単家族的映画論     第1部

現代アメリカ映画における家族像について     2001年3月10日記
 目  次
第1部   核家族だった時代       はじめに
1.輝ける家族像とは 2.叛逆する映画の誕生 3.専業主婦の旅立ち
4.混沌の80年代 5.青春の輝きと家族像 6.女性の青春と自立
7.核家族から単家族へ 8.発想の転換をめざして 9.人間はすべて平等
第2部   映画の舞台は単家族
1.95年は爆発の兆し 2.ゲイ映画の台頭 3.男女が同質の社会を
4.ただ愛情による家族へ 5.新たな秩序の模索 6.女性の自立後とは
7.子供への眼差し 8.純粋な愛情の誕生 9.純粋な愛情の展開
 おわりに
7.核家族から単家族へ
 1980年代になると、家族像は激しく動き出す。その顕著な表れの一つは、離婚の増加である。ロバート・リーバーマン監督は「五人のテーブル」1982で、両親の離婚が子供に与える影響を主題に、父親が親子関係を問う話を撮っている。

 仕事を始めた妻と別れた男性が、二人の子連れの女性と再婚する話を、アラン・j・パクラ監督が「いくつもの朝を迎えて」1989で撮る。この映画では、別れた妻や新しい家族とのあいだで、揺れ動く心理が丁寧に描かれ、離婚は異常事態ではなく、普通の出来事になり始めてきたことがわかる。また、ウーリー・ロメル監督は「コールド・ヒート」1989で、離婚した男女が子供をめぐって繰り広げる騒動を描く。

 ピーター・ウィアー監督の「グリーン・カード」1990は、アメリカの市民権をとるために偽装結婚する話だが、ここでは結婚が神聖さや重要性を失って、単なる紙切れのうえのことにすぎなくなっている。ジョセフ・ルーベン監督の「愛がこわれるとき」1990では、理想的に見えた夫婦の崩壊が描かれる。

 90年代にはいると、家族を扱った映画が急速に増え出す。しかも、これらの映画に共通しているのは、お父さんとお母さんそれに何人かの子供という標準的な核家族は、あまり見あたらないことである。単親家庭の映画は、子供への眼差しでもとりあげるが、映画のなかのどの家族も離婚していたり単親だったりと、いわば欠損家庭とも言うべき家族ばかりである。

 単親といっても90年代の家族映画は、欠損家庭であることを卑下したり悲しんだりしない。むしろ欠損を明るく撃ち破っていこうとする姿勢に溢れている。家族がいかに勝手に動くかを描いたジャック・フィスク監督の「家族狂想曲」1990とか、マーチン・デビッドソン監督の「いつも隣にいてほしい」1991で描かれたように再婚者との恋愛とか、家族の崩壊を描いたスコット・m・ローゼンフェルド監督の「家族の祈り」1991のような作品をみれば、それは明らかだろう。

 キング・ビダー監督の「ステラ・ダラス」1937をリメイクして、ジョン・エアマン監督が「ステラ」1990を撮っている。この映画は、中学しかでていない未婚の母ステラが、男性からの援助を断って一人で子供を育て上げる話である。知性に欠け貧乏だけど魅力的な女性という設定、そして賢く美しい娘が玉の輿にのるというエンディングが、工業社会までの男尊女卑的な古い感覚を感じるが、それでもステラの家は決して暗くはない。女性の一人暮らしは困難だけど、徐々にそれも可能になってきた。

 単親家庭を舞台にした映画の氾濫は、80年代から続いたレーガン大統領に代表される旧来の古き良き家族像を守る動きが破綻したことを意味する。そして、多様な家族が社会的に噴出してきた映画的な表れである。工業社会でこそ古き良き家族は機能したが、情報社会では核家族は機能不全になった。妻を亡くした男性と中年女性の恋を描いたルイス・マンドキ監督の「ぼくの美しい人だから」1990は、年齢も育ちも教養もまったく不釣り合いな男女の恋愛を肯定的に描く。そして、カール・ライナー監督の「マージョリーの告白」1990では、平凡な主婦の浮気騒動がコミカルに描かれる。

