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現代アメリカ映画における家族像について 2001年3月10日記 |
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目 次
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4.混沌の八〇年代 男女関係や家族像に新たな動きが生まれても、それが直ちに社会的な大変化につながるわけではない。社会的な変化は、一直線に進むものではない。 60〜70年代に、過激な学生運動やヒッピームーヴメント、それに女性運動や黒人解放運動が高まりを見せたことから、多くの人々はむしろ急激な変化に不安を感じ始めてもいた。そのため、心の拠り所を捜して、古いものを見直すようにもなった。不景気の嵐が吹き荒れたアメリカの80年代は、むしろ懐古的だったともいえる。80年代初めの映画もそれを反映して、安定した古い人間関係を指向したようにも見える。 ロバート・レッドフォードは初めて監督をした「普通の人々」1980で、普通の家族を描き、アカデミー作品賞と監督賞他を受けている。家族の大切さを扱った映画でありながら、この映画では、平凡な四人家族に長男の事故死、次男の自殺未遂と母子の確執、すでに崩壊し始めた核家族が描きこまれる。リチャード・ラング監督は「loveシーズン」1980で、大学教授である夫の浮気に対抗して、妻のほうも建築家と浮気する騒動を、コメディとして描いている。 同じ年「プライベート・ベンジャミン」1980で、ハワード・ジーフ監督はゴールディ・ホーンにコケティッシュな兵隊を演じさせて、既成の男女関係に揺さぶりをかけた。コリン・ヒギンズ監督の「九時から五時まで」1980では、大企業に勤める三人の女性が、団結して横暴な上司をやりこめる。そして、中年の女性が一人でギャングたちと渡り合う、ジョン・カサベデス監督の「グロリア」1980が公開される。社会は懐古的だったが、映画のなかの女性の力は大きくなり始める。 女子プロレスを描いたアバート・アルドリッチ監督の「カルフォルニア・ドールズ」1981は、全米を転戦する女性たちの話だし、ジャン・クロード・トラモント監督の「恋のドラッグストア・ナイト」1981のように家庭を見直す映画が作られ、女性たちは徐々に力を付け始める。アラン・アルダ監督は「四季」1981で、離婚をきっかけにして揺れ動く三組の夫婦を描く。しかし、映画は懐古的にもなる。マーク・ライデル監督が、ヘンリー・フォンダ、キャサリン・ヘプバーン、ジェーン・フォンダを起用して、古い家族愛に哀惜を示した「黄昏」1981を撮っている。 この年に公開されたデヴィッド・スロインバーグ監督の「結婚しない男」1981の原題は、「パターニティ」つまり父性である。この映画の主人公は、自分の子供を妊娠した代理妻に、子供を求めるだけではない愛情を感じてしまい、結婚を申し込んでいる。愛情にもとづいた結婚からすると、代理妻というひどく逸脱した主題を扱っても、愛情が対の夫婦を支えることには変わりがない。そして、最後は一夫一婦制へと収斂する。二人の男女が、対をなす核家族への指向はまだ強い。この年には、悪い女性を描いたローレンス・カスダン監督の「白いドレスの女」1981が公開されて、悪者となる女性にも共感が集まり、女性の自立が本格化し始めてもいる。 82年にはジョージ・ロイ・ヒル監督の「ガープの世界」1982が公開されている。この映画では看護婦だった女性が、瀕死の兵士を強姦してガープを妊娠する。前半は男親のいない母子家庭の子育てとして展開しながら、後半では旧来の家族愛や夫婦愛へと転じている。このあたりが、混沌とした時代の反映だろう。 女性の数奇で複雑な運命を「ソフィの選択」1982でアラン・j・パクラ監督が描き、最良の女友だちと結婚相手の違いを、ノーマン・ジェイソン監督が「結婚しない族」1982で描く。