壊されるとか、時代の流れである。
ところでタバコ屋がなくなると、ハーベイ・カイテル以上に行くところがなくなるのは、店の使用人の智恵遅れの男である。

 古き良き時代には、智恵遅れの人間でも、生きていく場所があった。
情報社会になると、身体障害者のハンディは徐々に無化されて、彼等は働けるようになる。
しかし、頭脳労働を要求される情報社会では、智恵遅れの人間はほんとうに生き難くなるだろう。
今後は身体障害者より、知能障害者のほうが大きな問題になることは間違いない。

 情報社会へと進む社会の中で、追い立てられすりつぶされていく庶民たちの、必死でしかもすこし悲しく生きる姿を、監督は温かい目でみている。
ところで、それがウエイン・ワンというアジア系の若い人だというから驚きである。
アジア人には、懐の深い長い目があるのであろうか。
生活とは保守的なものである、監督はそういっているが、歌う電報屋にマドンナを登場させて、生活に彩を付けることも忘れていない。

 「スモーク」では、タバコを吸うことを核に話は展開したが、この映画ではそれがないぶん話が散漫になっていた。
が、それはそれでいい。
「スモーク」では、作家が副主人公となっており、ハーベイ・カイテルと作家の会話が、映画に知的な色彩を与えていた。
この映画では、より庶民性が入り、ブルックリンの人間模様をとおして、情報社会への予告が感じられる。
彼が写真を撮らなくなったぶんだけ、観念性が消えて自然な映画になった。

 小津にしろ黒沢にしろ、農耕社会から工業社会への転換期に、農耕社会の側から新たな時代を照射したのではないだろうか。
それが庶民の平凡な生活だったり、共同体に生きる人間の掟だったりといった映画だったのであろう。

 わが国では、いま工業社会のまっただ中にあり、異なった価値観が自覚できない状況なので、鋭い映画が作れない。
アメリカでは工業社会から情報社会への転換期にいるから、来るべき情報社会を描いても理解されるし、工業社会から情報社会を描いても、まだ共感を持って迎えられる。

 時代の転換点にあって、過ぎ行く時代から来るべき時代を描くことは、どんなところでも有効性がある。
発展途上国での映画が盛んなことは、かってのわが国と同様に、彼らがいまちょうど農耕社会から工業社会の転換点にいることを示している。

 農耕社会から工業社会を見る視点が、人間の本質的な部分をとらえ得る。
情報社会になっても、人間はものを食べないと生きていけないから、農耕社会の価値観は小さくなりながらも、どこかに残らざるを得ない。
情報社会の価値観は、誰でもが理解するわけではないが、農耕社会の価値観は誰でもが共感できるのである。
1995年アメリカ・日本映画。


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