単家族的映画論     第1部

現代アメリカ映画における家族像について     2001年3月10日記
 目  次
第1部   核家族だった時代       はじめに
1.輝ける家族像とは 2.叛逆する映画の誕生 3.専業主婦の旅立ち
4.混沌の80年代 5.青春の輝きと家族像 6.女性の青春と自立
7.核家族から単家族へ 8.発想の転換をめざして 9.人間はすべて平等
第2部   映画の舞台は単家族
1.95年は爆発の兆し 2.ゲイ映画の台頭 3.男女が同質の社会を
4.ただ愛情による家族へ 5.新たな秩序の模索 6.女性の自立後とは
7.子供への眼差し 8.純粋な愛情の誕生 9.純粋な愛情の展開
 おわりに
はじめに
 現代のアメリカでは、結婚した人のうち二組に一組が離婚する。同じ一人の男性と一人の女性が、生涯にわたって同居する家族形態、つまり終生の核家族はもはやアメリカでは主流ではない。しかし、彼等・彼女たちは離婚したからといって、男女の共同生活が嫌いになったわけではない。離婚した人たちは、そのまま独身を保つとは限らない。新たな伴侶を求めて、結婚や再婚をくり返す。離婚したといっても、やはり男女は魅了されあって共同生活をする。

 終生の核家族を営む人たちが、現代のアメリカにもいるのは当然である。しかし、非婚や離婚などの増加により、以前であれば欠損家族と呼ばれた単身者や父子家庭、母子家庭、そして再婚者のつくる家庭といったものが、多数を占めるようになった。アメリカにおいては終生の核家族はもはや主流ではなく、終生の核家族は一つ前の家族形態になってしまった。アメリカでいう古き良き家族とは、わが国の場合とは違う。おじいちゃんやおばあちゃんを含んだ大家族を意味するのではない。アメリカで意味する古き良き家庭とは、対なる男女がつくる核家族をさすのである。

 1960年頃まではアメリカもわが国と同様に、男性が家庭の外で働いてお金を稼ぎ、女性が家庭の仕事を担当するのが主流だった。それが1980年以降、コンピューターの普及など情報社会化によって、労働において肉体的に屈強な腕力が不要になった。ここで女性の職場進出が、本格的に可能になった。情報社会化によって、男性と女性が同じように働く現象が、社会全体に普通のこととして普及した。わが国では、情報社会化と家族像の関係はあまり論じられないが、情報社会化は男女関係や家族の形態にも、きわめて大きな影響をもっているのである。

 見落とされがちであるが、労働における腕力の無化は、女性ばかりでなく身体障害者の社会進出をも促した。体の一部が不自由な身体障害者は、屈強な腕力が必要な肉体労働には不向きだった。しかし、コンピューターの登場は、身体障害を劣性とはしなくなったことを特記しておきたい。

 アメリカにおいて、女性の職場進出と同時に顕著になった現象は、ゲイの台頭である。同性愛やゲイは、昔からあったと誤解され易いが、同性愛とゲイは似てはいるが違うものである。ギリシャの男性愛やわが国の陰間、そして「ヴェニスに死す」1971でルキノ・ヴィスコンティ監督が描いたような関係は、ゲイではなく同性愛である。同性愛とは言いかえると、中高年の男性と思春期の少年との肉体関係である。ところがゲイは、年齢も社会的地位もほぼ等しい成人男性や女性間の性関係である。ゲイとは、まったく新しい現象である。

 映画は芸術であると同時に、大衆的な娯楽である。そのため、映画はある種の芸術と異なり、それが作られる社会の庶民生活を無視しては成り立たない。映画の発展が庶民に支えられたものである以上、いつの時代でも映画は庶民生活のうえになりたち、多かれ少なかれ庶民の生活像を反映したものである。

 テレビの普及によって、一時期アメリカ映画は壊滅的な打撃を受けたが、それは映画の技術が拙劣化したからではない。アメリカ映画の扱う主題が、供給者であるハリウッドの思惑に縛られ、消費者である庶民の興味から離れたために、庶民から見捨てられたのである。庶民の興味や関心の変化に、アメリカ映画産業がついていけなかったと言ってもいい。映画が庶民のものである所以である。

 1960年代までのアメリカ映画は、勧善懲悪のストーリー構成、集客力を支えるスターシステムなど、古典的様式とでもいうべき約束にそってつくられていた。それは社会の現実を直視したものとは限らず、確立された社会の秩序と平和共存する様式だった。いつの時代でも、庶民は変転きわまりない面白い物語を求めている。テレビの普及に押されたためだけではなく、アメリカ映画は様式が確立してしまったがゆえに、庶民にとっては面白みが薄れ興味を失わせることになってしまったのである。