 堅い保守的観念とメンツという社会通念に縛られた、弁護士の一家を描いたジェームズ・アイボリー監督の「ミスター&ミセス・ブリッジス」1990は、立派ではあるが息の詰まるような家庭生活が、思春期を迎えた子供たちによって打ち破られていく。男女の性別分業にもとづいた古き良き家族像は、徹底的な検証にさらされ始めた。輝く核家族のもとでは、誰かが犠牲になっていたのである。マイケル・ポートマン監督の「ねじれた家族」1991では、夫婦と子供四人の平和な家庭が、子供の成長とともに家族の歯車を狂わせていく様子が描かれる。

 パシャール・シビブ監督が撮った「ジュリアと二人の恋人」1991というラブ・コメディでは、同棲の相手からプロポーズされても返答ができず、もう一人の男性とのあいだで揺れ動く女性の心理を描いている。そして、ジェリー・リース監督の「あなたの恋にリフレイン」1991では、同じカップルが結婚・離婚を四回にわたってくりひろげるし、ポール・マザースキー監督の「結婚記念日」1991では最先端の結婚セオリーを実践しようと、浮気の告白をする夫婦がコミカルに描かれる。テレビ映画だが、ワリス・フセイン監督は「フォーエバー・ファミリー」1991で、1978年におきた赤ちゃんが産院で取り替えられた事件を扱い、血縁の両親よりも育ての父親に家族の絆を認めている。
 
 ジリアン・アームストロング監督の「熱い夜に抱かれて」1991は、二人の男性のあいだで揺れ動く人妻の話だし、マーサ・クーリッジ監督の「愛を奏でて」1992は、職業を持った妻の不倫の話である。ウッディ・アレン監督の「夫たち、妻たち」1992は、二組の夫婦の離婚と愛情関係をドキュメンタリー風に描いている。もはや核家族はその姿を維持できない。アメリカにおける情報社会化は、輝く核家族という旧を懐古したい人に、たっぷりとは時間を与えなかった。

 アメリカでは、アラン・ルドルフ監督が「チューズ・ミー」1984で描いたように、二人の女性が互いに素性を知らぬままに、ルーム・メイトになる例が昔からあった。そうした背景も手伝ってか、アメリカの学生生活は、わが国と異なり親元を離れて暮らすことが多い。お金のない学生たちは、安く生活をするために、友人同士でアパートに同居する。その形態は様々で、ルームメイトという言葉のとおり一部屋に同居する者もいれば、一軒家を借りて部屋ごとに住み分ける者たちもいる。

 同居もかつては同性同士で住むのがふつうだった。しかし、時代が下るに従ってその同居人たちは、性別を問わなくなってきた。大学の女子寮も男子禁制が解かれ、女性の花園は流行らなくなった。さすがにルームメイトは同性であることが多いが、ハウスメイトとなると同性とは限らなくなった。一軒の数部屋を、数人の男女で住み分けることが多い。そうした背景で、男女の居住環境や関係が変わってきたことを、象徴する映画が作られている。

 単身生活者たちの生態を、コミカルに描いたキャメロン・クロウ監督の「シングルズ」1992は、グランジなるファッションを生み出し、ロックにのって展開される映画だった。バルベ・シュレデール監督の「ルーム・メイト」1992は、女性同居人の愛憎半ばする心理を追って、血縁のない疑似家族の危うさを描いている。ベン・スティラー監督の「リアリティ・バイツ」1994は、混沌とした価値観のなか、最適の選択肢を見つけだそうとする、男女が同居した若者たちの姿をリアルに描いている。

 この頃、ロバート・レッドフォード監督の三作目である「リバー・ランズ・スルー・イット」1992が公開されている。この映画では、主人公の一家は子供が小さい時代こそ、父親と子供たちが一緒にフライ・フィッシングを楽しんでいた。しかし、雄大な自然のなかで、緑に囲まれた渓流に光る釣り糸を美しく描きながら、すでに核家族はその姿を維持できない。厳格な父親と優しい母のもと、ポール(ブラッド・ピット)の一家は、敬虔な信心をもって良き核家族を営んでいたが、最後にポールは死ぬ結末である。古き良き核家族への哀惜が、痛いほど伝わってくる。