ダスティン・ホフマンが女装したシドニー・ポラック監督の「トッツイー」1982では、男女差別の実態がコミカルに風刺される。またこの当時は、ティラー・ハックフォード監督が撮った「愛と青春の旅だち」1982といった、単純で健康な恋愛映画が注目されもした。そして「愛と追憶の日々」1983が、ジェームス・l・ブルックス監督によって撮られ、過ぎゆく古き良き家庭と血縁の家族への愛情を謳い上げて、アカデミー作品賞と監督賞他を受けている。 家族の見直しは続き、平和な家庭生活をおくっている大学教授夫妻のもとに、十年前の浮気のときにできた子供が現れ、複雑な波紋をひろげる映画「愛の七日間」1983が、ディック・リチャーズ監督によって撮られる。また、チャールズ・シャイヤー監督によって「ペーパー・ファミリー」1984が撮られ、子供の視点から家族が観察される。忙しい現代生活に、親たちと子供との接触が薄くなって、子供は自分の世話をしてくれるメイドさんに懐いてしまう。この映画は、親たちに対する子供からの批判が主題だが、最後は親子三人が仲良くなるエンディングであり、制度としての家族の繋がりや家族愛の回復への期待が込められている。 マイケル・アポテッド監督が撮った「家族の絆」1984は、離婚した母の新たな恋人をめぐって、子供たちが繰り広げる物語だし、セルジオ・レオーネ監督は「ワンス・アポンナ・タイム・イン・アメリカ」1984で、移民してきた一族の団結と崩壊を描いている。また、ウールー・グロスバード監督の「恋におちて」1984では、伴侶ある男女が恋におちている。そして、女性が結婚に基づく愛情と性的な欲望の狭間で悩む「マリアの恋人」1984が、アンドレイ・コンチャロフスキー監督によって撮られている。この時代、家族はいろいろと悩み続けたのである。 第二次大戦で夫が兵士として出征しているあいだに、妻が工場に働きに出かけ、そこで新たな男性と肉体関係をもつ話が、ジョナサン・デミ監督の「スイング・シフト」1984である。ヒロインのケイ(ゴールディ・ホーン)は夫のいない寂しさから一度は男性に恋するが、夫の帰還によってケイは夫の元に戻り、夫婦はもとの鞘に収まる。この映画は二人の愛情を確認して、再び核家族へと戻って終わる。 第二次大戦の頃は、夫婦が他の異性と肉体関係を持つことは、完璧なタブーとされていた時代である。ましてや、夫が国のために出征している間に、妻が他の男性によろめくなどは、もっての他であった。ベトナム戦争の時代になると、夫婦の絆が弱まり始める。そのため、夫の出征中に他の男性に走って、夫婦が離婚に追い込まれる話が描かれるようになる。しかし、84年というこの映画の製作年度は、家族の絆を取り戻したい時期だったので、夫婦関係が回復するように描かれたのだろう。 85年になると、敬虔な信仰と素朴な農耕生活を守るアーミッシュの村を舞台にして、ピーター・ウィアー監督の「刑事ジョン・ブック/目撃者」1985が撮られて好評を得る。スティーブン・スピルバーグ監督は「カラーパープル」1985で、40年にわたる黒人姉妹の絆と愛情を描く。娯楽である映画が、古い生活習慣を守る人々を指向するのは、やはり社会も安定を求めていたに違いない。 家族を考える映画は続く。フランシス・コッポラ監督の「ペギー・スーの結婚」1986は、夫と別居した女性が、高校生に戻って青春を謳歌する話だし、アラン・バーンズ監督の「女ざかり ホリーとサンディ」1986では、無二の親友の夫が浮気の相手という設定で、女性同士の暖かい友情を描いている。ゲーリー・マーシャル監督の「恋のじゃま者」1986では、離婚した父親が独身の息子のところに転がり込んでくる。 サンドラ・ワイントロープ監督の「華麗なる不倫」1986では、金持ちの女性たちをベッドで相手にする脚本家が、その女性たちの生態を暴露して生まれるドタバタ騒動を描いている。