単家族的映画論     第1部

現代アメリカ映画における家族像について     2001年3月10日記
 目  次
第1部   核家族だった時代       はじめに
1.輝ける家族像とは 2.叛逆する映画の誕生 3.専業主婦の旅立ち
4.混沌の80年代 5.青春の輝きと家族像 6.女性の青春と自立
7.核家族から単家族へ 8.発想の転換をめざして 9.人間はすべて平等
第2部   映画の舞台は単家族
1.95年は爆発の兆し 2.ゲイ映画の台頭 3.男女が同質の社会を
4.ただ愛情による家族へ 5.新たな秩序の模索 6.女性の自立後とは
7.子供への眼差し 8.純粋な愛情の誕生 9.純粋な愛情の展開
 おわりに
3.専業主婦の旅立ち
 新しい男女関係を知らせる衝撃は、80年代の直前1979年に公開された「クレーマー・クレーマー」によって、もたらされたと言っていいだろう。ロバート・ベントン監督が撮った「クレーマー・クレーマー」は、女性たちに熱狂的に歓迎された。当時の常識だった性別による固定的な男女関係を、撃ち破る画期的な映画だった。

 広告代理店に勤務する主人公テッド(ダスティン・ホフマン)は、上司からその仕事ぶりを期待され、自分でも大きな仕事に取り組み、日々の生活に熱意を感じていた。一生懸命に働く彼は、家庭の都合より仕事の予定を優先するのは、仕方ないと考えている男性でもあった。当時、こうした姿勢は彼だけに限らない。むしろ多くの女性たちも、出世していく自分の伴侶を頼もしく見ており、男性たちが家庭より仕事を優先するのは、半ば当然と見なしていた。しかし、この映画では違った。

 専業主婦だった主人公の妻ジョアンナ(メリル・ストリープ)は、夫の働きや稼ぎには充分に満足していた。彼女には夫への不満はなかった。にもかかわらず、家庭でのこまごました仕事に縛られる自分に、満足できなくなっていた。いまでこそ、女性が外で仕事することを認める。わが国の例でいっても、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という考え方を肯定する女性は、1982年には71%もいたが、1998年には30%へと減っている。しかし当時は、女性は家庭にいるのが当然とされていた。

 稼ぎのいい立派な夫テッドは、浮気をするのでもない。休日には子供の面倒もよく見るし、もちろん妻を大切にしていた。こうした夫に何の不満があるのかと、社会は怪訝な眼差しでジョアンナや女性たちを見た。当時は家庭にいる不満の原因が何であるか、女性たち自身も判っていなかった。しかし女性たちには、何か判らないけれど納得できない何かが、心の中にあった。夫の稼ぎによって、経済的には充分に満たされていた女性たち自身も、自分の不満が間違っているかも知れないと不安げに考えていた。

 ベスト・アンド・ブライテストと称された、立派な男性の推進したベトナム戦争とその敗北は、既成の価値観の崩壊でもあった。それはアメリカ女性の自立に大きな影響をあたえた。男性の思考や行動がすべてではない。男性に従うだけではなく、女性自身が考えた行動をしなければならない。アメリカのベトナム戦争は、男性だけの責任ではない。アメリカ人である女性にも、何らかの責任がある。そういった自覚のようなものをもつよう、女性たちは時代から促された。

 この映画が公開された当時、すでに女性運動が普及して、女性の権利は多くの人が知るところだった。女性も男性と同様に職場で働いてもいい、という空気はあった。しかし、子供を放り出してまで、女性が自分の生きがいとしての職業を求めるのは、まだ理解されにくかった。女性は家事に破綻をおこさない範囲で、仕事することが何とか認められ始めていただけだった。男性が職場労働にいそしみ、女性が家庭内の仕事に精を出すことは、まだまだ社会の主流を占める常識だった。

 男女の性別による役割分業という常識に反抗したのが「クレーマー・クレーマー」だった。専業主婦だったジョアンナは自分を取り戻す、つまり自分の生きがいを捜すためだけに、小学校に上がったばかりの息子ビリーを残して家出してしまう。もちろん、彼女も自分の子供が可愛い。しかし、子供への愛情を断腸の思いで断ち切って、自分の職業生活にかけるのである。

 女性の子供への愛情は、何にもまして強いはずだという思いこみが、当時の社会にはあった。だから、自分の経済的な自立のためだけに、子供を捨てて家をでた女性には、映画とはいえ非難が集中した。1979年当時、高度成長期にあったわが国では、性別による役割分担は強固になりはすれ、否定されることはなかった。だから、ジョアンナの行動はまったく理解されなかった。むしろ、妻に捨てられたかわいそうな男性という、善良な夫テッドへの憐憫の情が寄せられた。そして、慣れない家事に悪戦苦闘する男性テッドの姿が、おもしろおかしく取りざたされたのである。

 アメリカでは少し事情が違った。女性の職場進出は、すでに始まっていた。そして、コンピューターが職場を占領し始めていたアメリカでは、今までのような男性的な肉体を使った労働が中心では、仕事が早晩たちいかなくなることを、ロバート・ベントン監督ら「クレーマー・クレーマー」の制作者たちは認識していたのだろう。コンピューターは非力な女性でも扱える。ここでは男性も女性もない。職場労働は女性にも可能となっていた。彼等は男性にも女性にも、仕事や家庭への新たな取り組みが、要求されることを予感していたに違いない。

 コンピューター社会では、屈強な体力は不要である。非力な女性でも充分に職業労働に耐えうる。性別による仕事や家庭への役割分担が、崩れると予感されていたからこそ、女性の職業への接近が肯定されていたはずである。言いかえると、すでに当時のアメリカ社会は、コンピューターの普及を背景にした情報社会化が進んでいた。それが性別を越えた労働への新たな取り組みをうみ、それと家庭にいた女性の動きが同調し始めていた。そこでは男性の生き方、女性の生き方という二本立ての生き方ではなく、人間の生き方という男女共通の生き方が模索されていたのである。