 マーチン・スコセッシ監督は「エイジ・オブ・イノセンス」1993で、1870年頃つまり明治の初めの、ニューヨークの上流階級を描いている。この時代は、身分制が厳格で世間の目が厳しく、婚約者のいる男性と夫のある女性の恋愛は許されなかった。彼等はどんなに愛し合っていても結婚できなかった。恋愛感情を本人たちが抑えざるを得なかった。現在からは、それが不自然に見える。しかし、100年たった1990年代では、男女の愛情の前にはいかなる障害もない。オリバー・ヘルマンとロバート・バレットの二人が監督する「檻の中の情事」1993では、才色兼備の大学教授が刑務所に収監されている犯罪者との情事に走るのである。

 90年代半ばのアメリカ映画爆発の前に、90年前半では「ウエディング・バンケット」1993という注目すべき映画が作られている。ニューヨーク大学映画学科出身の台湾人アン・リー監督が撮った「ウエディング・バンケット」は、同棲とゲイの関係を重ねて見せた映画だった。情報社会に入ったアメリカでは、恋愛のすえに結ばれた結婚が長続きしない。もはや男女が同棲するのは当たり前だし、都市部ではゲイの同居もそれほど不自然ではない。しかし儒教倫理の残る台湾人、それも台湾在住の年老いた人々にとっては、結婚を想定しない同棲や男性同士の同棲は理解を超える行動である。

 この映画は、情報社会になった国とまだ情報社会になってない国の違いを背景に、長い視点で価値観の違いを優しく見つめている。アメリカに帰化した主人公のウェイトン(ウィンストン・チャオ)はゲイで、恋人のサイモン(ミッチェル・リヒテンシュタイン)と同棲している。台湾に住む彼の両親は、ウェイトンがむかしどおりに普通の結婚をして、孫の顔を見るのを楽しみにしている。彼は両親を安心させるために、中国人女性のウェイウェイ(メイ・チン)と偽装結婚をする。そして、その結婚披露宴に両親を台湾から招待する。

 ところが、ウェイウェイが間違って妊娠してしまう。ウェイトンとサイモンは戸惑うが、両親は子孫繁栄に喜ぶ。父親は何日か一緒にいるうちに、ウェイトンとウェイウェイの仲が不自然であると気づく。それで父親は、息子ウェイトンの本当の連れ合いが誰であるか察知する。そして、別れ際にはサイモンに向かって、息子をよろしく頼むと深々と頭を下げる。父親の複雑な気持ちが伝わるこのシーンには、思わず胸が熱くなる。

 駆け足で工業社会そして情報社会に辿り着きつつある台湾では、いまだに農業を主な産業とする社会的な生活習慣が廃れていない。たとえ同性愛者がいても、それは社会の表には出てこないし、ゲイはアメリカほど多くはない。価値観のまったく異なった社会に生きる者たちの、悲喜こもごもをすべて飲み込んで、父親は万感の思いを胸にアメリカから故国の台湾へと帰る。飛行機に乗るために搭乗口へと向かう父親の後ろ姿は、懐深く子供の幸福を願う親の気持ちが、しみじみと現れていた。

 監督も出演者も台湾人であるが、「ウエディング・バンケット」は台湾の映画ではない。この父親は、生き方の違う我が子供であっても、はや独立した人格として認める。親は自分の許容できないゲイという生き方でも受け入れる。親が子供を自分と対等の存在とみなし、子供の精神的なプライバシーを認めるこの姿勢は、情報社会に入った社会でのみ成立するものである。

 農業を主な産業とする社会では、個人が勝手な行動をしたら、生産力が落ちる。だから独立した個人の自由な行動を許さない。人間は個人ではなく、はたすべき役割に生かされた。農耕社会の倫理を引きずる台湾では、個人の倫理にいきるゲイは生活できない。台湾で作られた映画なら、父親は息子の生き方を認めなかったであろう。けだし映画は興行が伴うので、作られる社会を無視しては成り立たないからである。台湾の映画なら、ゲイから改宗するように強く迫り、そのあげくに勘当だとか、絶縁だと言ったに違いない。農耕社会の倫理を引きずったわが国でも、つい最近まで、役割に挟撃されるそうした映画をたくさん見せられてきた。このアン・リー監督は生まれは台湾人でありながら、すでに情報社会の見方を身につけたアメリカ人である。

 リチャード・ベンジャミン監督の「メイド・イン・アメリカ」1993は、人工受精児が母親を問いただして精子提供者を捜す話である。そして、クリス・コロンバン監督の「ミセス・ダウト」1993は、離婚した男性が子供恋しさのあまり女装した家政婦として、別れた女性のところで働くものである。いずれもコミック仕立てだが、欠損家族はけっして暗くないし、自分たちの運命を卑下していない。トニー・ビル監督の「母の贈り物」1993では、単親の母と子供たちが逞しく生きていく姿を描く。