また、結婚しないのは合意のうえの男女の共同生活だが、それすら上手くいかないエドワード・ズウィック監督の「きのうの夜は…」1986は、結婚に拘らずに同棲が多くなったことを背景にしている。この時代、家族も混沌としていた。 離婚経験者同士の結婚、出産、男性の浮気から破局が軽いタッチで描かれたのは、マイク・ニコルズ監督の「心みだれて」1986である。1970年代から増え始めた離婚は、80年代には二組に一組が離婚するという現在の水準に近くなった。結婚という制度への信頼性が薄れ、徐々にアメリカ人たちは離婚することを恐れなくなった。もちろんその背景には女性の職場進出、つまり経済的な自立があるのは言うを待たない。と同時に、結婚以外の男女の共同生活も増え始めた。そして、1985年には五人に一人が婚外児として生まれている。まさに現実は多様化してきた。 87年にはスタンリー・r・ジャッフェ監督が「危険な情事」1987で、一夜限りの情事にのめり込むこと、つまり敬虔な一夫一婦制から逸脱することに警鐘を鳴らす。そして、流れ者と情事を重ねる若い妻の悲劇的な顛末を描いた「真昼の情事」1987が、ミッチー・グリースン監督という女性によって撮られる。リンゼイ・アンダーソン監督の「八月の鯨」1987では、高齢者たちの微妙な心理が描かれるし、「ラジオ・デイズ」1987ではラジオが一家の中心だった時代を、ウディ・アレン監督がコミカルにしかも郷愁をもって描く。家族映画に脚光があたり始める。 80年代も後半になると、女性の自立や家庭の変化といった70年代の流れが戻り始めてもいる。87年には、85年のフレンチ・コメディ「赤ちゃんに乾杯」をリメイクして、「スリー・メンズ・アンド・ベイビー」1987がレナード・ニモイ監督によって撮られる。事情が判らぬまま赤ちゃんを預けられた三人の独身男たちが、赤ちゃんの世話に悪戦苦闘しながらも、わがままで可愛い小さな生き物に、惹かれていく様子がコミカルに描かれる。男性と子供の関係に注目する主題は、「クレーマー・クレーマー」を思い出させると同時に、90年代の男性の子育て映画の氾濫につながっていく。 ジョン・g・アビルドセン監督の「この愛に生きて」1988では、女子高校生が母親をこなすし、ジョン・ヒューズ監督の「結婚の条件」1988では、新婚の二人が直面する問題をコミカルに描いている。アイバン・ライトマン監督が撮った双子が生まれる「ツインズ」1988は、何人かの精子を混ぜての人工授精が前提になっている。マイク・ニコルズ監督の「ワーキング・ガール」1988は、平凡な秘書の女性が女性の武器を手に、凄腕の女性上司を乗り越えていく話である。ジョナサン・カプラン監督は「告発の行方」1988で、強姦された女性からの告発を描く。この年にはバリー・レビンソン監督の「レインマン」1988も撮られ、兄弟とは何かといった血縁に対する考察がなされ、新たな角度から家族について考えている。 89年にはゲーリー・d・ゴールドバーグ監督が「晩秋」1989で、個人の善意では抗することが出来ない家族の崩壊を描く。主人公のジョンは、離婚してまで仕事に没頭していたが、母親が病に倒れ父親もガンだとわかる。彼は生きがいだった仕事を辞めて看病にあたるが、家族の崩壊は止められない。ロン・ハワード監督が「バックマン家の人々」1989で、いくつかの家族とそこでの子育てを描いてみせる。これら二本の映画では、すでに崩壊を始めた家族への戸惑いと、その家族の結束を守るものとして、個々人がもつ家族への愛情に期待をつないでいる。 女性の自分探しも始まっている。専業主婦として夫のため子供のために生きてきた中年女性が、自分を発見するためにギリシャ旅行に出かける映画「旅する女:シャーリー・バレンタイン」1989が、ルイス・ギルバート監督によって撮られている。この映画は、女性の青春が開花する90年代への胎動といえるだろう。 