 最近、女性の職場進出とゲイの台頭を受けて、アメリカ映画が描く男女の関係や家族像はいちじるしく変化した。そして、庶民の関心事を、正面から取り上げるようになった。そのため、テレビに限らず様々な娯楽が普及した現代になって、アメリカの映画は見事によみがえった。製作本数も年間200本程度だったものが、400本を越えるまでになり、アメリカ人は年平均5回も映画館に足を運ぶようになった。日本人は年平均では一回にも満たないのだから、この数字は大変なものである。

 今、アメリカ映画は新たな時代の価値を語り始め、再度の全盛期を迎えたといっても過言ではない。本論は、アメリカの現代映画を通して男女関係の変化を跡づけ、今後の男女関係を渉猟する中で、家族のあり方を遠望する試みである。

第一部 核家族だった時代

1.輝ける家族像とは
 アメリカでは戦前すでに、働く主流は農業労働から工場での労働へと変わっていた。多くの人々が工場で働き、給料を稼ぐという工業社会が実現していたのである。しかし、ホワイトカラーが多い今日の職場とは異なり、この時代の工場での仕事は、ブルーカラーと呼ばれる肉体労働が主だった。そのため工場での労働者となるのは、主として男性だった。女性は工場での労働にでておらず、家庭内での仕事についていた。

 1960年代までのアメリカにおける理想的家族像は、「パパ大好き」や「アイ・ラブ・ルーシー」といった、テレビのホームドラマが見せたようなものだ。経済的にも肉体的にも逞しい男性が、家庭の外でお金を稼ぎ、優しく可憐な女性が家庭のなかで、かいがいしく働く。男性と女性がそれぞれの役割を家庭の内外に分担して働く、それが理想だったのである。

 第二次世界大戦の時には、大勢の男性が戦場へと出征してしまったので、アメリカでも男性の労働力が不足した。そのため、男性のピンチヒッターとして、女性が工場へ進出した。その結果、徐々に家族はその姿を変えてはいた。しかし、男性が戦争から復員してくると、男性が職場に戻り、工場で働いていた女性の多くは家庭に帰った。この時代、女性は終生の職業人となることはなかった。そうしたなか、50年代から始まり60年代へと続いたアメリカの繁栄は、工場労働者の家庭にも豊かさをもたらし、光り輝く社会を現出した。

 アメリカが最も光り輝いていたといわれるこの時代、男女の性別による役割分担つまり男性の職場労働と女性の家庭内労働は、確固たるものとして確立した。それは少し遅れて、わが国が輝いていた時代でも同様である。坂本佳鶴恵は「家族イメージの誕生」のなかで次のようにいう。

  「すなわち、ホームドラマが登場し、人気を集め社会的物語になっていった時期は、日本が著しい経済成長をみせた時期であり、またこの時期の家族は、二十代の適齢期で結婚し、子供を三十代前半までで二人産み、きょうだいが多かったので親と同居せず四人家族で暮らすという家族のあり方が一般化した時期である」

 経済が予想以上に順調な成長を示し、社会に潤沢感がでてきたので、それを支えた家族像が肯定されたのである。わが国で高度成長経済が謳われた時代には、やはり男性の職場労働と女性の家庭内労働は対になって考えられていた。性別による強固な役割分担を、多くの男女があるべき理想の姿と信じていた。農業を主とした社会から、工業を主とした社会へと転じるときには、多くの社会が同じ家族像を理想とするのだろう。

 ブルーカラーであろうとホワイトカラーであろうと給料生活者の家庭は、農家のように食べる物を自分の家ではつくっていない。そのため、お金を出して外部から購入しなければならない。着る物にしても同様である。家庭を維持するには、何をするにも現金が必要だった。ここが農家と決定的に違うところである。給料生活者の家庭は、性別によって男女が役割を分担しており、現金収入があるのは男性だけであり、女性は家事労働という無給の仕事に従事していたとは前記した。そこでは男性が自己の稼ぎによって、愛する妻子を養うのが当然とされた。

 男性の稼ぎを受けとった女性は、男性が翌日も楽しく働きに出ることが出来るように、家庭内の些事を細々とこなすのが当然の務めとされた。そして、性別による役割分担が確立すると同時に、農家の女性がやっていた縫い物や編み物といった有償労働は、商品経済の波に押されて消滅していった。
 今世紀の初めオリーブ・シュライナーは「女性と労働」1911を著し、そのなかで次のように述べている。