 ラッセ・ハルストレム監督の「ギルバート・グレイプ」1993では、家族の絆を描きながら、過食症で異常に太った母親、精神障害の弟、その面倒を見る主人公ギルバート(ジョニー・ディップ)という家族である。しかも最後には、彼等の住んでいた家を全焼させ、古き良き核家族を見事に清算してみせる。スウェーデン人のラッセ・ハルストレム監督は、崩壊し続けるアメリカの核家族を見て、家族愛の大切さを描いたに違いない。しかし、対の男女がつくる標準的な核家族は、もう射程に入らなかったのだろう。

 家族の繋がりを懐古して描くのは、ウェイン・ワン監督の「ジョイ・ラック・クラブ」1993である。財産を持たずにアメリカに移民してきた中国人一世と、アメリカで生まれ教育を受けたその娘たちの世代のずれを、ゆったりとした長く温かい目で描いている。ここでも中国での大家族ではなく、家族は小さくバラバラになり始めている。「ウエディング・バンケット」1993といいこの映画といい、中国系のアメリカ人にも家族の多様化は大きな主題となってきている。

 ルイス・マンドーキ監督の「男が女を愛する時」1994では、職業をもった男女関係の崩壊を描いている。互いに一目惚れで結婚したマイケルとアリスだが、マイケルの仕事がパイロットで時間が不規則のため、寂しさを酒にまぎらわすうちにアルコール中毒になっていくアリス。同じような設定の「スイング・シフト」1984では、夫の不在から妻は不倫へと走ったが、最後はもとの鞘におさまっていた。しかし「男が女を愛する時」では、夫婦関係は危機的である。

 「男が女を愛する時」では、破滅寸前の夫婦の厳しい現実をリアルに追っていく。もはや男女は終生の一夫一婦制にこだわることなく、関係がきしみだしたら無理して一緒に生活することはない。心が離れてしまった二人が、共同生活を続けること自体、二人だけではなくまわりの人々をも傷つけるのだ。制度としての結婚は、すでにその足下が揺らいでいる。

 クリス・メンゲス監督の「セカンド・ベスト」1994は、邦題では「父を捜す旅」とサブタイトルがついている。中年の独身男性グラハム(ウィリアム・ハート)が自分の子供が欲しいと、養子縁組広告で知り合ったジェームスとの交流を描いている。二人は食事をしたり遊びにいったりと、血縁のない者が結ばれて親子になるために、さまざまな葛藤を乗りこえていく。

 映画の舞台になるのは、もはや欠損家庭のほうが多いといってもいい。リチャード・ベンジャミン監督の「ミルク・マネー」1994に至っては、父子家庭つまり父と子の二人暮らしである。しかも、父の再婚相手になろうとするのは、12才になる息子が連れてきた街の娼婦である。結局この二人は結ばれなかったが、男女関係がきわめて流動化してきた証と言えるだろう。マーサ・クーリッジ監督の「愛に気づけば」1994は未婚の母の恋愛劇だし、アイバン・ライトマン監督の「ジュニア」1994は、あの屈強な男性アーノルド・シュワルツェネッガーが妊娠する話である。

 この頃から、父親と子供の関係もしくは父子家庭を、中心にした映画が目立ち始める。ジョン・バダム監督「ニック・オブ・タイム」1995、ロブ・ライナー監督「アメリカン・プレジデント」1995、ショーン・ペン監督「クロシング・ガード」1995、ベン・スティラー監督「ケーブル・ガイ」1996、キャロル・バラード監督「グース」1996、ロバート・ゼメキス監督「コンタクト」1997などは、いずれも単親の父と子供を中心にしながら、物語が展開する。そこで描かれるのは、かつての父子関係とは少し違い、背中で教育する強い父ではなく、子供に向き合い子供を精一杯愛する父親像である。

 母と子は出産を通じて直接性が確認できるから、関係性の確認のために特別な儀式を必要としない。しかし、父と子は生理的な関係を、自覚するのはきわめて難しい。つまり情報社会という観念が支配する時代には、親子関係にあっても、観念で確認せねばならない父子関係こそ問いなおされるのである。第二部で詳論するが、女性がフェミニズムという形で観念を求めて自立したが、現在のところ生理的な女性性から離れることができないので、母子関係に関しては観念にすがらなくても女性は生きていける。