ジョナサン・カプラン監督は「この愛の行方」1989で、生みの親になることを決意しながら、産んでみるとかわいさのあまり養子に出せない女性を描いて、里親制度に世の注目を集めさせた。ダニー・デビート監督が撮った「ローズ家の戦争」1989では、離婚の騒動が、家と家の戦争として描かれる。シドニー・ルメット監督は「ファミリー・ビジネス」1989で、親子三代にわたる泥棒一家を描く。 同じ89年には、小粒の映画ながら「セックスと嘘とビデオ・テープ」が封切られ、女性のセックスに対する心理的な解放が描写される。26才のスティーブン・ソダーバーグ監督の第一作目であるこの映画は、肉体と精神が分離している様子を、ビデオという新しい機械を媒介にして描いてる。 この映画では、女性たちが自分の性的なこだわりを、ビデオ・カメラにむかって告白する。それによって、自己を解放していく様子が、男性グレアム(ジェームス・スペイダー)によって撮影される。もう一人の登場人物である男性のジョンは、屈強な肉体をもった男性と描かれ、彼は旧来の殻から抜け出せない。ビデオ・カメラをまわすグレアムは、女性に質問するだけで、自分からは何の行動も起こさない。透明で無化された男性グレアムの存在が、実体験と虚体験が分離・錯綜し始める90年代を予感させる。 80年代は激しく揺れた70年代への反動から、混沌としたなかにも懐古的な動きが強かった。それを反映して、映画も様々な方向性のものが撮られた。しかし当時、工業社会から生まれたコンピューターが、職場や社会に広く普及し始めていた。そのため、男性的な肉体をつかった労働から脱性的な頭脳労働へと、社会の要求や価値観が大きく変化しようとしていたことを、忘れてはいけない。 混沌の80年代、肉体労働の象徴だったアメリカの重厚長大産業は、日本との経済戦争に敗れて業績不振にあえいでいた。重厚長大産業とは、力強い男性性の象徴に他ならなかった。強かったアメリカ工業の復活を望む声が高かった。しかし、情報産業は産声を上げていたし、ホワイトハウスをめざしていたクリントン氏やゴア氏らは、すでに頭脳労働の集約産業への転換を予測し、情報教育への大々的な転換を政策に掲げていた。景気の先行きが見えなかった当時、過去に学んで旧に戻そうとするものと、現状をより先へと押し進めようとする、相反する二つの動きがあったのは当然と言えよう。 時代の流れは、もちろんコンピューターのほうにあった。コンピューターの登場で労働それ自体が、きわめて個人的で脱性的なものへと転化していった。コンピューターが要求する頭脳労働は、経験より論理的な思考を必要とする作業だから、その熟達には年齢を問わない。長い経験によって蓄積されたツボやカンは、職場において役に立たなくなった。新たな発想を持った者が、より大きな能力を発揮した。そのため若い者たちが、高齢者をとび越えて、社会の前面に登場し始めた。年齢秩序の崩壊は、成人男性をして同年齢の男性を指向することを許し、ゲイの台頭となって現れたのである。ゲイ映画については、別途に後述する。 工業社会から情報社会への転換には、現状に異議を申したてるカウンター・カルチャーの台頭は必然的なものだった。いくらかの揺り戻しをへて、90年代になると女性やゲイの運動は、その果実を収穫するようになる。90年にはアメリカでの男女の賃金差は、10〜20%しか開きがなくなっていたし、女性にはガラスの天井があるといわれながら、女性の職場進出はとどまるところを知らなかった。 90年代に入ると、映画もそれを反映して、活発な動きを見せ始める。その多くは、旧来の男女関係や古き良き家族へと帰るものではない。かつての理想的な人間像の見直しと、新たな人間関係を模索するものである。70年代にアメリカン・ニュー・シネマとして確立された、リアルに現実を見る映画製作の姿勢を下敷きにして、アメリカ映画は新たな社会を指向する動きがより強まってくる。 |