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子供が殺人を犯した時の親の対応を扱っている。 高校生の息子がガールフレンドといさかいになり、誤って彼女を殺してしまう。 事件の朝、父親と彼女のことで口論したこともあって、彼は親に助けを求められない。 家に車を戻したまま、家から失踪する。 警察がきて、家の者は事件を知る。 子供の運転していた車を見せろというが、父親は令状なしの捜査には協力しないと宣言。 警官が帰った後で、車を調べると、血のついた手袋やジャッキがでてくる。 ここから両親の対応が変わる。 証拠不十分の不起訴をねらって、最初は父親の路線で走る。 父親的な愛情表現か、母親的な愛情表現かが、映画の鍵である。 この映画は、O・J・シンプソン裁判の影響を受けている。 裁判に対する批判の映画は多いが、そのいずれもが裕福な白人層を基盤として作られていることが不思議である。 私刑の肯定と、正義と秩序の回復は楯の両面である。 愛情と社会正義の相克は親子間に限らず、愛する者の間では必ず成立する普遍的なテーマである。 裁判までの過程で、子供と父親との精神的なつながりが出来、どんな判決にも子供は父親の愛情を信じられるようになる。 よるべきものが、何もなくなりつつある現代に、家族だけは信頼できる関係だといいたいのは判るが、それはかえって人間不信になるだろう。 この映画で、父親が示す愛情は理解できる。 母親は、無前提的に事実に殉じてしまい、愛情と正義の間で揺れる内面的な葛藤がない。 親は、警察の捜査に協力すべきではないし、子供を守るべきである。 息子が自白して、未成年だから親のサインがいると言って、父親のサインを求める。 | |||||
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