 出産という生理に母子関係の原点をおいて、女性解放運動を組み立てることができた。本当は妊娠・出産・授乳といった生理をはなれたところで、母子関係をとらえ直す作業が、女性の本当の自立を招来するのであるが、女性は肉体という生理で母子関係を生きることができてしまう。だから母子の関係を、言葉や観念で確認する映画が少ない。しかし、射精という形でしか子供の誕生にかかわれない男性は、父子関係を肉体的な生理現象に頼るわけにはいかない。男性は親子の関係性を、観念で確認しなければ親子関係を生きてはいけない。わが国に比べると、昔から父子映画の多かったアメリカだが、最近ますます父子映画が増える所以である。

 農業が主な産業だった時代には、農業に多くの人手が必要だった。だから大家族が適合していた。初期の工業社会では、女性の職業がなかったがゆえに、男女の性別による役割分担は避けられないものだった。工場でのブルーカラーが主流だった工業社会の時代には、男女が対の核家族が適合していた。しかし、脱性的な労働が主流の今や、働くうえで男女の性別による違いはない。女性も完全な一人前の労働力である。だから情報社会では、男女が対になる必然性はない。男性も女性も個人で生きていける。肉体的な腕力が不要になった新たな産業社会は、当然のこととして新たな価値観を生みだす。

 1920年代にメキシコからロスアンジェルスにやってきたホセ・サンチェスの一生を扱ったグレゴリー・ナバ監督の「ミ・ファミリア」1995は、農業が中心だった社会から工業社会へと転換していくのと平行して、家族の様子が変わっていく有様を丁寧に描いている。子供は天の授かりものと、六人も子供がいる大家族のサンチェス家だったが、息子たちの代になると、子供はいても一人か二人である。孫は貴重品になっている。しかも、子供たちの行動や職業は、親には理解できない。人間たちの移り変わりに対して、畑のトウモロコシは毎年同じ実を付ける。それを手にする年老いたホセだが、彼には崩壊していく家族をどうすることもできない。子供たちが家を離れ、残されたホセ夫婦が人生をしみじみと省みる。

 屈強な腕力が不要になる、それは女性だけに福音をもたらしたのではない。優れた精神活動を持ちながら、体の自由が利かない身体障害者にも、情報社会は微笑んでいる。彼等は体が不自由で人並みの働きができないがゆえに、肉体労働が優位する社会では劣者だった。コンピューターの普及は、屈強な腕力を不要にしただけではなく、身体障害に強力な援軍を送りだしたのである。

 アンソニー・ウォラー監督の「ミュート・ウィットネス」1995は、情報社会になって、身体に障害があることを事実として見つめる作業が、やっとできるようになったことを教えてくれる。ヒロインの自宅の電話には、人工発声機がセットされている。そのため、口のきけない主人公でも、自宅の電話では話せる。しかもそれは、小型のコンピューターと連動している。コンピューターの発達は、間違いなく身体障害を無化する。この映画を身障者ものと観るのは、監督の本意ではあるまい。しかし、障害者を健常者とまったく同じに扱ったという意味で、障害者差別の地平を抜けでている。

 「ミュート・ウィットネス」は、口のきけないの特殊メイク係りのヒロインが、映画の撮影が終わって誰もいなくなったスタジオへ、忘れ物をとりに戻ることから始まる。その途中、別のスタジオでの殺人現場の撮影を目撃してしまう。断末魔を見た彼女は、撮影を装っていたが、演技ではなく本物の殺人だと直感する。しかしその直後、犯人たちに気づかれてしまう。犯人たちは、目撃した彼女を抹殺しようとする。

 身体障害者を主人公にした映画の多くは、障害者が差別されているので、それは止めましょうという正義感のうえに成り立っている。ところがこの映画は、口がきけないことを前面にだし、口がきけないがゆえに困難に陥る。そして、差別解消など何も触れない。むしろ、障害を強調することによって映画を作っている。