 「近代文明は女性から伝統的な仕事をほとんど奪ってしまった。社会は男性には怠惰になることを許さないが、女性には『性的寄生虫』となることを奨励している」

 しかし、1960年代のアメリカでは、それぞれの家庭には車や家庭電化製品が普及したとはいえ、人手をかけてしなければ消化できない仕事はまだたくさんあった。家庭内でせねばならない仕事は、充分に一人前の仕事量だった。だから、男性も女性もそれぞれ決められた役割を、一生懸命に果たさなければ、家庭は順調にまわっていかなかった。可憐な女性は家庭内できちんと働いたし、善良な男性はよりよい稼ぎのために職場で必死で働いた。ビンセント・ミネリ監督が「花嫁の父」1950で描くような、まじめで勤勉な父親が、たくさんいたのである。

 男性は家庭の都合を優先しても収入はふえないが、職場の都合を優先して仕事に励めば、地位も上がり収入は増えた。そのため時とすると男性は、その大切な家庭をより裕福な状態にするためにも、家庭の都合より職場での働きや、職場仲間との付き合いを優先しがちだった。

 家庭の収入がふえることは、家族の全員が裕福になることだった。女性に限らず家族の全員が、男性の出世や高収入を望むのは当然だった。だから女性は男性が仕事にのめり込むことを歓迎したし、家族の誰もが父親の働きを応援した。未婚の若い男性は、稼ぎの多いつまり出世した父親のようになることを夢みた。そして若い女性は、稼ぎの良い男性の妻になることを夢みた。後年、女性が家庭から職場にでることになるとは、誰も想像だにしていなかった。むしろ当時は、生涯を独身で過ごす女性は、哀れな存在だと憐憫の情をもってみられた。

 アメリカ経済が全盛を誇ったあの工業社会には、男女の働き方が違ったのだから、男女の生きる理想像も違ったものになるのは必然だった。この時代、社会は人間にたいして、男性の生き方と女性の生き方という、二種類の別々の生き方を与えた。性別による役割分担が自然のこととして、男性だけでなく女性を含めて多くの人が信じていた。言いかえると、女性も性別による役割分担を正しいものと精神的に内面化されていたので、女性が性的な対象にされたハワード・ホークス監督の「紳士は金髪(ブロンド)がお好き」1953やビリー・ワイルダー監督の「昼下りの情事」1957のような映画を、女性も楽しく見ることができたのである。

 それは当時のアメリカも、後年のわが国も同様だった。今なら性差別といわれるような映画も、女性たちにも歓迎された。それでも、当時のアメリカの家庭は、世界中のどこの家庭よりも、清潔で豊かで最も輝いていたのである。いや反対に言ったほうが良い。性別による役割分担が普及したので、豊かな社会が実現できたのだし、輝く家族があったのである。わが国における後年の例を見てもわかるように、経済の成長が著しい工業社会という時代が、性別による役割分担が男女の生き方を決めた、と言ってもいいだろう。

 男女に違う役割を担わせ、男性にのみ収入があり女性に収入がないとすれば、結婚が人生の途中で破綻に終わることは避けなければならない。結婚の破綻は、生活力のない女性を路頭に迷わせることになった。そして、結婚の破綻は男性にとっても、家庭における女性からの支援を受けることができなくなる。だから結婚の破綻は、男性にとっても職場労働が円滑にいかなくなることを意味した。

 現在でこそ、コンビニなどがあって、単身生活も不便ではない。しかし当時は、家庭での人手によって消化されることが前提として、すべての商品は販売されていた。成人男性が単身で生活することは、相当な不便をともなった。だから、結婚の破綻は女性だけではなく、男性にとっても大打撃だった。そして、もしすべての結婚が破綻したら、社会を大混乱に陥れるのは必定だった。一人の男性と一人の女性が、終生にわたって一夫一婦制を維持する。つまり終生の核家族が、男性にとっても女性にとっても、社会的な正義とされたのである。

 社会の仕組みが、男女の役割分担でできあがっているとすれば、映画もそれから逃れることはできない。ホームドラマに限らず1960年代以前の映画は、1人の男性と1人の女性が作る終生にわたる核家族が、人間関係の無前提的な前提になっていた。そして、1960年代になるとベトナム戦争の影響もあり、個人のあり方が問われ始めてはいた。しかし、男女の性別による役割分担に支えられた核家族が、揺らぐまでには至っていなかった。

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