 第二次大戦後、アメリカでは大学への進学率が上がり、大学卒はもはや一部のエリートではなくなった。もちろん女性も、大学を卒業した。しかし、まだ職場はブルーカラーの工業生産が中心であり、肉体労働が優位する空気は揺らいでいなかった。そのため、職場は女性には門戸を閉じたままだった。女性は大学を卒業したものの、生活していくため結婚を選ばざるを得ず、結果として家庭に入らざるを得なかった。

 大学まで男性と同じように教育を受けながら、結婚してからの長い人生を、女性が男性とは違う道を歩くのは、いかにも不自然だった。社会生活が男女の性別によって違うなら、大学までの男女同一の教育は何だったのか。子育てが終わった女性たちは、自問したに違いない。そして、女性たちは受けた教育に従って、男性と同じ社会人としての生活を求めたのであった。そして、肉体労働から頭脳労働へと、職場の価値観が転換しつつあったことが、女性の職場進出に追い風になった。

 1963年にはベティ・フリーダンによって「女らしさの神話」が刊行され、1972年にはグロリア・スタイナムによって「ms」が創刊されている。女性が生きがいを捜すだけの話なら、すでに多くの著作などが刊行されており、特別に新しい視点ではない。母と娘の生き方の違いを描いたハーバート・ロス監督の「愛と喝采の日々」1977だってつくられていたし、ポール・マザースキー監督の「結婚しない女」1978だってつくられていた。しかも、女性の権利を謳うフェミニズムなる言葉は、新聞・雑誌やテレビなど毎日どこかで耳にした。

 映画「クレーマー・クレーマー」が新鮮だったのは、その結末である。この映画では、専業主婦だった女性が、家出してから職業人として活躍し、多いに出世した。彼女には経済的な余裕もできた。そこで、かねて心にかかっていた自分の子供を取り戻すべく、母親としての親権確認を求めて裁判に持ち込む。今や別れた夫のテッド以上に稼ぎのある彼女は、判決によってやっと望みどおりの親権を手に入れる。自分のお腹を痛めた子供が、法律的には自分のものになったのである。

 裁判には勝ったものの、別れた夫と親密な子供の様子を見て、彼女は衝撃を受ける。テッドと子供は実に仲良くやっている。母親の手によって育てられるのが、子供にとって一番の幸せだったはずである。しかし、母親がいなくても、子供は充分に幸せそうにみえる。子供にとって不可欠なのは、必ずしも母親とは限らないと言う台詞を残して、子供への愛情を人一倍もちながら、ジョアンナは身を引いてしまう。ここが今までの物語と、決定的に違うところだった。

 わが国におけるこの映画の紹介では、男性の慣れない子育てや、家事と仕事に翻弄される様子が、大きく取り上げられた。いわば女性の自立映画として扱われた。しかし、この映画の主題は、そこだけにあったのではない。本当の主題は、子育てには男性か女性のどちらが適任かということにあった。

 女性の自立は、1960年代から70年代にかけて、アメリカでさかんに謳われた。その時、隘路として立ちはだかったのが、出産と子育てだった。とりわけ子育てが、女性の自由を奪い、女性を家庭に縛り付けてしまうというのが、当時の女性たちのあきらめともつかないため息だった。しかし、この映画の結論は、女性だけが子育ての適任者ではなく、男性も充分にその任に当たれるというものだった。

 子供を生むことは女性にしかできない。そのため、子育てはその延長線上にあるみなされ、女性の担当だと捉えられてきた。同時に子育ては女性の義務ではなく、権利だとも見なされていた。だから子育てに適した権利を、女性は要求できた。しかし、この映画はそれを女性自らが放棄した。子育てという女性の権利を入手すべく、ライバルたる男性に要求するのではない、と女性が主張したのだった。

 多くの運動は、新たな要求を獲得するためになされる。どんな運動も、自らの権利を進んで放棄したりするようなことはしない。しかし、女性運動はこの映画で、誰もが信じていた通俗的な母性なるものを、つまり女性の権利とみなされていたものを、女性自らが手放した。ここで母なるものが、女性の手によって否定された。女性たちから現在でも母性保護が声高く謳われがちなわが国では、この映画の主題はいまだ理解されていないと言うべきである。

 女性だけが子供を産める。子供を産むのは動物的な行為であり、子供を育てるのは社会的な行為である。産みの母と育ての母は別の人になることがあるように、両者は分離することができる。産みの母は女性だが、育ての母は女性とは限らない。女性だけが子供を育てるのではない、とこの映画は主張した。子育てを担当する母なる概念は、女性だけのものではない。子育てという社会性をもった母が、女性によって否定された。つまり女性によって、社会的な母が殺された。女性は自らの内なる母を殺すことによって、自分を解放した。これが重要だった。

 「クレーマー・クレーマー」で、男性は職場での職業労働を女性は家庭内の無償労働をという、性別による役割分担が完全に否定された。この映画を転機にして、アメリカの女性運動は大きくターニングポイントをまがった。アメリカの家族映画の伝統にしたがって、軽妙で明るい仕立てのこの映画は、従来の常識によく挑戦していた。

 この映画で、子育ては女性の担当であるという、女性の職場進出のうえでの最大の足枷がはずされた。子育てのために、女性は家庭にとどまるべきだといった常識が、この映画によって大きく崩れた。それまでの性別による固定的な役割分担が、全面的に見直されるようになった。そして、1980〜90年代になると、男女関係や家族像・親子関係をめぐって、新たな視点の映画が次々と生まれるのである。

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