 主人公の職業は、映画の特殊メイク。彼女が一人前でなければ、誰も給料を払わない。彼女を助ける女性も設定されているが、まずなによりも本人が一人前の職業人でなければ、話が成り立たない。この前提があるから、口がきけないという大きな障害が、単なる身体的な特徴として見ることができる。

 障害を障害として認識することが、差別なき対応の基本である。そして、障害者も健常者と同じ人間だとみなすことが、差別を無縁なものにする。むしろ障害があるけど、彼女は頑張っていますという映画は、もうそれだけで差別に立脚し、差別を拡大している映画である。コンピューターのさらなる発達は、聴覚障害者にも歩行障害者にも他さまざまな障害者にも、一層の福音をもたらすであろう。

 ポール・トーマス・アンダーソン監督は「ブギーナイツ」1997で、差別されている者が差別されている集団へと、自ら入っていくアイロニーを主題としている。1970年代、疑似家族的な集団をつくって、新規なポルノ映画製作に日々研鑽している人たちがいた。主人公のエディ(マーク・ウォールバーグ)は、ジャック(バート・レイノルズ)というポルノ映画の監督に拾われて、一七歳でスクリーンデビューする。巨根の持ち主である彼には、ポルノスターの才能があり主役を演じ続ける。しかし、慢心や他の新人の登場があり、彼はジャックと衝突。ジャックからクビを宣告されてしまう。

 失業したエディーは、多くの失敗をかさねる。その後、ジャックに泣きつくが、ジャックは優しくエディを受け入れてくれる。主流を外れたつまり差別されている人間が、被差別集団にはいることによって、やっと心の拠り所を保ち安らかに生活できている。この構造が実に良く判る。現実の社会には、すでに厳父はおらず、優しく平等な家族になっている。しかし、被差別集団はきわめて家父長的で、ジャックが強権的に博愛的にまとめている。26歳という若い監督が、ポルノ製作集団からの子供のはみ出しと復帰を、一種の疑似家族内の動きととらえて描いた映画である。昔ふうの厳父が君臨する家父長制家族は、もはやこんなところにしか残っていない。

 新産業社会とは情報社会のことだが、屈強な肉体の不要な情報社会では、家族のあり方は変わる。そこでは女性は非力のままでいい。コンピューターのキーボードは、細い指の女性でもうてる。同じように男性でも女性でも、健康でありさえすれば職場労働はできる。身体障害者も自立できる。仕事において、個人的な能力が問われる情報社会では、家族の形態も個人化する。女性の社会的な台頭は、情報社会化の先行現象である。反対に言ってもいい。情報社会化すると、必ず女性が社会へと進出する。そして、古き良き核家族は解体する。

 1957年に梅棹忠夫は「女と文明」を書いて、次のように言っている。

 今後の結婚生活というものは、社会的に同質化した男と女との共同生活、というようなところに、しだいに接近してゆくのではないだろうか。それはもう、夫と妻という、社会的にあいことなるものの相補的関係というようなことではない。女は、妻であることを必要としない。そして、男もまた、夫であることを必要としないのである。
人間は、もはやこのほこるべき伝統にかがやく一夫一妻的家族を解消するほかない。完全な男女同権へのつよい傾向は、必然的にわたしたちをそこへみちびいてゆくであろう。男を主権者として、それに子どもを配する男家族と、女を主権者として、それに子どもを配する女家族とが、ときに応じていろいろなくみあわせによって臨時の結合をする、というようなことにでもなるのだろう。

 40年以上も前に、日本人男性によって予言されたことが、今アメリカ映画のなかで現実化している。脱性化した労働が、男女の境を消滅させる。だから、男女の性別役割分担に支えられた核家族は命脈が尽きた。男を主権者として、それに子どもを配する男家族と、女を主権者として、それに子どもを配する女家族とは、つまり、個人を単位とした「単家族」である。核家族は単家族へと変身する。
 
 工業社会化した現在でも、核家族ではなしに大家族で暮らす人たちがいるように、情報社会になっても核家族は残る。現在の大家族は、二世帯同居とか三世帯同居と呼び、それをかつての大家族と同じものとは見ない。現在の大家族のなかには、複数の世帯が同居していると見なしている。情報社会に残る核家族も同様である。二人の男女が同居していても、情報社会では各自が収入をもつ。それは単家族の二世帯同居であって、もはや工業社会の核家族と同じものではない。新たな産業社会は、新たな家族形態つまり単家族を生みだしたのである。

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